【第二章:輪戻】

【第二章:輪戻】一節

 現状を受け止めきれなかった私は、連に抱きしめられながらひとしきり涙を流し続けた。やがて泣きつかれた私は連に促されるまま、近くに置いてあった椅子にすとんと座る。顔は自然と俯き、ただ何を考えるでもなく、床の模様を視線でなぞっていた。

 そんな私の隣に連は椅子を移動させ、そっと肩を抱き寄せてくれた。

「理葩が入院したって聞いたのは、私が家に帰ってきた時だったの」

 ぽつりと、連がこぼすように語り始めた。

「委員会の仕事が忙しくて、家に着いたのは七時頃だった。お腹も空いてたし、落ち着いたら翼に連絡しようと思ってたんだ。だから、昨日は連絡できなくてごめんね」

「……大丈夫だよ。私だって、まさかこんな事になってるなんて思わなかったもん」

「ありがとう……、翼」

 私は肩に置かれた連の手に自分の手を重ねる。

 また、沈黙が降りる。連は何かを言いだそうとして、でも口を紡ぐ。まだ心の整理がついていないみたいだから、私は連の気持ちが固まるまで待った。

 そして意を決したのか、再び連が口を開く。

「理葩はね、一命は取り留めたらしいの。でもね、目を覚ますかはわからないんだって」

「――そんな」

 私は信じられずに声を失う。でも、連は言葉を続けた。

「身体中に打撲の跡があったの。一番ひどかったのが顔だったらしくて、右目が潰れてた。まるで、誰かが馬乗りになって、何度も何度も殴ったみたいに……」

「ひ……酷すぎる! いったい誰がそんな事を!」

「理葩が事件に遭ったとき、偶然現場を目撃した通行人が通報してくれたらしいの。そのとき、誰かが逃げたんだって。警察はその人を容疑者として捜索してるらしいわ」

「……早く捕まるといいね」

「うん。でも、犯人が捕まったところで、理葩が目覚めるわけじゃないよ」

 連の言葉に温もりはなく、冷たい気配が漂っていた。

「……ご、ごめん」

「あ、私こそごめんっ! 気を悪くしないでっ!」

 つい謝ってしまった私に対して、連が慌ててフォローを入れる。もちろん、連にそんなつもりがないことはわかっている。

 連もいっぱいいっぱいなだけだ。それなのに、もう一度理葩ちゃんのことを私に説明してくれたんだから。

 私は連の目を見つめて「気にしてないよ」と声をかける。その言葉に、連はほっと安心したようだった。

 突然、病室の扉がノックされる。そして扉を開けて現れたのは連のご両親だった。

 私を見つけた連のお父さんが、寂しそうな笑顔を向ける。

「翼ちゃん、理葩のために来てくれてありがとう」

「あ、いえ……」

 私は席を立ちあがると小さくお辞儀する。

「翼ちゃん、せっかく来てくれて悪いんだけど、このあと医師から家族向けの説明があるんだ。ごめんね、ちょっと内々の話になるから、また落ち着いたら来てもらえるかな」

「はい……わかりました」

 寂しいけど……"家族向け"って言われたら、何も言えなかった。

 連のご両親とすれ違って病室を後にしようとすると、背後から連の声が聞こえた。

「理葩も翼が来てくれたこと、きっとわかってくれてるよ。落ち着いたら、今度は絶対連絡するからっ」

「……うん、待ってる」

 私は最後に無理やり笑顔を作った。

 そしてゆっくりと扉が閉まる音が背後に残る。さっきまでいた空間が遠ざかっていくように。

 廊下に出ると、病院内は活気を取り戻していた。

 すれ違いざまに頭を下げてくれる看護師に、無言で通り過ぎていく白衣を纏った医師。淡々と交わされる会話と、金属のキャスターが床を滑る音が、病院の日常の隙間に静かに流れていく。

 私はそれらを振り払うように、とぼとぼと自宅へ帰った。

 現実に引き戻されるのって、こんなに冷たいんだ……。

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