第30話神は天におらず



 うむ、法王は禿げているな。


 飼い主、禿げを見て、もう笑いそうではないか。そりゃ、あの縦長の帽子でも隠し切れない頭の横側を、もっと下のもみあげぐらいから伸ばした毛で覆い隠そうとする姿は滑稽この上ないわけだが、人は老いる。老いは人の特権でもある。


 言語を持つことにより、物に意味をつけ、それゆえ記憶と言う機能を特化させたゆえに、時間の認識を強く持った人間種は、老いと言う言葉を発明したのだから、老いは、呪いではあろうが、発見であり発明であり祝福なのだぞ?


 肥え太った法王が一段高いところに、豪奢で悪趣味な椅子に座り、その周りには昨日飼い主のつがいに殺されそうになった年老いた司祭と、若い司祭も含め八人ほどの法衣を着た男たちが立っている。


 その前に立たされている飼い主とつがいは、いくら司祭たちが目線やジェスチャーで跪くよう促しても、飼い主は鈍感さゆえ、つがいは傲慢さゆえ、膝を折らずに立っていた。


「アシモフ殿は、異世界の神の研究をされているとか、我らはそのノウハウを吸収したい、今日の公演は、楽しみにしていますよ」


 あれはかなり心臓に負担がかかっていそうだ。座っているだけなのに汗を垂らしている法王の息遣いは荒く、心筋梗塞でいつ昇天してもおかしくなさそうだ。


 それにしても異世界の神の研究か、言い得て妙ではある。


 ローマキリスト教が、アリストテレスを吸収したように。


 西方教会がイスラムからギリシア哲学を再吸収したように。


 宗教が拡大するとき、人文知が必ずスーツの裏地のようにべったりと張り付く。


 キリストは愛を語ったが、そこに真理を与えたのは古代ギリシアの哲人たちだ。


 この太った禿げ頭は、分かっている。


 しかし何も分かっていない。


 飼い主の狂気も、つがいの狂気も。何も。


 まあいい、楽しませてくれるのであれば、何でもよいのだ。


 飼い主は、


「がんばります!!」


 と、元気よく答え、つがいは目礼一つしなかった。


 会談と言う名のセレモニーが終わり、国賓級の扱いを受けている飼い主とつがいは、そのまま魔同車に乗せられ、本日公演を行う聖国の大学に向かうはずだったが、


「車に乗ると気持ち悪くなるので、いやです!!」 


 と、飼い主の我儘爆弾がさく裂し、護衛に囲まれながらぞろぞろと大学まで向かうこととなった。


 飼い主は吾輩とベルフェゴールを抱き、きょろきょろ街並みを眺め、うろうろ右に左に揺れながら、道を歩く。


「ベルル、甘い匂いがしたら教えてね」


 と、飼い主とベルフェゴールの甘党の二人が、菓子屋があればよる気満々で歩く姿に、護衛の聖国の軍人たちは苛立っているようだ。


 途中ベルフェゴールが、にゃーんと一鳴きし、飼い主の胸の中から顔をあげて一方向をじっと見つめる。


「ベルルあっちだね!!」


 と、飼い主が駆け出し、それを手を伸ばし制そうとした軍人の手を、つがいが剣の鞘で弾く。


「旦那様に触れるな下郎、殺すぞ」


 腕が折れ、つがいの魔力に気おされ、蹲る軍人を尻目に、吾輩とベルフェゴールを抱いた飼い主は我らが歩いていた大通りに面している店の軒先にたどり着く。


 そこでは小麦粉を薄く焼いたモノと、豆を煮つめた餡が鍋に入っておかれていた。


「これお菓子ですか!?」


 飼い主が元気よく店の中にいた店員に話しかけると、


「ハイハイ、坊ちゃん、お菓子ですよ、いくつ包みましょう?」


 と、ニコニコ笑顔を見せる。


「奥さんとメイドさんとメイドさんとベルは一個で、僕とベルルが三つづつだから、十個下さい!!」


 と、言い、店員がクルクル小麦粉を薄く伸ばした皮に、くるくる案を包む姿を楽しそうに眺める。


 九個のお菓子を紙に包んでもらい、一個を右手に持ち、吾輩とベルフェゴールを左手で抱きながら、一口かぶりつくと、嬉しそうに笑みを浮かべ、そのままお菓子の端をベルフェゴールの口元にもっていく。


 ベルフェゴールも一口食べ、にゃーんと歓喜の泣き声をあげる。


 食べながら歩く飼い主の歩みはより遅くなり、大学につく頃には公園開始時間ギリギリとなり、大学長や学科長への挨拶は飛ばされ、そのまま公演が行われる大講堂に通された。


 四百人は入るすり鉢状のコロッセオのような大講堂は、生徒と教師、大学関係者ではなさそうな宗教関係者で溢れかえっていた。


 大講堂の前に講演の題名が書かれていて、それを見て、飼い主はため息をつく。




『御言葉、その新しい読みときについて』




 その文字を見て、


「まあ、人もいっぱいいるし、カッコいい神さまの話しでもしようか」


 と、控え部屋に向かう飼い主とつがいとメイドたち。


 係りの者がすぐに公演時間だと知らせに来て、飼い主は水を一杯飲み、吾輩とベルフェゴールを抱いて、壇上に進み出た。


 まず吾輩とベルフェゴールを教卓の上に置き、おいてあるデキャンタから水をコップに移し、一口唇を濡らす。


 そして話し出す。






「えーと、詩学の話しをします。

 詩学は古い言葉だから、文学とか、人文学とか、何でも呼び名はいいんです。

 全部一緒です。

 テクストには、必ず嘘があって、必ず登場人物がいて、必ずストーリーがあるので、全部一緒なんです。

 なので、詩学や文学、御伽草子や恋愛小説、学術書でもなんでも、好きな呼び名で呼べばいいし、それをカテゴライズするのは、エゴと金の話しなので、犬にでも食わせればいいです。

 そんな詩学の話しをします。

 テクストに外はない、と言ったのはデリダさんと言う異世界の作家さんで、

 テクストは引用の織物である、と言ったのはバルトさんと言う異世界の作家さんです。

 これは二つ、全く同じことを言っています。

 テクストは、引用であり、外がないのです。

 つまり、この世界全てがテクストであり、世界の引用こそがテクストなのです。

 ここまで話せば、犬でもわかる話なのですが。

 分かりますよね?

 世界にはオリジナルなんてないって話しです。

 そしてこの世界にあるものすべてが、オリジナルだって話しでもあります。

 真なる芯はなく、僕らは、「まるで」「○○のような」を、あたかも真であるかのように扱い、世界を見ています。

 便利ですからね。

 人間様は、こういう道具立てが得意です。なにせ霊長ですからね。

 でも、人間様も、脇が甘いやつがいて、この、「まるで」「○○のような」を、方便ではなく、真実だと思い込む奴が出てきます。

 そう言うやつは、人間様失格ですね、犬です。

 かわいく尻尾を振るだろから、よしよしと顎を撫でてやりましょう。

 こういう話をすると、

「なら、何もかもが正解じゃないなら、何も学ばなくていいじゃないか」

 とか言い出すかわいい犬もいます。

 こいつらも人間様の英知、「まるで」「○○のような」の絶大な効力を知らないおバカさんたちですね。

 これは便利なんです。

 道具なんです。

 だから、これを使って、人間様は共同の幻想を見るわけです。

 そしてこれが、真の真より便利なのは、訂正が可能な点です。

 僕ら人間様は、真なる芯がないことを知っていて、幻想としての真なる芯を中心にものを考え、生き、信仰し、コミュニケーションを取るのです。

 でもその社会は良い時もあるけど、悪い時もありますよね?

 その時、僕ら人間様は、これは真なる芯じゃなかった、これこそ本物である、と、次の真なる芯を提示し、それに寄り添うことができます。

 僕らの社会は原則的に、いつでも訂正が可能にできているのです。

 僕らは、正しさを乗り換えて生きていくことができる素晴らしき存在、人間様なんですね」





 飼い主はここまで話し、もう一度コップの水で唇を濡らす。


 会場は静まり返っている。


 神の証明をききに来た観衆は、いきなり神の否定をきかされ、どのように反応していいのか分からず、困惑している。


 そして、飼い主がまた、話し出す。





「今、世界は素晴らしいですか?

 魔王が討たれ、世界は安定に向かっていますか?

 皆さんの生活が、魔王がいた時と、いなくなった今、どちらが幸せですか?

 世界は救われた、ただ、あなたは救われましたか?

 神さまは、あなたを見ていると、感じますか?」





 ここまで話し、飼い主は、もう一度言葉を止め、ジッと、会場を見渡す。


 ここにぎっちりと詰まった四百を優に超える全員と目を合わせ、一人一人に問いただすように。


 静まり返っている、会場で、誰かのつばを飲み込む音がきこえた。


 それほど会場内は、静まり返り、緊張で押しつぶされようとしていた。


 吾輩は飼い主を見上げる。


 ベルフェゴールも飼い主を見上げる。


 飼い主は一度も会場から目線を逸らさず、その小さな体から、会場を押しつぶすほどの気迫を滲ませていた。


 そして、口を開く。


 また、話し出す。 





「神は今、おわすのか?

 それは皆さんが感じている通りなのです。

 でもおかしいですよね?

 神さまは、我々を救ってくださるはずです。

 神さまはいる。だって教会もあるし、そもそも、僕らの、この心には、燃えるような信仰心があるではないですか!!

 神様はいる。

 神さまが霞む。

 燃えるような信仰心がある。

 でも、神の存在は霞んでしまう。

 この気持ちは表裏でもなく、正と誤でもなく、成り立つのです。

 僕らの二つあるように感じるこの気持ちも、本当は一つなのです。

 僕は、詩学は、この答えを知っています」





 飼い主はここまで話すと、もう一度話しを止め、今度は口に水を含み、喉の渇きを潤す。


 そして、話し出す。


 笑顔で。


 慈愛に満ちた、預言者の笑顔で。






「神は天にいません。

 神はこれから現れるのです。

 今の世界を正し、今の私たちを、神への信仰と私たちの幸福が釣り合う世界が、私たちを救う世界が、これからやってきます。

 神はいます!! 

 私たちは救われるのです!!

 さあ喜びましょう!! 神を迎えられる私たちに!!

 神様!! ありがとう!!」






 会場が爆発した。


 神様ありがとう!! 神様ありがとう!! の大合唱。


 空気が震え、大講堂の窓ガラスが、空気の振動でビリビリ震えている。


 人間よ、今こいつは神はいないと完全に否定したのだぞ?


 今までの教会の言ってきたことを完全に否定したのだぞ?


 話しをきいていたか? 前半で真はなく、あるのは解釈だけ、そして解釈だけしかないのなら、いつでも解釈は交換可能だと言っていたではないか。今こいつは、神を使い、持論を証明しただけだぞ?


 こいつが証明したのは神ではないぞ?


 今こいつが証明したのは、神よりも、文学が上位だと証明したのだぞ?


 良い。


 これでこそ人間よ。


 この歓喜、この狂気、この訂正可能性、これでこそ人間よ。


 この体では横隔膜が横方向にあり、痙攣させ、笑い声をあげることは叶わぬが、この心の高揚は、まさしく笑いだろう。


 それも腹を抱え、涙を流し、自我すら失う大爆笑だろう。


 褒美に飼い主に向かい、にゃーんと一鳴きすると、飼い主は急いで吾輩とベルフェゴールを抱きかかえ、一目散に走り出した。


「調子に乗った!! 僕!! 殺させる!!」


 誰が殺させるかよ、こんなに面白い玩具。


 珍しく笑みを浮かべた飼い主のつがいとメイド二人が合流し、すぐさまつがいが飼い主を抱き上げる。


「旦那様、痛快であった、これからは我が仕事をしよう」


 そう言うと、一気にスピードを上げ、大学内に止めてあった車を一台強奪し、走り出す。


「この先、この国は旦那様の信奉者と、それを認めない者たちの血みどろの争いがおこる。

 このまま一気に帝国まで帰る」


 つがいはハンドルを握り、勢いよく車を発進させる。


 飼い主はすでに後部座席で、年老いたメイドの膝に頭を落とし、車酔いで顔を青くしていた。


 ここは吾輩も、飼い主の国崩しに、一手助力をしよう。


 大学の正門を勢いよく走り抜ける際に、そこにおいてある大学名が刻まれている大岩に、魔法で文字を刻む。





『神は天におらず、この地に降り立つ』





 うむ、楽しくなってきた。



 飼い主の顔がこれ以上青くならぬよう、回復魔法をかけながら、得も言われぬ満足感に全身の毛を逆立てていた。

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