【第二章:輪戻】三節

 深夜、私は自室を抜け出し、忍び足で廊下を進んでいた。月明りが差し込む廊下はより不気味さを増し、冷たい空気が肌を刺すようだった。

 灯りが消えた廊下は一寸先が暗闇で、前が見えないだけでこんなに恐怖を感じるのかと、私は改めて実感する。

 足を前に出す度に床板がぎぃっと音を立てる。その度に身体を硬直させ、私以外の誰かが来たんじゃないかと耳を澄ます。……もちろん、お母さんとお婆ちゃんが起きてないか確認するためだ。

 そんな私の手にはずっしりと重たい金属で作られた、古風な鍵が握られていた。これはさっきお母さんの寝室に忍び込んで手に入れた、蔵書部屋の扉を開けるための鍵だ。

 輪戻石には特別な能力が隠されているかもしれない。そしてその能力は、理葩ちゃんを救う手立てになるかもしれない。そんな予感に突き動かされるように、私は羽並家に代々受け継がれてきた蔵書が保管された部屋への侵入を決意させたのだった。

 それに考えなしというわけじゃない。お婆ちゃんは輪戻石のことになると、いつも何か隠しているみたいだったし、子守歌を歌ってくれたあと、すぐに部屋から出て行ってしまった。……まるで、私が何かに感づくのを恐れていたように。

 お婆ちゃんのあの態度は、何か裏があるはずだ。

 やがて私は蔵書部屋の扉の前にたどり着いた。扉は私の部屋とは明らかに作りが違い、ふち紫陽花あじさいと落ちる流星を象った彫刻が見て取れる。五年前、儀式で使った儀礼刀に彫られていた意匠いしょうと同じものだろうか。

 私は胸の前で鍵をぎゅっと握った。期待と不安、そして泥棒のような行為に対する後悔……。そういった感情が私の胸にわだかまりを作る。もっと別の方法があったかもしれない。でも、お母さんやお婆ちゃんの説得に失敗したら、蔵書部屋に入る機会が遠のいてしまう。それは嫌だった。だって私は、すぐに輪戻石について確かめたかったから。

 意を決して、鍵穴へ鍵を差し込んだ。ガチャリという鈍い音と共に、右手に鍵を開けた感触が伝わる。そして恐る恐る扉を開けると、軋んだ音が響きわたった。

 でも、部屋の中は思っていたよりも簡素な作りをしてた。

 部屋の奥にある机にはいくつかの本が並んでいて、近くに輪戻石を置くための台座がある。壁には儀式のときに使った儀礼刀や、私が着ていた巫女装束が飾ってあった。儀式の日に使われた道具はこの部屋に保管されていたんだと気づく。

 それにしても、私は案外あっけないなと感じていた。もっと古めかしい本が壁一面に並んでいたりとか、お札があちこちに貼ってある光景を想像していたのに。

「……はっ! いけないいけない。早くしないとっ!」

 一瞬、私は自分の目的を忘れてしまっていた。気を取りなおして、私は蔵書部屋の奥へと歩を進める。

 机の上には、埃をかぶったいくつかの本が綺麗に並べられていた。その内の一冊を手に取ると『輪戻乃書』というタイトルが目に飛び込んでくる。

輪戻乃書りんれいのしょ……! 間違いないっ!」

 湧き上がる興奮と共に最初のページをめくってみる。そこには、こう記されていた。


輪戻石は、血をもって主を選ぶなり。

主の血、認めらるるとき、石は白く開花し、蕾のごとき姿となる。

主の死に際し、閉ざされし花は綻び、時の糸は巻き戻る。

よってこの術を用いんと欲する者は、必ずみずから命を絶たねばならぬ。

その巻き戻る時の長さは、主の祈念によりて異なるものなり。

祈念は慈悲に基づかねばならず、もしこの術をみだりに用いれば、報いを免るること能わず。


 私は、時間を忘れてその文章に魅入っていた。

 冒頭の二行に書かれている内容は、まさしく身に覚えがあるからである。

 儀式の日、私は色褪せた灰色の輪戻石に血を与え、そして石は白い花のような姿へと形を変えたあと、蕾のように花弁を閉じた。

 今思えば、不思議な光景だった。冷静に考えてみればわかる。石が血を吸収して、色と形を変化させるなんて、普通じゃない。

 ……あれは、輪戻石が私を主として認めたってことなの?

 それに、一番気になるのが次の文章だ。

「主の死に際し……閉ざされし花は綻び、時の糸は……

 子守歌の歌詞にもあった"時の糸"と"巻き戻る"の文字。やっぱり、あの歌はただの子守歌じゃないんだ。

 でも、主の死に際しって部分が引っかかる。これってもしかして……。

 ――ゴトッ!

「――っ!?」

 突如、背後で重たい音が響き、驚いて背後を振り返る。

 そこには、壁に立てかけてあった儀礼刀が倒れていた。鞘から刀身が覗き、月の光を冷たく反射している。

「ふぅ……びっくりした」

 胸をなでおろすと、私は儀礼刀を元通りにしようと鞘に触れた――その瞬間、ぴたっと手が止まった。そして脳裏に輪戻乃書の三行目の文章が蘇る。


 よってこの術を用いんと欲する者は、必ずみずから命を絶たねばならぬ。


「もしかして……この刀って」

 儀礼刀は、輪戻石継承の儀で使われる特別な刀だ。その役割は、自傷し、輪戻石に血を与えやすくすることだ。……そう思っていたけど、三行目の文章から連想される、もう一つの役割が思い浮かぶ。

 その光景を想像してぞっとした私は、思わず儀礼刀から手を放した。

「でも、もしそれが本当なら……」

 とっさに首を振ってその先の言葉を考えないようにする。まだ結論を出すには早い。まずは輪戻乃書を読み込まないと。

 私は本を胸に抱いて、蔵書部屋を後にした。

 この先に理葩ちゃんを救える手がかりが眠っているかもしれない。だったら――迷っている暇なんてなかった。

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