第6話:覚悟の輪郭

執務室にはエヴァレットの上官――将官のひとりがいた。


声を発したわけでもないのに、その場の空気はぴんと張りつめている。


動作ひとつ見せずとも、ただ在るだけで場を制するような男だった。


「……この少年か」


「はい。セレスタイト・オルディス。先日の襲撃時、7名を戦闘不能にしました」


エヴァレットは形式ばった声で言った。


その声には、どこか諦めにも似た重さが滲んでいた。


「……何度も言ったはずです。私は、反対だと」


エヴァレットは将官の視線を正面から受け止めた。


「分かっている。だが君の意見を聞いた上で、それでも彼と会う必要があると判断した」


セレスタイトの瞳には恐れがなかった。相手の目をまっすぐに見て、静かに何かを測っている。


「君は軍に入る気はあるか?」


唐突な問いだった。だがセレスタイトは、間を置かずに答えた。


「……ある。いますぐにでもやる」


エヴァレットの眉がぴくりと動いた。


「セレス……!」


エヴァレットが強く名を呼ぶ。だがセレスタイトは顔を背けなかった。


「……俺みたいな奴が、まともに生きられる場所なんて、たかが知れてる。だったら戦場の方がいいだろ。俺の価値が一番発揮できる」


その声には、子どもらしさよりも、むしろ痛みと覚悟があった。


将官は黙ったまま、その眼差しを見つめていた。


「……どんなに腕が立っても、重い責任を抱えるには早すぎる」


「早いかどうかは俺が決める。俺はもう、誰かの後ろで見てるだけじゃ気が済まねぇ」


エヴァレットが一歩前に出た。


「彼はまだ10歳です。前線に出すなど、あり得ない」


「もちろん即戦力として扱うわけではない。あくまで訓練兵としてだと、説明してきたはずだ」


「その“訓練兵”が、気づけば前線に駆り出されるのが、この軍の現実でしょう」


エヴァレットの拳がわずかに震える。


「……私のせいで、7人も殺させたんです」


彼の声は低く、震えていた。


「希望を見せたつもりで。救ったつもりで……」


言葉がそこで途切れ、彼はゆっくりと視線を落とした。


「……だが、本人の意思は、明確だ。たとえ10歳でも、自分の意志で選び取ったものならば、それに応えるべきだと、私は思っている」


セレスタイトが静かに立ち上がった。


「エヴァレット。俺は誰の後ろにも隠れねぇ」


エヴァレットは何も返さなかった。ただ、視線を外すことなく、その目に映る少年を見ていた。


将官は短くうなずいた。


「では、明日から訓練部隊に編入させる。支給品を渡してやってくれ」


将官が扉を閉める音が、部屋に冷たい余韻を残した。


──


「……本当に、行くんだな」


夕方、エヴァレットの私室。


ベッドの上には、支給されたばかりの小さな軍服が置かれていた。


セレスタイトは無言でそれを手に取った。


その布はまだ硬く、ほのかに薬品の匂いが残っていた。


「これを着たら、お前ももう“兵士”だ。戻れなくなるぞ」


「分かってる」


エヴァレットがかすかに笑った。だが、目元には笑みの欠片もなかった。


「……俺は、ずっとお前には穏やかに暮らしてほしかったんだ」


エヴァレットが呟いた。


「……陽が差す朝、ちゃんと眠れる夜。そんな日々を、お前にも与えられるって……信じたかったんだ。きっと、それだけだった」


セレスタイトはなにも返さなかった。


「お前が“もう大丈夫だ”って顔をするたびに……心のどこかで安心して、甘えていたんだと思う。そうか、もう平気なんだって。……勝手だよな。全部、俺の自己満足だったのかもしれない」


声が、わずかに震えた。


「……それでも、どこかで願っていたんだ。」


セレスタイトは顔を上げた。


その瞳は静かだったが、何かを強く伝えようとしていた。


「お前がいたから、俺はここにいる。……感謝してる。それとこれとは、別だ」


「……そうか。別、か」


「俺の選んだ道を、お前のせいにすんな。俺がやるって決めたんだ。なら、ちゃんとやる。……それだけだろ」


エヴァレットは俯き、しばらく黙っていた。


夜の静寂は、引き延ばされた夢のようだった。


朝はそれを容赦なく引き裂いた。


窓の外の空が薄く染まり、心に鈍い痛みが走る。


終わってしまったのだ――


そして、少年は初めて軍服に袖を通した。


まだ大きめのそれは、彼の小さな身体を包みながら、“兵士”という名の未来を押しつけてくるようだった。


エヴァレットはその背中を見送りながら、胸の奥に沈殿した罪の意識を、どうしても振り払えずにいた。


戦地には行かない。しばらくは訓練兵としての生活が続くはずだった。


だが、現場は常に“想定外”に満ちていた。


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