【第二章:輪戻】二節

 理葩ちゃんが入院してから、もう一週間が経過した。

 あれから毎日お見舞いに行っているけど、理葩ちゃんが目覚める様子はなかった。

 病室にはいつも連がいた。学校にも顔を出さず、理葩ちゃんが目覚めるのをずっと待っているその後ろ姿を見ると、私の心がぎゅぅっと締め付けられるようだった。

「ただいま」

 今日も理葩ちゃんのお見舞いを終えた私は、短く挨拶をすると、脇目も振らず自室へ入ってベッドの中に籠った。冷え切った身体にゆっくりと熱が戻っていく感覚は、沈んでいた私の心を留めてくれる。

 でも身体には力が入らなかった。というよりも気力そのものが抜け落ち、今は何もしたくないという感情だけが私の頭を支配している。

 まるで底なし沼に沈んでいくように、頭が重たかった。

「……どうしてこんなことに」

 現実の理不尽さに、きりきりと奥歯を噛み占める。胸いっぱいに悔しさが広がり、現実を憎みたくなる。

 だって……こんなの間違っているに決まってる! 理葩ちゃんは何も悪いことをしていないのに、どうして現実はあんなに残酷なの!?

「私に何かできることはないのっ!?」

 寂しそうな連の背中が蘇る。だから私は真っ暗になっていた思考の中から、必死に理葩ちゃんのためにできることを探す。でも何も思い浮かばず、私は拳を作って頭を何度も叩いた。

 もっとよく考えろっ! 何かあるはずなんだっ!

 でも、何度叩いても何も思い浮かんでこない。やがて私は力なく項垂れた。

 両目から自然と涙が溢れ始める。だって、頭で否定しても、心の底ではわかっていたから。私にできることは、理葩ちゃんが目覚めるように祈ることしかないということを。

 虚しさに打ちひしがれていると、唐突に扉がノックされた。

「翼、お婆ちゃんだよ。そこにいるかい?」

 お婆ちゃんの声だ。優しくて、温かくて、包み込んでくれるように、私に語り掛けてくれる。

「ぐすっ……。いるよ、お婆ちゃん」

「入っていいかい?」

 私は起き上がると、鼻をすすって目をごしごし擦る。身内とはいえ、泣いている姿を見られるのは恥ずかしい。

 私は小さく深呼吸すると、表情を引き締め、何でもない顔を取り繕った。

「いいよ」

 がちゃっと、お婆ちゃんがゆっくりと扉を開けた。ニコニコしながら入ってきたお婆ちゃんに、ちょっとだけ心が癒される。

「大丈夫かい? 翼や」

「大丈夫だよ、お婆ちゃん」

 私は笑顔と共に自然と嘘をついた。本当は心がぐしゃぐしゃになっていたけど、お婆ちゃんに心配させたくなかった。

 でもお婆ちゃんは全てを見抜いていた。

「無理をしちゃいけないよ、翼」

 そういうとお婆ちゃんが私の隣に座る。

「お友達が入院したんだろう? お婆ちゃんに話してみなさい。そういうのは、一人で抱えても良いことなんて一つもないからね」

 お婆ちゃんが笑顔で促してくる。その雰囲気は私の凍った心をゆっくり解きほぐしてくれる。

 優しくされると、目の奥が熱くなる。そして私は、理葩ちゃんのことを包み隠さずお婆ちゃんに話した。

 あふれ出る悔しさを、お婆ちゃんはにこにこしながら受け止めてくれた。それに救われた私は、全てを話し終える頃にはまたボロボロと涙を流していたことに気付く。

「ふっふっふ。少しは気持ちが晴れたかい?」

「うん、ありがとうお婆ちゃん。今度こそ、大丈夫だから」

 お婆ちゃんはぽんと、私の頭に手を置いた。

「優しいお前のことだから、昨日の事を悔やんでいると思ったのさ。でもね翼、起きてしまったことは仕方ないんだよ。だってことはできないんだから」

 過去をやり直すことはできない。今はそんな当たり前のことすら憎いと感じてしまう。

 私はお婆ちゃんの膝に頭を乗せる。お婆ちゃんの匂いが鼻腔をくすぐり、私を穏やかな気持ちにさせてくれた。

「おやおや、甘えたくなったのかい?」

「うん……ちょっとだけこうしてていい?」

「ああ、いいよ。翼の気が済むまで、お婆ちゃんもここにいてあげるからね」

 私の頭を撫でるお婆ちゃんの手が優しい。このまま目を閉じて眠ってしまいそうになるほどに、お婆ちゃんの存在は私の心を癒してくれる。

 そうだ……と、せっかくお婆ちゃんに甘えるならを歌ってもらおうと思いつく。

「ねえお婆ちゃん。久しぶりにあの子守歌を歌ってよ」

「……あの子守歌?」

 私がまだずっと幼かった頃。お婆ちゃんは私を寝かしつけるために、よく子守歌を歌ってくれていた。

 どうしてか、今は無性にその歌を聞きたいと思った。

「うん。あの特別な子守歌。私、好きなんだ」

「そうねぇ……」

 どうしたんだろう。昔ならすぐに歌ってくれたのに、ちょっと悩んでいるみたいだ。

「お婆ちゃん?」

 気になった私がお婆ちゃんを見上げると、す……と視線を反らされた。なんだかお婆ちゃんの態度は煮え切らない。

 でも少ししてから、お婆ちゃんがまたにこっと笑った。

「いいよ。歌ってあげるから、目を閉じなさいな」

「はーい」

 私は言われるがままに目を閉じる。お婆ちゃんは私の肩をぽん、ぽんとリズムよく叩きながら、羽並家に伝わる子守歌を歌い始めた。


白き石が ひらく時

時は糸を 巻き戻す

選ばれしものの 血を聴きて

まわりて巡る 時の石


はなみの家に ささやけば

時は糸を 巻き戻す

蕾のままで 時を抱く

誰も知らない 石の声


 お婆ちゃんの歌声に包まれて、私の意識がゆっくりと沈んでいく。そしてもう少しで舟をこぎそうになった、その時だった。

 私の胸の前で、輪戻石がぶるぶると震えていることに気付いた。何事かと思って胸元の輪戻石を服から取り出すと、手のひらに乗せてみた。

 ……とくに変な箇所は見当たらない。白い花弁は閉じたままで、継承の儀をした日のままだ。

「翼、どうかしたのかい?」

 おもむろに輪戻石を取り出した私を不審に思ったのか、お婆ちゃんが尋ねてくる。

 その目は、輪戻石に注がれている。とても真剣な眼差しだ。

「……ううん。なんでもない」

「そうかい。……さ、お婆ちゃんはそろそろ部屋に戻ろうかねぇ」

「あ、うん」

 お婆ちゃんはゆっくり立ち上がった。

「翼、ゆっくりお休み。あんたまで具合が悪くなったら、連ちゃんの心配事が増えてしまうよ」

「うん、わかった。本当にありがとう、お婆ちゃん」

 お婆ちゃんはにこっと私に笑顔を向けると、そのまま部屋を出ていった。……最後、扉を閉めるときにちらっとこちらを見た気がした。


 お婆ちゃんは輪戻石のことになると、いつも態度がおかしくなる。この間だって、石の形を気にしていたみたいだし……。

「この石、やっぱり何か特別なのかな?」

 私は輪戻石をつまんで掲げてみる。

 そういえば、幼い頃はただの子守歌としか思っていなかったあの歌も、今思い返してみれば輪戻石のことを歌っているように思えた。私はお婆ちゃんの子守歌を頭の中で反芻はんすうしてみる。

「白き石が開くとき……時は糸を巻き戻す」

 そっと最初のフレーズを呟いてみる。

 白き石……は、やっぱり輪戻石のことなのかな。でも私の血を吸収する前までは、この石は色褪せた灰色だったはず。

 もしかして継承が終わった後の輪戻石は、みんな白くなるのだろうか……?

「それに輪戻石が開いたとき、時は糸を巻き戻すって……」

 いったいどういう意味だろうか。歌詞の通りに受け取るなら、輪戻石が花開いたら、時間を巻き戻せる……ってこと?

「そんな、まさかね」

 ありえない、と笑いながら否定する。

 時間を戻すなんてできっこない。そんなの、子供でも知っている当たり前のことだ。お婆ちゃんもって言ってたのに。

 ……なのに、どうしてこんなに鼓動が早くなるのだろうか。

 ふと、これまでのお婆ちゃんの行動が思い起こされる。

 そういえばあの時、お婆ちゃんは輪戻石の様子を見た時に『ふむ……、まだいないね』と言っていた。それにこれまでも、お婆ちゃんは何度も輪戻石が開いていないか気にしてきた。

「……まさか。そんなわけない、よね」

 ……確か、お婆ちゃんから入っちゃいけないと言われた部屋があったっけ。その部屋は、羽並家に代々受け継がれてきた、輪戻石に関する蔵書が収められているとか。お婆ちゃんからは、時が来たらその部屋の中に入れてあげると言いつけられていた。

「……調べてみようかな、この石のこと」

 私はもう一度、輪戻石を見つめた。

 もしかしたら私は、理葩ちゃんのためにできることを、見つけたのかもしれない。

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