第一話 幸せな余命宣告
六畳半のワンルーム、散らかった部屋に乾いた空気。
何週間以上も洗っていないシーツはシミが目立ち、汗で湿っている。いつも八時半にセットした目覚まし時計より数分先に目覚めてしまう。その度、僕はため息をついて、また朝が来たことに絶望する。
ここ数年ずっと体が重く、体調の良し悪しが自分では判断がつかないところまで来ていた。会社の健康診断では毎度分厚い封筒が届くが、無視し続けている。
本当は何もせず、惰眠を貪りたい。でもそんな勇気もないので、出かける準備をする。
行先は会社。死のうとしていた人間が、次の日には労働に赴く支度をしているのだから滑稽である。
家からすぐ先のバス停に向かう途中、バスが近づいて来るのに気付いた。時間に余裕があるのにも関わらず、僕はそのバスに飛び乗ろうと走った。 自分を置いて出発しようとするバスに手を振り、ギリギリで乗り込むと、周囲の視線が気になった。
「だらしなさそうな人。」
「時間にルーズそうだから、
仕事もできないんだろうな。」
そんな声が頭に響いた。イヤホンをつけることで、いつもはそうした雑音をシャットアウトしているのだが、出発を急いたこともあって、今日は生憎忘れてしまった。留まること事を知らない被害妄想が膨らむ中で、不愉快な声色が頭に響く。
「死ぬなら他の場所で勝手にどうぞ。」
不愉快だ。こっちは生きたくて生きているわけではない。そもそも邪魔をされなければ、こうして息を切らすこともなければ、被害妄想を膨らませることもなかったのだ。
僕の的外れで、理不尽な怒りが思考を奪っていくと同時に、自らの視界がぼやけて、身体のバランスが崩れていった──。
気づけば僕は見知らぬ白い天井を見つめていた。某テレビアニメのタイトルコールが頭にこだまして、僕はここがどこかを理解した。僕が目を覚ましたことに気付いた看護師さんが医師を呼んだ。そこからしばらくの安静期間を経て、僕は担当医からある事実を告げられた。
「余命半年です。」
医師の顔色は特に変わらない。きっとの宣告にも慣れているんだろう。しかし、隣にいた若い看護師は少し顔が引きつっている。彼女への気まずさと、唐突の知らせに、僕は担当医の事務的な説明など頭に入ってくるわけもなかった。
すると、説明を終えたであろう担当医は僕に質問を投げかけた。
「在宅医療なども選択できますが、いかがでしょうか?」
少し考えた後、こう言った。
「いえ、こちらでお世話になります。」
残り少ない人生、と言われてもピンとこないし、ショックも少なかった。
幸い働きづめだったので、入院費の蓄えはあった。それに、家に帰ればおそらく何かを思い出したように、明日にはまた出勤するだろう。
それならここで、最低限の人との関わりの中で余生を過ごすほうがいいと思った。
僕は死のうとしていた人間だ。 こんなにありがたい話はない。ほっておけばその内、死ぬのだから。
僕は診察室を出て、病院のロビーの椅子に腰かけた。こうやって辺りを見渡すと、病院のロビーは世界で一番平和な場所ではないかと思う。 スポーツ新聞を広げる老人やお見舞いに訪れた患者の家族と思わしき人たちのささやかな会話の声。何かに追われた通勤バスの車内とはまるで時間の流れ方が違う
僕はフーッと息を吐いた。
死とはなんだろうか。当然ながら何も実感は湧いてこない。 普通は余命宣告を受けた人はその瞬間から死を意識するのだろうか。
二年前に両親は事故で死んだ。即死だった。二人は死ぬ直前に走馬灯は見えたのだろうか。
そんな静かな時間ををぶち壊す甲高い声がロビーに響いた。
「あーっ! なんであなたがここにいるのよ!」
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