7月3日火曜日1

 大学近くのカフェ。目の前の文乃は、手元の本に視線を落としていた。


「私のことは気にしなくていいから」と文乃は真琴の手元を指さした。

「がんばって」


 文乃の言葉に「はい」と真琴は返事をした。

 真琴の目の前に積みあがったノート。ただのノートではない。文乃特製の定期テスト用に授業内容をまとめたノートがテーブルの上に並べられていた。


 2日前に未来ラジヲに真琴はリクエストした。その翌日、明日香に「何なのよ、あのリクエストは」と冷たく言われたリクエスト。

『大学の定期テスト向けの万全なノート全教科が近日中に集まりますように』

 本当に集まった。しかも一気に。

 ほぼ同じ講義を受けている文乃が定期テスト用に再編をし、準備をしてくれていた。


 ただ、一気に届くとは……


 真琴は頭を抱える。

 真琴がいる大学の定期試験の大半は、ノートの持ち込みは許可されている。が、ノートのコピーの持ち込みは許可されない。これは、普段の講義に対して真摯な態度で励んでいるという証らしい。デジタル当たり前の時代に、時代錯誤もいいところだ。


 真琴の目の前にノートの山が立ちはだかる。

「バイトまでにはお願いね」

 文乃の言葉が追い打ちをかける。

「はい」と返事するしかなかった。真琴は、必死でノートをひたすら写し始めた。




 文乃はどこか楽しそうである。文乃……あんた、どエスなの?


 文乃の……この片鱗は昔からあった。勉強を教えてもらう。宿題を写させてもらう。そして、今、大学のノートを写させてもらう。そういえば、中学の時、夏休みに調子にのって遊び過ぎた真琴は、ほぼすべての宿題を写させてもらったことがある。その時も、目の前に文乃がいて、手が痛いという泣き言を言っても「夕方までにはお願いね」とだけ言われて……我慢しながら必死で写したのを思い出した。そのあと、手が痛いと言っても、腰が痛いと言っても文乃は許してはくれなかったのを鮮明に覚えている。


「ほんと、真琴は昔から変わらないよね」


 本に視線を外すことなく言った。中学の夏休みの時も、文乃は本を読みながら待ってくれていた。


「文乃だって。その本、昔から読んでいるよね」

「まあね。子供向けのように見えるけど、読むたびに感じるものが違うのよね。だけど、最後は消えていなくなる」


 消えていなくなる?


 そんなことより、この膨大なノートを写さないと。


「そういえば、小川君とはあれからどうなのよ」

「なにもないわよ」

「だって、担当同じじゃない」


 文乃はバイトのことを言っていた。2日前に偶然なのか、未来ラジヲのおかげなのか、バイト先に小川が入ってきた。しかも、真琴と同じ部門である。でも、まだ2日。今日で3日目。真琴は仕事の話しかしていない。


「私が言うのもなんだけど、バイト先では小川君の話で持ち切りだよ」と文乃が切り出す。

「小川君の話?」

「女の子たち……あ、パートのおばちゃんも含め、人気高いわよ」

「そうなの?」

「うん。それに、大学内でも小川君がバイトしているって話をしている声も聞こえたし」


 おとなしい顔をして、意外に聞き耳を立てている文乃。真琴はそういうことに昔から疎い。


「小川君にとられちゃうわよ」と文乃がアイスコーヒーを口に含んでから、真琴に視線を向ける。

「ライバルはパートのおばちゃんか」

 真琴は笑いないながら言うが、文乃は真顔になる。

「ありえないことはないわよ。恋愛なんて。趣味趣向なんて千差万別。小川君の好みは年上のおばちゃんかもしれないし。もしかすると同性かも……」

「え?そうなの?」

「知らないわよ。私なんて、しゃべったこともないんだから。そういう質問は明日香に聞いて」と言いながら笑った。文乃は言葉を続ける。

「でも、ホントにうかうかしていられないかもよ。明日香から聞いたんだけど、大学内の小川君人気は急上昇しているらしいわよ」

「何よ、その情報。なに調べ? アンケートでもとっているの?」

「違うわよ。でも、私にも少し噂が耳に入っているわよ」

「なにを?」

「高木君よ」

「なんで、高木君? 昨日の続き?」

 大学祭の学年別美男子ランキング学年1位の高木と、美女ランキング1位の前園が付き合い始めたという話のことだ。

「その話が小川君人気と何が関係あるの?」と真琴は言葉を付け加えた。

「まあまあ……最後まで聞いて。明日香が言ってたじゃん。悪い噂が広がっているって。今は『前園さんの趣味が悪い』って。『高木君の手口もエグい』ってのも、どんどん広がっているみたい。まあ、当然の広がり方だとは思うけど」

「高木君の言われようはわかる気がするけど、前園さんに対しては、ただの嫉妬のような気がするけど」

「そうなのよ。それともう1つ、変な噂も流れているのよ」

「変な噂?」

「前園さんの元カレ。事故った山田君なんだけど……もしかしたら、高木君が仕向けたんじゃないかって」

「なにそれ。ドラマ見過ぎじゃない?」

「それがね。高木君とその友達が話をしてたんだって。『山田を事故らせて……うまくやったよ』ってみたいなことを」

「うまくやった?」

「そう。どうもそれを聞いた子が何人かいるみたいで。その聞いたって子が広めたみたい」

「それって、高木君のアンチがでっち上げたとかじゃないの? もしくは、前園さんのアンチ?」

「前園さんにアンチがいるかどうかはわからないけど……アンチ高木君っていう線は賛成だね。そうでないと、こんな速さで広まらないと思う。でも、こんな作り話みたいな噂でも信じる人はいるし、おもしろがって広げちゃう人もいるわけだから……」

「無茶苦茶だね」

「ウソでもホントでも、そんな噂が流れると、当人の印象は悪くなる。でもね、観客は事実がどっちなんてどうもよくなってくるんだよね。おもしろいほうが真実ってやつ」

「それで、自然と小川君の株が上がってくるわけか」

「コアな高木君ファンは別として……ミーハーな高木君ファンは小川君に興味が向く。アンチ高木君は単に陥れたいって感じだと思うから……自然と高木君の評価は下がり、人気票は小川君に流れるみたいな……感じかな」

「なるほどね。でも、そんなに高木くんっていいかなぁ?」


「コアの小川君ファンに言われてもね……」


 文乃の言葉に、真琴は言葉を詰まらせた。

 文乃はコーヒーをひと口のみ、言葉を続ける。


「でも、高木君にとっては問題よね」

「彼女の前園さんにも悪いしね」

「そうじゃないわよ。昨日、明日香も言ってたでしょ。高木君は自己顕示欲の塊みたいな人よ。自分のファンが離れていくなんて、胸中穏やかじゃあないと思うよ」

「なるほどね」

「小川君に、『オレの女をとられたぁ』みたいなことを考えているかも」

「あり得るね」と2人で笑った。



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