二日目
「じゃーん、来てみました。思い出の場所・その1、神社!」
朝のホームルームが終わると同時に、西園寺遥は俺の腕をぐいっと引っ張って校門を出た。
平日の午前中に抜け出すという背徳感と、彼女の笑顔の破壊力で、思考が完全に停止していた。
「……ここって、昔よく来てたとこ?」
「たぶん、そう。ほら、夏祭りのときにさ、君と……あれ? 君って呼び方、変かな?」
遥が小首を傾げる。
「瑞樹」って名前も少しずつ曖昧になってきているのかもしれない。
心のどこかが、きゅっと締めつけられる。
「全然。好きに呼んでいいよ。……それにしても懐かしいな、ここ」
石段の上、朱色の鳥居。
風鈴が風に揺れて、小さく鳴っていた。
「確か……君、金魚すくいで10匹くらい取ってドヤ顔してたよな」
「えっ、マジで? 私そんな器用キャラだったの?」
「いや、それがさ。調子乗って、翌年ゼロ匹だった」
「はは、なにそれダサい!」
遥が笑う。
その笑顔を見た瞬間、なぜだか俺の胸がズキンと痛んだ。
“この笑顔も、もう見られなくなるのかもしれない”――
そんな予感が、どこかに貼りついていた。
「……でもさ」
遥が、ぽつりと呟く。
「不思議だよね。ここに来てると、“懐かしい”って感じはするのに――中身が、空っぽなの。
映像だけ残ってて、音も匂いも、感情も……全部、薄くて」
「そっか……」
「記憶ってさ、どこに残るんだろうね。頭の中? それとも、心?」
俺は答えられなかった。
代わりに、リュックから持ってきたスケッチブックを取り出す。
「これ、前に遥が描いたやつ。家の押し入れから出てきた」
そこには、子どもの字で書かれた絵日記。
『今日は瑞樹くんと神社にいった。たのしかった』と、へたくそな字。
遥は、それをじっと見つめた。
笑顔でもなく、涙でもなく、ただ真剣なまなざしで。
「私、こんなふうに笑ってたんだね。昔の私は」
「今も、だよ」
ふっと風が吹く。風鈴がまた、鳴った。
遥は絵日記を胸に抱えて、ぽつりとつぶやく。
「ねえ瑞樹くん、私……この絵の中の“たのしかった”って気持ち、どこかに置いてきちゃったのかな」
「……取り戻そう、これから。五日で、全部」
そう言うと、遥は目を伏せたまま、小さく笑った。
けれどそのとき――
俺の中に、ひとつの小さな違和感が芽生えていた。
遥は「たのしかった」と言ったけど、この絵日記には――俺の名前が書かれていなかった。
「瑞樹くんと行った」と、彼女は言った。でも、そこには名前じゃなくて、ただ「男の子」とだけ書いてあった。
その“男の子”は――本当に、俺だったのか?
心の片隅で、何かが静かにざわめいていた。
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