7月1日日曜日2

 夕方16時45分。真琴はバイト先に到着した。15分もあれば、余裕でバイトの準備ができる。更衣室でお店のロゴの入ったポロシャツに着替え、事務所入り口に設置されている端末で業務開始ボタンをタップする。

 真琴のバイト先は中規模のホームセンター。真琴が住んでいる県域ではよく見かける形態の店舗で、食品だけでなく、日用雑貨や工具、おもちゃ、衣料品、ちょっとしたゲームコーナーまである。おしゃれや流行には乏しいが、生活するために必要なものは全てそろう店舗である。

 ここで働いているパートやアルバイトは、業務開始ボタンをタップしたあと、最初に自身が担当する部門のバックヤードに移動し、今日の業務や店舗状況を把握、同じ部門の同僚から引き継ぎを受けるよう従業員教育を受けている。真琴もこの一連の作業をするためにバックヤードへ向かう。珍しく事務所の隣にある来客用の応接室の扉が閉まっているのに気が付いた。が、特に気に留めずバックヤードへ歩いていった。


「おはよ、真琴」

 サービス業のあいさつは夜でも「おはようございます」が基本である。

「おはよ、文乃」

 職場に倣って挨拶で返した。

「ねぇ、見た? 応接室閉まってたでしょ」と文乃が言った。

 応接室が閉まっている時の理由のほとんどは3つに絞られる。社員会議、パートやアルバイトの面接、あとは、万引き犯が捕まった時。

「新人?」

 真琴の言葉に、文乃がうなずきながら「正解」と頷いた。

「私もまだ見ていないから、どんな人が来たのかはわからないけど、パートさんたちが『イケメンが来た』って騒いでいたわ」

「ほう……楽しみだね」

「私は、あまり興味がないけど……イケメンよりは、話しやすくて、使える人の方がいいんだけどね」

 相変わらずのクールな対応と、昔からこのブレない思考。安定の文乃だと、真琴はうなずいた。

「あ、小川君だったらいいのにね」

 文乃の突然の言葉攻め。クールな文乃はどこへ行った?

「そんなわけないでしょ」と、文乃の言葉を一蹴した。


「あ、藤本さん。ちょうどよかった。こっちに来て」

 真琴が担当している部門、おもちゃや文房具を陳列しているホビーコーナーを受け持っている社員が手招きをしている。

「新人さん、ホビー担当なんだね。教育係がんばって」と文乃が手を振ってきた。真琴も軽く手をあげて応え、社員の背中を追った。



 応接室に入って、真琴は固まった。

 応接室に座っている小川。まさかの万引き? いや、違う、違う。新人って文乃が言っていた。

 小川と目があった。思わず目をそらし、真琴は社員の方に顔を向けた。

「今日から一緒に仕事をしてくれる小川君。今日は藤本さんが見てあげてね」とニコリとする。

 ニコリじゃあないよ。

「じゃあ、今日は藤本さんについて仕事を覚えてくださいね。ゆっくりでいいから」

「わかりました」と小川は社員の人に返事をした後、こちらに顔を向け「藤本さん、宜しくお願いします」と頭を下げた。

「よ……よ……よろしく、おねがいします」

 少し声が上擦った。


 小川を引き連れて店内へ。なんとも言えない緊張感。

 真琴の視界に文乃の姿が入った。文乃も目を丸くしている。が、明日、学校で明日香と2人で弄られることが確定した瞬間だった。

「あの……藤本さん」

「は、はい」と固まった。ゆっくり小川の方を向いた。

「間違っていたら申し訳ないけど……同じ大学だよね。学年も一緒」

「はい」とぎくしゃくしながら返事をした。

「やっぱり、教室で見たことがあるから。同い年の人がいてよかった」

 顔が熱い。真っ赤になっていない? 小川君にバレてない?

「藤本さん、改めて、宜しくお願いします」と小川が軽く頭を下げてきた。

「よ……よろしく、おねがいします」と頭を下げ返した。


 そのあと、自分の担当の持ち場や業務の説明をしたはずである。だが、舞い上がってしまい、どのように説明したかよく覚えていない。

 小川と離れた後、そっと様子を覗いてみる。この業務の基本である搬入されてきた商品を整理整頓しながら並べるという作業を小川がしていたので、たぶん説明できたのだと思う。

 入荷してきたぬいぐるみを抱え、陳列場所を探している小川は何とも言えない。かわいいという表現があっているかどうもわからなが、その姿が頭から離れなかった。



 勤務時間の終わりに近づいていた。

 真琴は踏み台に上がり、棚上にあるストックされている商品を取っていたとき、踏み台の近くを子供が駆け抜ける。その子供の足が踏み台に引っかかり、真琴は踏み台の上でバランスを崩した。

「危ない」と小川が駆け寄ってきた。

 小川が手を伸ばし、上半身を抱きとめてくれた。が、尻もちはついてしまい、お尻から腰にかけて鈍い痛みが走る。

「痛ったぁ」と思わず声が出た。

「悪い。間に合わなかった」

 抱きとめてくれた小川の顔がすぐそこにあった。が、その顔の近さに小川が先に気付き、ばつが悪そうに立ち上がった。そのあと、真琴の手を引き、起こしてくれた。

「大丈夫か?」

 小川の顔が赤い。いや、耳まで赤い。クールなイメージの小川が見せるその顔は新鮮……と言いたいところだが、お尻の痛みの方が勝った。

「大丈夫、大丈夫」

 転倒した時の大きな音で、近くにいた別のバイトの仲間が駆け寄ってきた。

「大丈夫、大丈夫だって」

 その言葉と真琴が立っている姿を見て、みんな持ち場に戻っていった。


 小川も自分の業務に戻っていったが、真琴はお尻のポケットに入れていたスマホの存在を思い出した。恐る恐るスマホを取り出すと、縦横無尽にその画面にひびが入っていた。

 はぁと深くため息をついた。普段なら更衣室に置いておくがルールなのだが、なぜか、今日に限ってポケットから出すのを忘れて業務に入ってしまっていた。

「サイアク……」

 小川君に会ったまではよかったが、小川君の前でカッコ悪い姿を見せて、そのうえスマホまで壊れた。ありきたりな言葉だが、天国から地獄とはこのことか。ほんとに、こんなことあるんだ。

 割れたスマホをポケットに戻し、業務に戻った。


 バイトが終わり、更衣室で文乃と話しながら出てきたころには、小川の姿はなくなっていた。

「でも、よかったね。小川君が入ってきて。これから、仲良くなれるんじゃない?」

「サイアクだよ。カッコ悪いところ見せちゃったしなぁ」

「ま、これからだよ」と、なぜか文乃が嬉しそうに笑った。

 そう言って、2人でバイト先を後にした。



 文乃と別れた後、家までのあと5分というところで、真琴は脳内シミュレーションをする。このスマホをどうやって直すか。

 お金はない。だが、直さないと不便だ。不便すぎる。それに、定期テストに直面している今、この情報収集ツール……いや、諜報ツールが無くなることは、単位が取れないことを意味する。これは、真琴にとって「死」に等しい。

「お母さん。新しいスマホが欲しい」

「お母様、あれ?今日化粧のノリがいいね。何かいいことあった。へぇ、そうなんだ。あ、そうそう、スマホの画面が割れて……」

「母上、新しい携帯を所望……」

 いいのが思いつかない。真琴の頭の中では、小川のぬいぐるみを持った姿が頭の中で何度も反芻されていた。集中出来ない。

「ダメだ……」

 頭を抱えているうちに、家の前に到着した。

 玄関を開けるなり、父親に呼ばれた。仲が悪いわけではないが、物静かな父から第一声がかかることが珍しい。しかもその言葉に耳を疑った内容だからなおのことである。

「真琴も携帯、機種変するか?」

 母親が自身のスマホの画面を割ったらしい。また、中学3年の弟もスマホが必要になっていることもあり、この際、家庭内のスマホの見直しをまとめてしようかと盛り上がっていたらしい。


 真琴も画面が破損したことを言い、明日の夜、ショップに行くことで話がまとまった。



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