7月2日月曜日

 今朝は学内が少しざわついている気がする。


「ショートカット軍曹。何なのよ、あのリクエストは」

 講義開始10分前。真琴は文乃と並んで座っており、遅れて明日香が真琴の隣に席を陣取った。


 文乃が「何の話?」と首を傾げる。

「前に話をした不思議な話よ。小川君を尾行した時に……」

「ああ、あのラジヲのアプリの話ね」と言うと、文乃は急にこの話題の興味が無くなったようで、授業の準備を始めた。

「で、何よ。あのリクエストは」と明日香が真琴に詰め寄る。

「私の中で、本当にラジヲに出したリクエストが叶うのか試したかったの」

「真琴、1回目は置いてといて……2回もリクエストを試すって。残り2回でしょ。もったいない」

「いいの、いいの。別にリクエストなんて思いつかないし」

「ふーん。で、あたしのリクエストはどうだった?」

「高収入の男の話?」

「それは、今日、動きがある予定だからまだよ。たぶん、夜じゃないかな。そのことじゃないわ。あたしのことじゃあなくて、小川君よ」

「あ……それは……」と口ごもりながら、小川がバイト先に入ってきたこと、同じ部門に配属されて一緒に仕事をしたこと、脚立から落ちたことまで説明をした。


 明日香が真顔になる。

「イケる……イケるわよ、真琴」

 その目が怪しく光る。

「夏。夏よね。恋の夏。恋のサマーバケーション。今年の夏は、真琴のものだわ」

「はぁ? 意味が分からない」

 明日香のテンションに、真琴の方が恥ずかしくなる。

「この夏。大学2年の夏。20歳という大切な夏。周りのみんなも動いているわよ……ねぇ。今、すごい噂になっているカップルの話、聞いた?」

「なになに?」

「高木くんと前園さん、付き合いだしたんだって」


 学園祭の毎年恒例イベントの1つ『イケメンランキング』。昨年の学年別の『美男子ランキング』で1位に輝いた高木と、『美女ランキング』1位の前園。

明日香によると、その2人が付き合い始めたと言っている。一般的には美男美女のカップルなのだが……


 「あれ? 前園さんって、山田君と付き合っているんじゃなかったっけ?」


 山田は『美男子ランキング』2位。こちらもいわゆるイケメンの部類に入る男だ。

真琴自身も見かけたことはある。個人的には3人とも知らない。挨拶もしたこともない。単に同学年で顔と名前を知っている程度だ。だが、この3人は目立つので、山田と前園が付き合っているということくらいは耳にしていた。講義も2人並んで受けているし、言われなくても親密な関係であることは誰の目にも明らかである。


「あたしも3人のことはよく知らなくって……友達に聞いたんだけど、山田君事故っちゃったらしくて。かなりひどい事故だったみたいで、体に障害が残るかもって。で、別れたらしいわ」

 文乃が「朝から、エグい話ね」と会話に復帰した。

 真琴は「傷心の前園さんに、美男子1位の高木君が優しくしたのかな? それで、美女1位を横取り?」と明日香に視線を投げる。

「そうかもしれない。でも、今は美女1位の前園さんが事故った山田君を捨てたっていう嫌な広まり方をしているわ……まあ、私はそういうドロドロな筋書きも嫌いじゃあないけどね」と明日香はにこりとした。

 明日香が言葉を続ける。

「でも、どちらにしても、2人とも印象最悪になっちゃったよね」

「一方は障害が残った彼氏を捨てて、別のイケメンに走った女。もう一方は、弱っている彼女を奪ったみたいな構図だよね」

「そうね。それに、確か……高木君って、女子周りではアンチも多いんだよね。だから、余計に評判悪くなっちゃったかもね」

「え? そうなの?」と真琴が聞き返す。正直、高木にあまり興味はないが、定期テストの情報収集役の際に立つかもしれないものは頭に入れておきたかった。

「高木君って見た目だけっていう噂。軽いし、嘘つくし、約束破るし、信頼ゼロ。自己顕示欲も高くって、自分のSNSのアカウントばら撒いているらしいわよ。フォローしてくれってさ。そのうえ、手当たり次第、女に手を出しているらしいわ。友達には今カノ、元カノの悪口ばっかり言っているみたい。ま、どこまで本当かわからないけどね」

「なるほどね。典型的な女の敵っていうパターンなわけだ」と真琴は腕を組んで頷きながら、頭の中のメモ帳に刻む。


「それに……イケメンか? アイツ」


 急に明日香のアイツ呼ばわり。確かに髪型や服装はおしゃれにしており、流行にも合わせてはいるが、正直、真琴自身も好みではない。

「そうね……わ」

 私は好みではないと言おうとしたときに、明日香が言葉を遮った。

「真琴に聞いたのが間違いだった。小川君命の真琴にとっては、愚門だったわね」

「ちょっと、それ、どういうこと……」


 文句を言いたかったが始業のチャイムが鳴った。だが、教室内のざわつきは収まらなかった。



 教室にひとり、勢いよく駆けこんできた。まだ教授が来ていないので、セーフだ。

 その男はいつも教室の前の方を陣取っている、真琴たちが勝手にストッパーと呼んでいるオタク気質の男だった。今から受ける講義の教室は狭く、生徒数分しか席がなかった。

 明日香の隣だけが空いていた。


「ここ、いいかな」とストッパーが明日香に声をかけた。

「もちろん、どうぞ」


 明日香は相手が誰であろうと態度を変えない。区別をしない。しかも、その態度は誰にでも優しく、大人の対応。


 走ってきたのか、息が荒く、時々、せき込んでいる。

「気休めにしかならないと思うけど、よかったらどうぞ」

 明日香はストッパーに飴を渡していた。

「あ……ありがと」

 ストッパーはそれを受け取った。


 真琴は明日香の肩越しにストッパーを見た。ストッパーの顔をまともに見たのは初めてだった。が、ストッパーと目が遭ったので、思わず外してしまった。

 落ち着いた色の茶髪をセンダーで分けている。小太りで童顔。顔の艶は良いといった感じだ。少し顔が赤い。走ってきたからか?


 再び、真琴はストッパーを見る。ストッパーは明日香にお礼を言っていたが、ふいに視線がこちらにむき、また、視線が重なった。今度は失礼のないようにゆっくりと視線を外した。

 名前はなんて言っていただろうか。


 そうこうしているうちに、教授が姿を見せ、授業前の出欠確認の点呼が始まった。

 「栗原和真」

 教授に呼ばれたストッパーが返事をした。


 ああ、そうだ。そんな名前だった。名前は男らしく、なんとなくイケメンっぽい。



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