清夏まっさら:青梅ヶ原クウの非日常
矢庭竜
1 まっさら
『二分の一成人式』に向けて、お父さんお母さんに名前の由来を聞きましょう。
という宿題のことを帰り道で話したら、兄のリクはランドセルを私に押しつけて学校に駆け戻っていった。先生ぶん殴ってくる、と言って。
「どしたんだろ、リクの奴」
「お父さんもお母さんも、いなくなっちゃったじゃん、うち」
弟のカイが言った。夏の暑さにやられて道端にしゃがみこむものだから、ランドセルが小さな体を隠してカメの甲羅みたいだ。蝉の声にかき消されてしまいそうな小さな声で、ぽつぽつとつぶやく。
「だからリクは、さみしくて、悲しくなっちゃったんじゃない?」
「ああそっか。たしかに私も教室で宿題が発表されたとき、誰に聞けばいいんだろ? って少し困ったけど」
「クウはなんでそんなノンキなのさ」
カイが言うけど、生まれつきの性分なのだから仕方ない。リクが私の分まで怒って、カイが私の分まで悲しんで、私の人生それで何とかなっている。
ってことは今リクが怒ってるのは私の分だな。これは加勢しなくっちゃ。
「カイ、学校戻ろ。そんで先生にランドセル投げつけてリク連れて逃げよ」
「やだよ、また先生に怒られるじゃん……」
「それも人生!」
私はおなかと背中のランドセルを揺すりあげ、弟の手を引っ張り上げた。
***
おばあちゃんのお説教が終わり、リクは座布団から立ち上がった。不貞腐れた顔で、乱暴に襖を開け出て行く。
リクと私とで学校から逃げ帰った直後、先生からうちに電話が入り、おばあちゃんの部屋に呼び出されたのだった。帰ったときには明るかった外は、今じゃとっぷり暮れている。おばあちゃんは説教のためにとがらせていたまなざしを柔らかくして、正座したままの私に首をかしげた。
「クウ。行ってよし、だよ」
「うん。でもその前に宿題終わらせちゃおうと思って。おばあちゃん、私ってなんでクウっていうの?」
「おまえは図太いね……。ふぅん、名前の由来ねぇ」
おばあちゃんが袖を持ち上げた。ピシッとした着物の
「名づけたのは
「リクのときにもう、三人分決めちゃったってこと?」
リクと私は二歳違い、私とカイも二歳違いだ。急ぎすぎじゃないだろうか?
「二人目が生まれない可能性だってあったのに」
言ってしまってから、ちょっと背筋が冷えた。その二人目って私のことだ。クウが生まれてない世界。私がいない世界。思わず黙り込んだ私を、おばあちゃんは懐かしそうな目で見下ろした。
「あの子は自分の子になるべくたくさん出会いたかったそうだ。だから、おまえが生まれてきてくれてよかったよ。あの子はおまえたちに出会えて幸せだったよ」
大きな手が私の頭をなでる。
「おまえは
***
「真白ってなんで真白っていうの?」
事務所の窓からは暮れなずむ空が見える。遠くに見える黒い姿は巣に戻っていくカラスだろうか。応接室の掃除をしながら、私は退屈しのぎに後輩に雑談を投げた。
思い出の小学生時代から十九年。私は実家を出て、高校時代の後輩と相談事務所を開いている。窓ガラスに映るのは女性の平均身長にギリ届かない小柄な二十八歳。髪をバッサリ切り、ターコイズブルーに染めているので、あの頃の知り合いに会ってもすぐにはわからないだろう。後輩の
「あと五分で終業ですね。当ててみてください」
「ええ~」
ゴミ袋を抱えた私の抗議の声に、黒髪を頭の後ろでくくった二十七歳は小さく笑う。この男、こういうところがある。いい大人になっても、遊び好きでお茶目なところが。
「ん~と、わかった! まっさらって意味でしょ。広げたノートの最初のページ、みたいなさ。何も書かれてなくて未来がキラキラしてるの。空白は何色にでもなれるんだって」
「へえ、そうなんですか。そういう綺麗事って寒気がしますね」
こういうところもある。遊び好きでお茶目な割に冷笑的で口が悪い。どっちかにしてほしい。
「残念ながら自分の名前は色即是空の
ポ~ン、と壁の時計が鳴った。午後七時。真白がいそいそと台拭きをしまいに行き、私も慌ててゴミ箱のふたを閉じた。
「さ、帰りましょ。先輩」
「勝ち逃げしてやったぜって顔してる~」
「先輩がひがみっぽいだけですよ」
騒ぎながら部屋の電気を消し、事務所を出る。玄関灯のセンサーが二人に反応し、ドアの看板がパッと照らし出された。
_______________
どんな相談でもお受けします。
よろず相談窓口 クーハク
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「明日もよろしく」
言いながら、私はガチャリと〈クーハク〉のドアに鍵をかけた。
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