第2話 注意するだけ…の、はずだった

翔太が使命感に燃えた翌日。

午前中の授業が終わった教室には、生徒たちの話し声や椅子を引く音が響いていた。

そのざわめきを背に、俺はカバンにしまってあった生徒会用のファイルを机に広げ始めた。


(追加の予算書は……)


パラパラとページをめくり、目的の資料を探す。しかし、いくら探しても見当たらないことに、俺は微かに眉を顰めた。


(昨日の騒ぎで入れ忘れた……?)


昨日の生徒会室での出来事を思い出し、僅かにため息を吐いた。俺は、ファイルの一番後ろに放り込んでいた手書きのメモを取りだす。昨日の帰りがけに翔太に押し付けられた水色のメモ用紙には、少し乱れた文字で


――如月陸――


と書かれていた。

名前の他に、生年月日、血液型、好きな食べ物や得意教科まで、いったいどこで調べてきたのか分からない情報も書かれていた。


(仕事に関係なくないか?)


その端にはカラーペンで”マジ尊い”と、書いてくるのが実に翔太らしいと、俺は思わず口元を緩めた。

その時、ふと近くに気配を感じて顔は上げると、いつのまにか卓也が机の前に立っていた。隣のクラスも授業が終わったところらしい。その手にはやや大きめのビニール袋がぶら下がっている。笑顔を浮かべてはいるものの、その目には微かな怒りが滲んでいて、俺は思わず気の抜けた声を漏らした。


「あっ」


「あっ、じゃないよ。またお昼食べないつもり?」


わざとらしくため息をつく卓也に、俺は「あー」と、視線を泳がせた。


卓也と俺は家が近く、親同士の交流も盛んだったため、小さい頃から家族みたいな間柄だった。昔から面倒見がよく、何かと世話を焼いてくるのだ。高校に入ってからも副会長としてさり気ない気遣いをしてくれる卓也は、自然と肩の力が抜ける相手だった。


「食に興味無さすぎ。天気がいいから中庭行こう。俺、お腹減ってるし」


そう言いながら、卓也は軽く俺の椅子を引いた。やや強引なその動きに促されるまま、俺は渋々席を立ち、廊下へと向きを変えた。その後ろで、ビニール袋がガサリと音を立てていた。



校舎の喧騒を抜け、俺と卓也は春の日差しが心地よい中庭のベンチでビニール袋を広げた。校舎の裏手に位置する中庭からは、渡り廊下を行き交う生徒たちの姿がよく見えた。時折優しく吹く風が近くの花を揺らしていた。


ガサガサと音を立てながら袋を広げると、中にはパンに、おにぎり、飲み物から食後のデザートまでかなりの量が入っていた。


「これだけでいい」


俺はその中の、サンドイッチとカフェオレだけを取ると、残りを卓也に押し付けた。その少ない食事の量に、卓也は「相変わらずだなー」と不満そうに呟いていたが、俺は聞こえないふりをして、カフェオレで喉を潤してから、サンドイッチを一口かじった。


「まあ、食べないよりはいいけどね」


面倒くさがって度々昼食を抜く俺に、卓也は肩をすくめながら無理やり納得しているようだった。


そんな穏やかな時間は、聞き覚えのある叫び声によってかき消された。


「あいつら…」


俺は声の方に目を向けると、見事なスライディングで駆の足にしがみつきながら、必死に叫ぶ翔太という奇妙な光景にこめかみを抑えた。


「ダメだ! お前じゃダメだ!」


「あっ!ぶなぁ!はぁ?なんでだよ!」


叫びながら勢いよく立ち上がり、翔太は駆の肩を両手でガシッと掴むと、真剣な表情で言い放った。


「お前は“顔面美学”に対する敬意が足りない!」


「意味わからん!」


(同意見だ)


そんな二人のやりとりにさらに頭痛が増した気がしたが、頭を振ることでそれを散らしながら翔太たちへ声をかけた。


「……君たち、何をしているのか、説明してもらえるかな?」


「え、会長?!なんでいるんですか!」


こちらに背を向け、駆の肩を激しく揺さぶっている翔太に、俺は普段より低く、抑えた声で話しかけた。

その瞬間、翔太は驚きのあまり声を裏返しながら叫び、俺の後ろにいた卓也は、一つため息をついた。

静かに怒りを溜めていると、突如茂みの方からくすくすと、笑い声が聞こえてきた。

視線を向けると、茂みの隙間から人の影が見えた。俺は少しだけど身体をずらし、声の主を探す。そこには、木の幹に寄りかかって座っている男子生徒の姿があった。

持っていた本で顔を隠してはいるが、その肩は確かに揺れていた。笑い声は彼で間違いないだろう。


「ふふっ…だめ、もう、むりっ」


漏れ出た言葉に俺は、見られていたと言う事実がジワジワと胸に広がっていくのを感じ、小さく舌打ちをする。

しばらく笑っていた彼は落ち着いたのか、顔を覆っていた本を閉じると立ち上がり、翔太の前で足を止める。


「演劇部の人?それともお笑い研究部?とか?」


口をぽかんと開けたまま、瞬きも忘れ、一心に見つめていた翔太に、まだ微かに笑いの声を残しながら話しかける。翔太は片手を勢いよく上にあげながら返事をしていた。


「はい!」


「いや、ちげーよ!」


駆の即座なツッコミが面白かったのか、一度落ち着いた笑いが込み上げてきているようだった。

すると突如、翔太が未だかつて無い暴走をしはじめ、俺の頭痛はいよいよ気のせいではなくなっていた。


「いっやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!かける〜!推しが!推しがぁぁぁぁ!笑顔の殺傷能力がぁぁぁぁ!!」


叫びながら駆に巻きついている翔太を睨みながら、俺は静かに駆の名前を呼んだ。


「……駆…」


その声には、低さと重さが滲んでいた。ただならぬ気配を感じた駆は、己に巻きついていた翔太をそのまま引きずるようにすぐさまその場を離れて行った。

静かになったその場所で、風が葉を揺らす音に混ぜて思わずつぶやいた。


「あいつら、後で泣かす」


「湊真〜乱れてるよー」


そう言いながら自分を見る卓也の姿に俺は口の中で小さく舌を打った。


「へぇ〜……生徒会長さんて、実は口悪いんだ」


(翔太に気を取られて忘れてた)


にこっと無邪気に微笑みながら、まだ、その場にいた元凶が俺を覗きこんできた。


「なんかごめんね?俺は如月陸っていいます。一ノ瀬会長?」


形だけの謝罪をしながら出てきた名前に俺は僅かに肩を揺らした。


(こいつが?翔太が言ってた…)


彼の正体が分かったことにより、今の騒ぎの理由に俺は今度こそ内心で頭を抱えた。


「…もしかして、素の会長って貴重じゃない?」


突如落とされたその言葉に、俺の呼吸がわずかに乱れる。思わず口を開きかけたが、すぐに唇を噛んで、飲み込んだ。


「……何の話だ」


本気とも冗談ともつかないその言葉に胸の奥を掬われた気がして、俺は一瞬だけ視線を逸らした。

そんな俺を卓也が「おや?」と小さく眉を上げたあと、スッと俺の前に歩みでると、如月陸に笑顔を向けた。


「いやぁーうちのがごめんねー。ちょっっと、ユーモアが暴走しちゃっただけなんだよー」


卓也の声に、張りつめた空気が和らいだ気がした。


「騒がしくしてすまなかった」


俺はそう言うと、ヒラリと背を向けそのまま静かに歩き出した。


「…なんか、面白いかも…」


そのつぶやきは、俺に届くはずがなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る