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それから何年も経ち、

ドゥラカの背も大分伸びた頃、

ドゥラカはエドゥアルド・カストロという

ガリシア人の青年に出会った。

ドゥラカは相変わらず、

周囲の人間と馬が合わないまま育ったが、

カストロはドゥラカの言い分をわかるふりをした。

実際、カストロは、ドゥラカの言葉をよく頷いて聞いたし、

ドゥラカも、カストロが

自分の事をよく理解している

という言葉を、信じたふりをした。

つまりはそれは若さなのであった。

それというのも、彼の魂には

何やら捻じ曲がってもいない、

錆びてもいない、

鉄の棒の様なものが刺さっていて、

それはヒターノの仲間達が持ち得ない

ドゥラカにとって新鮮なものであったからだ。

時々、それがとんでもなく融通が利かず、

青臭く、めんどくさいと思う事もあったが、

その直感を彼女の中の若さが曖昧にしたのだ。

ヒターノにはヒターノの、

神父には神父の魂がある事は、

承知していたドゥラカだが、

社会主義者の魂は、彼女には初めてだったのだ。


カストロは言った。

「僕がやろうとしている事は、

とても歴史的に正しい事だ!!

ガリシアの誇りと言葉を永遠のものにし、

死ぬまで闘うつもりだ。」

青年の信じる自由をドゥラカも信じた。

そして、反対する家族と訣別し、

ドゥラカは彼の側に残った。

それが自由だと信じたのだ。


しかし、二人の関係は長くは続かなかった。

ある日、カストロは言った。

「神は僕らの闘いを見守っている。

僕らの行いは神と共にある。」

それを聞いてドゥラカは言った。

「私はそうは思わない。

あんたのその闘いは、あんたの為にやるんだよ、エド。

そこに神の力なんていらないね。」

「なんでそんな事を言うんだい?」

カストロは驚いて言った。

「神は正しい者の味方だ。

決して略奪者共の魂は守らない。」

ドゥラカは笑った。

「神だって糞をするんだ。

なぜかって、糞が腹に溜まったら苦しいからさ。

天使も、悪魔も、社会主義者も、

自分の為に皆、糞をするんだろ?

なのに、糞にいちいち金色の免罪符なんてつけているから、

結局は、粗末な楽園にしか行けなくなっちまうのさ。」

カストロは憤慨して言った。

「全く君ってやつは、罰当たりなヒターノだ!!

楽園に行く事が悪いというのかい?

よしてくれよ。」

「悪いさ。

糞に正しいだの、間違いだのあるもんかね。

糞は糞だろ?

なのにあんたは、いちいち糞に

上等なブルボンの王族の名前をつけなけりゃ、

厠にも行けないと言う。

自分の傷が名誉の負傷と言われなきゃ、

喧嘩も出来ないのかい?

汚い血反吐は吐きたくない?

それは自由じゃない。

とどのつまり、

偽善とは臆病者の掲げる旗だ。」

ドゥラカは捲し立てた。


その日以来、ドゥラカは日課にしていた

勉強の進路を少しだけ変更した。

レーニンや、リーガの本を本棚に戻し、

代わりにジョン・ディーや、

古臭いユダヤの本を読み始めたのだ。

それを知ったカストロは大反対したが、

ドゥラカは全く彼の言う事に耳を貸さなかった。

ヒターノの権力者の言う事すら跳ねのけた女が、

青臭い若者の言う事に

耳を傾ける筈がなかったのだった。


それからしばらくしてドゥラカは言った。

「エド。

私は私の行くべき所に行く事にするよ。

どうも、私は組合よりも、

墓地の方が性に合ってるみたいなんだ。

別にあんたの事が嫌いになった訳じゃない。

つまり・・、そのぅ・・、

社会主義者も、魔女も、

どっちも棺桶に片足を突っ込んでる様な身だし、

何処かのサバトで会えるんじゃないか?」

「そうかい?

俺はお前の才能に期待していたのに。」

カストロは言った。

「そうだね。」

ドゥラカは答えた。

「それなんだよ。

その期待というやつはアンタらの病なんだね。

その期待の矛先に私はいないのさ。

言ってしまえば、あんたら男は、

聖母マリアという

何だかよくわからない奴をいつも見ていて、

それをどこかの誰かに期待している。

だけど、そいつは私じゃないんだな。

私は最初からあんたらの視線の先にはいないのさ。

家族という共同体の中の可愛い娘という誰か。

理想を追い求める

自分という男について行く何処かの女を、

あんたらは愛している。

あんたみたいに本を随分と楽しそうに読んで、

よく世の中の事をこねくり回せる男も、

長い人生を生きて、

人生の甘さも苦さも味わったヒターノの男も、

なぜか、そこにいない誰かの話になると、

とんでもない馬鹿になっちまうのさ。

その途方もない誰かをここに連れてこい、と言う。

そいつがいないというのなら、

今度は、お前が生涯をかけて、そいつを演じろと言う。

だがね、一つ問題がある。」

「なんだよ?」

ドゥラカはカストロが顔を真っ赤にして

躍起になってドゥラカの言葉を否定するものと思っていたので、

その彼のふてくされた返事に少しだけ驚いた。

それは、彼の本質。

今では大分、深い所に埋もれてしまった

純粋で繊細だった頃の彼の本質の様に思えた。

ドゥラカは考えた。

本当にこいつは、

昔は頭のいい奴だったのかもしれない。

だが、政治というやつが、

あるいは、正義というやつが、

人間を愚か者にしちまうんだな。

なぜなら政治の本質は自由ではないからだ。

自由を求め、政治という理想主義のまじないに手を出す者達は、

やがてその呪いに蝕まれ、何処にも行けなくなるのだ。

誰かに正しさを認めてもらわなければ、

糞も出来なくなる様な人間になってしまうのだ。

「もう行くよ。」

ドゥラカは言った。

「アンタには主義の翼があり、

私には私の為だけの羽があるんだ。

ただし私の羽は、死んだ蛾の羽みたいなものでね。

高くは飛べない。

だから、私のドゥラカという名前も、

飛ぶのには重たいからもういらないね。

今日から私は、罪という蛾(ポリリャ・デ・クルパ)を名乗るわ。」

そう言ってドゥラカは空高く飛びあがった。

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