第2話

https://kakuyomu.jp/works/16817139556239987081/episodes/16817139556240027795 



ポン、とリターンキーを押すと、上のURLが出たが、何かは不明。


 昨日に、「自己本位」というところを、蔑ろにしがちになってしまっている、という自己省察を、精神の不健康の原因ではないかと疑って、そのあと、「続く」にしましたが、これは、「自我の崩壊が精神病」という、岸田秀さんの記述にも通じている。気がする。

 思春期にいろんな本を読んで、結局一番ハマって、繰り返し熟読したのが、筒井氏とか、岸田秀さんで、必然かはともかく、色濃く影響が残っています。


 精神分析は、つまりエディプスの三角形の葛藤が出発点で、それは人間の運命で、特にオレはマザコンで、父もマザコンやったと、母が言っていた。


 岸田秀さんの場合は養母との葛藤が、精神分析に傾斜していく動機だったらしいですが、思春期の純真無垢な人物には、理論武装にもってこいの、すべてをひとつのテーゼから、かなり強引に敷衍、牽強付会するという方法論の立論は、偏見とか閉じこもりを強化助長して、今では、一種の「アストロン」の魔法…これは「鉄の塊になって何物も受け付けない!」となる防御魔法、ロープレの呪文なんやが、それみたいな一時しのぎで、攻撃跳ね返す、防衛機制だけを作って、で、戦闘を回避するだけで、アストロンと同じく経験値を稼げず、成長できなんだんやろか? などと、まあ若者、若気の至りでありがちあもしれんですが、そういう感慨はある。


 「自我と防衛」という、フロイトさんの娘の本を読むと、ふつうに防衛するという一般の事例以外に、「現実に深刻な脅威に見舞われている場合はまたちょっと違う」というような、但し書きがあって、そこが妙に引っかかっていたんですが、その後、そういう風に昔からかなり深刻な、特異な自我の危機にばかり日常的に見舞われていて、そこが要するに自分のいろんな蹉跌の、特殊な事情…「不愉快な情報やら認識を回避して、自我の健康を守る」というのは、精神に自然に備わっている重要な機能と思いますが、そこがすっかり疲弊しているんやと思う…


<この項続く>

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