第5話:子どもの姿、大人の境界

その日も、エヴァレットの執務室には軍服姿の女たちが群がっていた。


(……今日も香水に菓子に花。よく飽きねぇな)


セレスタイトはモップを持ちながら、ため息を吐いた。


(……あいつ、今日も来てやがる)


あの騒がしい取り巻きの中に、妙に浮いてる子どもの姿を、何度も見かけてきた。


向こうも、こちらを同じように見ていただろう。


黒髪は肩にかかるより少し長く、年はたぶん、自分と変わらない。


けれど、その立ち姿は妙に落ち着いていて、視線の鋭さも、周囲の大人たちにまったく引けを取らない。


まるで――


身体だけが小さくて、中身はまるっきり別の何か。


セレスタイトは、そんな印象を抱いた。


「大佐、今日も麗しいですねっ!」


その声は無邪気なようでいて、計算された間合いと抑揚があった。


エヴァレットは少女に視線を向けると、どこか慈しむような微笑みを浮かべて答えた。


「……ありがとう」


女性たちがざわめく中で、その少女はくるりと踵を返し、今度はセレスタイトに向き直った。


「ねぇ、あなた、大佐の部屋で働いてるの?」


「……まあ、そんな感じ」


「へぇ。料理もできるの?」


「……毎晩作ってる」


「ふふっ、意外。見た目よりずっと“家庭的”なんだね」


少女はくすっと笑った。


「――あなた、大佐に気に入られてるんだね」


「……は?」


「“お前”って呼ばれてたでしょ。あれ、あの人にとっては特別な呼び方よ。


基本的に“君”って呼ぶ人だよ、大佐は。


でもあなたは違う。“お前”。


ね? 距離の違い、ちゃんと分かるでしょう?」


確かに、エヴァレットが自分を“お前”と呼ぶようになっていた。


最初は“君”だった気もするが――いつから変わったのか、思い出せない。


少女は、そんなセレスタイトの表情をじっと見つめながら、小さく微笑んだ。


「……特別な呼び方って、言葉より正直なんだよね」


「……あの人、私のことなんて見てないって、分かってるんだけどね」


少女は唇をかすかに尖らせた。


「あの人のそばには、いつもあなたがいる。……なんか、ちょっとだけ羨ましくなるの」


セレスタイトは、少しだけ眉をひそめた。


「……俺がどうとか、関係ないだろ」


少女はくすっと笑った。


でもその笑みの奥には、ほんの少し、滲むような寂しさがあった。


「ねえ、あなた、何歳?」


「10……」


「ふーん。見た目どおりね」


「……お前は?」


少女は、きょとんとしたあと、にっこりと笑った。


そして、まるで世間話のように、さらりとこう言った。


「私は33歳よ。二度目の人生なの」


セレスタイトの眉がわずかに跳ね上がった。


「……は?」


「アメリウムを飲んだの。20で一度死んで、また赤ちゃんから始めて……これが二度目」


彼女はひどくあっさりと言う。


その言葉が、どれほどの重さを持つかなんてこと、まるで関係ないかのように。


セレスタイトは目を細めた。


「……本気で言ってんのか」


「信じないの?」


「子どもが軍に出入りしてる時点で、おかしいって分かってた」


「ふふ、賢いね。……でも、信じてくれてありがとう」


少女はそう言って、小さく会釈した。


「こっちの世界、二度目でもまだ慣れないことだらけ。……早く大人の姿に戻りたいな」


彼女は髪を払うようにして、ふっと遠くを見るような目をした。


「なんか、心と身体がちぐはぐで、疲れるの」


その声には、疲労とも諦めともつかない、妙に澄んだ響きがあった。


言葉は軽いのに、奥の奥で、何か大きな重さを背負っているような――


セレスタイトは、黙ったまましばらく彼女の横顔を見つめていた。


「……なんで、また戻ってきたんだよ。二度目って、自分で選んだんだろ?」


問うようでいて、問いきれていないようなその言葉。


それに、少女は少しだけまばたきして――一瞬、瞳にかすかな陰りを浮かべた。


ほんの一拍の沈黙のあと。


「……さあ。なんでだろうね」


少女は、にっこりと笑った。


「たぶん、誰かのそばにいたかっただけ」


その“誰か”が誰を指しているのか――彼女は何も言わなかったし、セレスタイトも聞かなかった。


ただ、その微笑みの奥に、少しだけ苦くて、やさしい想いがにじんでいた。


ほんの一瞬だけ、風が通り抜ける。


彼女の髪が揺れ、淡い光がその輪郭をやわらかく撫でた。


(……なんなんだ、こいつ)


何が“ずるい”のか、よく分からない。


ただ、面倒な絡み方をしてくる人間とは違って、妙な嫌悪感はなかった。


少なくとも、無理に距離を詰めてくる感じはない。


「……俺がどうとか、関係ないだろ」


少女はくすっと笑った。


その笑い方も、やけに素直に見えた。


「そういえば、名前聞いてなかったよね?」


セレスタイトは立ち止まり、ちらりと少女を見た。


「セレスタイト・オルディス」


少女は小さくうなずいた。


「セレスタイト、か。綺麗な名前ね」


セレスタイトは何も返さなかった。


けれど、その呼ばれ方は嫌じゃなかった。


「私は、ミレーユ・カーミラ。……じゃあね、セレスタイト」


片手を軽く振って、少女は背を向けた。


セレスタイトはその背を見送る。


残ったのは、ほんの少しの違和感と、静かな印象。


嫌な奴じゃない――ただ、それだけだった。

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