第31話筆を取れ


 帝国と聖国の間には海がある。


 この世界の人間はこれを海と呼ぶが、吾輩の感覚だと巨大な湖であろう。


 水はしょっぱいが。


「魔動飛行船には乗れん。もうすでに手配書が出回っているようだからな」


 湖の畔にある港町で、食堂に入り、二階の個室を借り、ぐったりしている飼い主を寝かせ、メイドに面倒を見させながら、食堂で買った新聞を見て口元に笑みを浮かべ飼い主のつがいは鼻歌を歌う。


 楽しそうで何よりだ。


 鶏肉を茹でたものを小太りなメイドにほぐしてもらい、小皿に分けてもらい、ベルフェゴールと並んで食べる。


 海が近いなら、魚を食べたかったが。


「船を奪うか、海岸伝いに大回りして帝国まで戻るか……」


 つがいが独り言をつぶやくが、どう考えても船であろう。陸路を行くなら当然車だろうが、飼い主がこれ以上の車で行う長期移動に堪えられるとは思えぬ。


 船でも酔うであろうが、圧倒的に短期間で帰れる。


 足はできるだけ速い船が良かろう。


 飼い主のことをベルフェゴールに託し、船着き場まで足を延ばす。


 途中で漁港の横を通る。


 猫好きな地元の猟師が魚の内臓や傷物の魚を集まっている猫に分け与えていたので、お邪魔し、小魚を一匹いただく。


 うむうむ、さすが鮮度が違う。定刻より南方にある聖国では、魚がすぐ傷むので、内陸に送るため干物や缶詰に加工しているのだろうか、開かれた魚の身が網に張られ天日干しされている横を歩き、貨物置場をこえ、魔動クルーザーが並ぶ墓所に出る。


 うむうむ、多きさも申し分なく、モーター出力も大きそうな船にいくつか目星をつけておく。今は夕方なので、今夜、夜の闇に紛れ一隻いただけばよかろう。


 無事足は確保できそうなので、帰ろうかと思っていると、目の前の時空が割れ、十二対の羽根を持った天使がぬるりとこの世界に降り立った。

天使の羽根は白が基本ではあるが、この天使は全ての羽根が濡れ羽色、中々懐かしい再会で、吾輩から声をかけてしまう。


 どうしたルシュファー、コキュートスの寒さに耐えかねたか?


「懐かしい声だ、ベルゼブブかい? よく分からないが、この世界の理により、新しい魔王として呼び出されたらしい。

 だが君がいるなら、魔王が二人になってしまうね、困った、どうしよう?」


 吾輩はこの世界の人に呼び出されたのだ、魔王と言う役目ではない、魔王は一人よ、お前だけだ。


「そうか、なら良かった。

 それよりもこの世界は良い世界かい? 

 良い世界なら、壊してしまうのが申し訳なく感じるよ」


 うむ、人がいて、欲望があり、愛情があり、固有財産があり、血縁主義がある。どこも同じよ。


「そうかもね、それなら気を病むことなく壊せそうだ。

 どこも同じなら、一つぐらい無くなったって、変わりはいくらでもあるってことだもんね」


 まあ、そうさな。


「ありがとうベルゼブブ、それじゃこの世界の魔王になるため、僕は仕事を始めるよ。

 また会うことがあったら、その時はゆっくり話そう」


 そう言って飛び立とうとするルシュファーの首を、魔力の刃で切り落とす。


 ドサリと落ちる十二枚の羽根を持った体。


 ころりと吾輩の目の前に転がる首。


「どうして、ベルゼブブ?」


 この世界は代替可能な世界ではあるが、代替可能ではない吾輩の玩具がいるのでな、アレが死ぬまでは、この世界を壊されるとつまらん。


 しかしお前を殺しても、この世界は断りにのっとり、新しい誰かを召喚するであろう?


 なのでお前を殺さず、生かし、それでいて無害にする。


「僕に何をするのさ?」


 まあ、そんな恐れるな、お前にも理はある。


「ベルゼブブ、なんでお口を大きく開けるのかな? なんか魚臭いんだけど?」


 すまんな、さっき小魚を一匹いただいてな、新鮮でなかなかの味であったな。


 吾輩はそう首になったルシュファーに言葉を落とすと、もしゃもしゃ、魔王の首を食べる。


 骨も残さず食べきると、来た道を帰り、酒場の個室で休んでいる飼い主の顔を心配そうにのぞき込んでいるベルフェゴールの上にのしかかる。


 ベルフェゴールが嫌がるそぶりをするので、首を噛み、静かにさせ、ことを始める。


「ベル様、秘め事は、秘めた場所で行い下さいませ」


 年老いたメイドが、呆れたような声でそう言い、つながったままの吾輩とベルフェゴールを持ち上げ、別室に連れて行き、中に入れ、ドアを閉めた。


 にゃーん、悲しそうにベルフェゴールが鳴き、ことはさほど時間がかからず終わった。






◇◇◇◇







「船………………」


 飼い主はつがいに抱きかかえられたまま夜の港で魔動クルーザーを見て、げっそりとした声をこぼす。


 仕方がなかろう、船が一番速いのだ。


 年老いたメイドがサッと船に乗り込み、モーターをかけ、錨をあげる。


 吾輩とベルフェゴールが入った籠を持つ小太りなメイドが船に乗り込み、飼い主を抱きかかえたつがいが最後に船に乗り込む。


 船が動き出すと、すぐに警備の者であろう、かけてくるが、船は静かに水面を走り、すぐに捕まらない距離まで進んでいく。


 港を出て、海の沖に走り出すクルーザー。


「ベル様、ベルル様、ほらもう港の灯が、あんなに小さく」


 籠を持っている小太りなメイドがクルーザーの窓から外を見ながら、話しかけてくるので、首を伸ばし、外を見る。


「あれベルル様、どうしました?」


 ベルフェゴールの腹が大きくなっていることに気が付いたメイド。


「姫様! 旦那様! ベルル様のお腹が!!」


 籠を抱えたままぐったりしてソファーに寝ころんでいる飼い主と、その頭を膝にのせているつがいの元まで走り出すメイド。


「猫がどうした?」


 飼い主のつがいが、飼い主の頭を撫でながら、メイドに声をかける。


「に! 妊娠してます!!」


 つがいは吾輩を見て、目を細める。


「この緊急事態に、お盛んなことだ」


「姫様! 使い魔ですよ!! 使い魔の繁殖なんて前代未聞です!!」


「よいではないか、旦那様も悪魔殿の子が欲しいと言って、自らの使い魔も猫にしたのだから」


 そう言いながら、眉間に皺をよせ、うんうん唸りながら眠っている飼い主の髪をゆるゆると撫でるつがい。


 自分の主人がいいと言うなら、メイドは納得したようで、今度は籠から吾輩を取り出し、床に置く。


「ベル様、妊婦は体に負担がかかりますし、気分が優れぬこともあります。いつものようにベタベタされると、負担になるものです。

 今日から寝床は別にします。

 よろしいですね」


 と、言い残し、ベルフェゴールの入った籠を持ったまま、どこかに行ってしまった。


 ポツンと取り残された吾輩の背中に、つがいが、


「あの腹の中には何が入っているのだ悪魔殿?」


 と、問いかけるので、腹の中にいるのは魔王よ。と、答える。


「旦那様に危害が出ぬよう、悪魔殿が責任を取れよ」


 つがいよ、そうならぬよう、ベルフェゴールの腹に入れたのだ。


 つがいは飼い主の頭を撫で、吾輩は一人ポツンと残され、つまらぬので、ゴロンと寝転がる。


 翌朝、海上の船の上で、ベルフェゴールは玉のような雄の八割れを生んだ。


 メイドたちは大いに喜び、ベルフェゴールを褒めたたえ、甘い菓子を与えている。


 飼い主は朦朧とする意識の中で、ジッと白黒の八割れを見つめ、


「名前はベルとベルルから取って、ルベルにします」


 と、言い残し、また失神する。


 ようこそ我が息子よ。


 この世界は大して変わり映えしないが、今失神した詩学者は面白い。


 共にこの、人の皮を着た文学の行く先を見守ろうではないか。


 我やお前、ベルフェゴールも悪魔ではあるが、できることは人を惑わし、殺し、それくらいのものだ。


 何人殺そうが、何人惑わそうが、それは数であり、数はさほど意味がない。


 我らは人に悪と言われるが、その悪も、別の人から見れば善であるかもしれず、全く持って面白くもなんともない。


 我らが与えた死が、惑わしが、人の中で理由がつき、物語になり、そして超克されてしまう。


 我らはいつでも文学に負ける。


 いくら殺そうが、いくら惑わそうが。


 我らは文学に超克されてしまうのだ。


 分かるか息子よ。


 我らが与える現実は、文学と言う現象に乗り越えられてしまい、必ず敗北するのだ。


 だからこそ、文学は尊いのだ。


 文学は尊い。


 なぜなら、嘘であり、嘘であるから、現実を改変し、乗り越えるのだから。


 分かるか?


 お前を吾輩も、多くの人を見てきた。


 愚かしい者も、崇高なる者も。


 愚かなる民衆も、崇高なる民衆も。


 だが、その時の愚かさも、その時の崇高さも、のちには、物語として、いくらでも改変される。


 その時の数も、その時の意味も、全てが改変される。


 のちに生きているものは、全てを改変し、自分の都合よく見る。


 それは物語であり、嘘であるのだが、それを咎めても、世界はそのようにできているのだから、仕方がないのだ。


 ではどのように、その時の気持ちを、思いを、現実を、改変させずに時代を貫き通すのか。


 より強い物語で覆い潰すしかない。


 嘘は嘘でしか、殺せないのだ。


 嘘を殺す嘘とは、つまり文学なのだ。


 分かるか息子よ。




 八割れはコクリと頷く。




 よしよし、分かってくれたようで、なにより。


 べろりと顔を舐めてやると、気が立っているベルフェゴールに前足で顔を殴られてしまった。


 飼い主は失神し、メイドたちは八割れに夢中で、ベルフェゴールは眠りこける。


 吾輩がごろりと寝転がると、飼い主のつがいが吾輩を見下ろしていた。


「悪魔殿、世界は全てを生きているものに改変されていくなら、旦那様の偉業も後世では、歪曲されるのか? 業腹なのだが」


 細部は仕方がなかろうが、アレの偉業は後世でも変わらぬだろうよ。


 いや、より大きくなるかもしれん。


 なぜなら、本があるからだ。


 アレが書いた素晴らしいテクストがあるからだ。


 テクストは必ず残り、アレの肉体が滅んでも、テクストがアレの本体になり、魂になり、褒めたたえられ続けるだろう。


 吾輩がそう言うと、つがいは、安堵したのだろう、少し笑みを浮かべた。














 

 残りたいなら、筆を取るしかない。


 嘘で塗り替えられていく世界の中、塗りつぶされたくないなら、筆を取るしかない。


 自分が生きた証を刻みたいなら、筆を取るしかない。


 この世界はそうできている。


 そうできてしまっている。


 分かるものは筆を取れ。


 悪魔の戯言で恐縮なれど、筆は、世界を変えるのだ。 

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吾輩はベルゼブブである。 大間九郎 @ooma960

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