静かな日常は、君の声で波立つ

@hiyokomamedayo

第1話 いつもの騒ぎ…の、はずだった

1.いつもの騒ぎ…の、はずだった


窓から差し込む光が長く机に伸び、風に揺れるカーテンが淡く生徒会室へと影を落としていた。


運動部らしい練習する声を遠くに聞きながら、春の暖かな日差しを背中に浴び、俺は手元の資料を見つめていた。

顔を上げれば、紙に印刷された物や、パソコン画面など形は様々だったが、他のメンバーも淡々と自身の仕事に取り組んでいた。

俺の席から少し離れた席で、二年の藤堂瑠璃が少し眉をひそめながら不満そうな声を上げた。


「……昨年比で二割増しって、どんな計算よ」


「予算の“見積り”っていうより、“夢”なんだよね」


藤堂の言葉に、向かい側の席に座っていた同じく二年の百瀬駆が笑いながらチョコの包みを開けた。


「夢見るのは自由だけど、私に関係のない所で見てほしい」


藤堂がため息と共にそっと資料を机の上に置くと、ソファーでファイル整理をしていた二年の橘花蓮が、そんな二人のやり取りを微笑ましげな表情で見ていた。


「今日も平和だねぇ、生徒会」


「湊真はあまり平和そうではないけどね」


全員分の紅茶を入れていた三年で副会長の月島卓也が俺の前にそっとカップを置いた。

その口調は柔らかかったが、俺を見る目はなぜか楽しそうだった。淹れたての紅茶の香りを微かに感じながら、その湯気を見つめるように、俺は意味ありげに笑ってみせる。


「平和だよ、いつも通り」


ただ、今しがた確認した数が想定と少し異なり、頭を抱えたくなっただけだ。

そんな俺の考えを払拭するように、突如、叫び声とともに二年の佐伯翔太がドアを勢いよく開けて飛び込んできた。


「かける〜!!駆!聞いて!!」


翔太が勢いよく開けたドアから風が起こり、机の上の紙がふわりと揺れた。それを軽く整えながら、俺は翔太へと視線を向けた。


(今日も騒がしいな)


「顔が!顔なんだよ!」


「日本語話せや」


俺には全くもって意味不明な言葉を吐きながら、翔太は椅子の上にふんぞり返るように座っていた駆の肩を激しく揺さぶっていた。

その激しさに僅かに椅子がずり落ちそうになりながら、駆は翔太の言葉に淡々と返していた。

毎回のことだが、駆の翔太への鋭い指摘は目を見張るものがある。

俺は紅茶を飲みながら、いつもと変わらぬ二人のやり取りを内心楽しみながら見ていた。


「とりあえず、翔太くん、あーん」


そう言いながら花蓮は楽しそうに、駆のチョコをひょいと奪い、翔太の口へ放り込んでいる。


「それ、俺のチョコ…」


と、つぶやく駆を花蓮は気にも留めていなかった。

俺は静かに微笑むと、放り込まれたチョコをモグモグと食べ始めた翔太に、騒がしさの理由を尋ねた。


「で、今回はなんの騒ぎ?」


翔太は神妙な顔で一呼吸置いた後、勢いよく立ち上がると、早口でさらに意味不明なことを叫びだした。


「顔が理想的な推しを見つけてしまったんです!顔の造形美!だから、会長が二推しに降格してしまって、ごめんなさい!でも、嫌いになったわけじゃないので落ち込まないでください!」


何が「大丈夫」なのかもよく分からないが、それ以前に俺が落ち込む前提になっていることが不本意だった。

俺は内心を隠すように、さらに笑みを深めた。


「うっ、顔面殺傷能力がマックス…」


と、翔太が苦しそうに胸を押さえていた。

⋯本当に意味がわからない。


「花蓮、チョコ」

「はーい!えい!」


花蓮はニコニコしながら残りのチョコを一気に翔太の口へ押し込んだ。


「モガっ!」


チョコを押し返す暇もなく、翔太は思わずのけぞると、そのままぐらりと床に崩れ落ちるように倒れ込んだ。両手をバタバタさせながら、なんとか口の中のチョコを処理しようと必死になっている。


「俺が落ち込む前提で話すな」


落ち込む理由が存在しないのに、当然のようにフォローする翔太を冷ややかに見下ろしながら、俺は無機質に言い捨てた。

翔太はチョコを口いっぱいに詰め込んだまま、目を潤ませてこちらを見上げている。床にぺたんと座った姿勢のまま、もごもごと口を動かし続けていた。


「うわぁ、花蓮容赦ねぇ」


駆は椅子に深く座り直し、口元を手で軽く覆いながら、肩を揺らして小さく吹き出す。


「自業自得って知ってる?」


椅子から立ち上がった瑠璃が、無表情のまま翔太の目の前へ紅茶が入ったカップを静かに差し出していた。

瑠璃の思わぬ優しさに、翔太は目を輝かせながら紅茶を受けとり、一気に飲み干した。


「……惚れていい?」


「いやよ」


「心が⋯砕けた⋯」


淡々とした、でも迷いのない瑠璃らしい返事に、翔太はわざとらしく胸を押さえた。

俺はカチャリと小さな音を立ててカップを置く。ため息とともに椅子にもたれかかると、卓也が紅茶のおかわりを促してきた。

俺はカップを、ほんの僅かにずらすことで返事をする。


「翔太の推しはどうでもいいが⋯」


俺はそこで一度言葉を区切ると、静かに翔太の方に視線を向けた。

壁にかかった時計の音がやけに大きく感じられる。

その静けさの中で、俺はゆっくりと先の言葉を続けた。


「生徒会の仕事を手伝ってくれそうな生徒はいた?」


生徒会の仕事が立て込む中で、人手が足りないという話をしたのは、数日前のことだった。

その場で軽く振ったつもりだったが、翔太はそれを真面目に受け取り、人手不足を補うために、めぼしい生徒に声をかける役割を自ら引き受けた。


――結果として、推しを見つけただけに見えるが。


根が真面目で、素直な翔太の底には、「役に立ちたい」というまっすぐな気持ちがあることも、俺は理解していた。


(だから任せたんだが…)


「彼を生徒会にスカウトしましょう!」


その一言に、俺の表情から笑みがすっと消える。

それと同時に、生徒会室にひやりとした沈黙が落ちる。


「顔だけが理由なら、翔太と入れ替えで検討しようか」


嫌味たっぷりに答えれば、誰かのため息がその沈黙に静かに溶けていった。

俺は肩の力を僅かに抜き、紅茶を一口すすった。その時、どこか楽しげに目を細めた花蓮が、わざとらしい仕草でぽんと手を打ったのが視界の端に映る。


(嫌な予感しかしない)


その様子は、単に話を前に進めたいというより、この状況を面白がっているようにしか見えなかった。


「え〜翔太くんの推しでよくない?生徒会の顔面偏差値上がるよ?」


思ったとおりの結果に、俺は頭をが抱えたくなる一方、花蓮の思いつきに、翔太はぽかんと口を開けながら、その目は花蓮の言葉を反芻するようにまばたきを繰り返す。そのたびに興奮の光が強まっていた。


「でしょ!? やっぱりあの顔は選ばれるべき顔だよね!!」


「…顔知らないけどな」


駆が小さくため息をつきながら、椅子を軋ませて背中を預ける。視線は、未だ興奮気味な翔太に向けられていた。


「顔面偏差値じゃなく仕事の質を上げてくれ⋯」


真面目に話している自分だけがズレているような空気に、俺は深くため息をついた。

その様子に、卓也が笑いをこらえながら話に乗ってくる。


「まぁ、いんじゃない?これも何かの縁かもしれないよ?ねえ、花蓮」


卓也の発言に花蓮は「うんうん」と、深くうなづいていた。俺は眉間の皺を深くしながら、卓也を睨みつけた。


(この二人は言ったら譲らないからな…)


しばらくして、俺は諦めたように言葉を吐き捨てた。


「…好きにしたらいい」


「言いましたね!俺は、やりますよ!」


俺の絞り出したかのような声に、翔太は満面の笑みを浮かべ、両手を握りしめてガッツポーズを決めている。


(相変わらずテンションがおかしい⋯)


そんな翔太とは対照的に、俺は机に頬杖をつきながら静かにその様子を眺めた後、固まった身体を軽く伸ばすと、ファイルに視線を戻した。

この時の俺の小さな“諦め”が、日常をじわりと変えていくことになるなんて、思ってもいなかった。



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