一の道 地獄にしては穏やかな

「……………………ここは何処だ? 俺が逝くのは地獄…………の筈なんだがな」



 目が覚めると、俺は草原の中に寝転んでいた。眩しい日差しに青い空、そこに浮かぶは白い雲。草原の緑は鮮やかに、遠く見える森や川は青空の下でよく映えていた。


 とても地獄には見えねぇが、この眩しさに草の匂いは夢にしては現実味があり過ぎる。それに、俺は自分が老衰で死んだ事を自覚している。ならここは地獄の筈だ。暴力と血に塗れた任侠道のみを突き進んで来た俺が、とっくに引退していたとは言え、地獄以外に逝ける筈がねぇ。


 しかし、この身体にこの服はどういう事だ? これは俺が若い頃に愛用していたワインレッドのスーツに黒シャツだ。ベルトや靴も愛用していたワニ革の逸品だな。スーツは残してあったが、ベルトと靴はとっくに捨てた筈なんだが…………。


 そして何より、俺は若返っている。身体を動かしてみた感じで解る。こりゃ二十代前半くらいの俺だ。心なしか考え方も若返っている気がする。考え事の声が若いような? まぁそれはいいか。


 なぜ若返ったのかは解らないが、何であれ若くて悪い事は無ぇだろう。しかし、全盛期って事を考えるなら、それより若いな。地獄のサービスにしては気が利きすぎている。



「ん? …………チッ、煙草は無しか。若返ったなら禁煙も必用ねぇかと思ったんだがな」



 煙草もそうだが、ライターも財布も、家の鍵も無い。俺が若い頃には携帯電話なんて便利な物は無かったからそれについては文句はないが、どうせなら煙草とライターくらいは欲しかった。



「さて、どうしたものか。地獄の作法など解らねぇしな。どこかに鬼でもいればいいんだが…………」


『…………ギギィ?』


「ん?」



 ふと気配を感じてそちらを見ると、草原にあった茂みの中から、緑色の肌をした小汚い小鬼が出て来た。全身緑色だが角は無く、しかし耳は尖っていて悪意溢れる顔をしてやがる。角が無くても、コイツは鬼だろう。背が小さくて俺の半分もないから、おそらく小鬼ってヤツに違いない。


 やたらと濁った眼をしたその小鬼は粗末な腰ミノだけの姿で、その手にはその辺で拾ったとしか思えない歪な木の棒を握っていた。もしかしたら武器のつもりか? 鬼は金棒と相場は決まっている筈だが…………。まぁ、非力な小鬼だからこそかも知れねぇな。あの細腕で金棒は持てまい。



「…………なんだよ、いるじゃねぇか鬼が。じゃあやっぱり、ここは地獄だな」


『ギギィィ…………。ゲギャギャッ!!』


「よお、俺は新参者の煉獄龍馬ってモンだが、ちょいと地獄の作法ってもんを…………」


『ギャギャギャギャッ!!』


「ムッ!?」



 突然奇声を上げて襲い掛かってきた小鬼を、俺は横に跳んで避けた。歪な棒で殴り掛かって来たが、動きも速さもお粗末だ。避けるのは簡単だった。


 ふと、地獄で小鬼が殴り掛かって来たのなら、避けちゃダメだったのかも知れないとも思ったが、流石にあんな間抜けな一撃を貰うのは御免だ。



『ゲギャッ?』



 まさか殴り掛かった時に眼を閉じていたのか? 小鬼は俺が避けたのが解らなかったらしく、キョロキョロと辺りを見渡してから俺を見つけた。


 そして、再び襲い掛かる姿勢を取る。



「やれやれ。小鬼ってのは話が通じねぇのか。だが流石にお前さん程度に叩きのめされるってのは、俺のプライドが許さねぇ。悪ぃが、ちょいと気絶して貰うぜ?」


『ゲギャギャギャギャッ!!』



 小鬼が地団駄を踏むような動きをしてから、構えを取った俺に向かって跳んで来た。


 両手で持てばいいものを、片手だけで力なく振り下ろされる歪な木の棒を避けつつ側面に回り込み、俺はその横っ腹を真っ直ぐに殴り抜いた。



「フンッ!!」


『グゲリャッ!?』



 と、その瞬間。小鬼の骨が何本か砕ける感触が手に伝わって来た。そして俺に殴り飛ばされた小鬼は地面を二・三回跳ねると、地面に横たわったままピクリとも動かなくなった。


 …………なんだ今の軽さは? しかも脆い。


 俺は横たわったまま動かない小鬼に近づいて、その様子を探ったのだが、なんと信じられない事に、たったあれだけで小鬼は絶命してやがった。



「おいおい嘘だろ。たったあれだけで死ぬのかよ。ってか、これ大丈夫なのか? 勢い余って鬼を殺しちまったが…………」



 誰にも見られてないかと周囲を見渡したが、幸い人影も他の鬼がいる気配もない。


 だがどうするか。埋めるにしても道具が無い。


 これは困ったな、と小鬼を見てみると。そこにはどういう事なのか、空気に溶けるように消えていく小鬼の姿があった。小鬼だけではなく、腰ミノや手に持っていた歪な木の棒も消えてしまった。


 そしてその代わりなのか、小鬼がいた所には、ビー玉程度の小さな石が転がり落ちていた。光沢のある黒い石で、それは黒曜石のように見えた。



「どうなってんだ? …………埋める手間が省けたのはいいが、地獄の鬼ってのは皆こうなのか?」



 首を傾げながら残された黒い石を拾う。小粒な黒い石だが、なにやら妙な感じもする。鬼が残した物と考えれば、これが普通なのかも知れないが…………。


 まぁ、せっかくだし貰っておく事にした。奇妙な物だが、あの小鬼の弱さからして、例え『呪い』なんて言う物騒なモンがあったとしても大した事はないだろう。


 こちとらシノギで、幽霊が出る家で寝泊まりしてた事もあるし、殺しの現場の掃除なんかも若い時分にやっている。いまさら小鬼程度にビビったりするほど若くねぇんだ。



「…………ふぅ、しかし良い所だなここは。風も気持ちいいし、何気に土や草を踏む感触が懐かしいぜ」



 都会で生きてウン十年。気がつけば土を踏みしめる感覚も忘れていた。まさかそれを地獄に落ちて思い出すとは思わなかったが、悪くない気分だ。


 だが、このままって訳にもいかねぇな。取り敢えずあの川沿いに歩いてみるか。何せ、水を入れる物どころか俺は何一つ持っていない。せっかく水場があるのなら離れたくはないのだ。


 そんな訳で、俺はしばらくは川沿いを歩きながら地獄の住人を探す事にした。だがあの小鬼はダメだな。言葉が通じねぇ。





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