第6話授業風景
飼い主が教壇に立つ。
教壇と言っても、この帝都大学院の端の端、第三十七号館、人文学館・異世界言語研究・詩学研究室に併設されている教室は、人が十人も入ればいっぱいな、狭い狭い部屋だ。
黒板があり、一段高くなっている足場があり、長机が三つ、椅子が九脚、それで部屋はみっちりだ。
「今日は、〃物自体〃と〃現象〃の間にあるモノについて説明するよ!」
顔の大半を覆い隠す丸眼鏡をずり上げ、目の前で座る生徒二人に向かい、空元気で話しかける飼い主。
生徒の一人は帝都大学の花形である魔法学科の博士課程の生徒で、確か広範囲魔法攻撃の防御術の研究をしているトマスとか言う貴族の男だ。肩にはトマスの使い魔である真っ黒いハゲタカがとまっている。
この男の正体は帝国国家魔導士序列第三位『血殺し』、皇帝の甥だ。
変装した姿でいつも講義を受けている。
生徒二人目は医学科魔法医学専攻の学士過程の生徒。聖国からの留学生で、先の魔王討伐で勇者一行の一人であった〃聖女〃カチューシア。
真っ白なローブを着て、髪を頭巾で隠している。
今日も彼女はノートを出し、真剣に授業を受ける姿勢を見せている。なんと言うか、切羽詰まっているような、そんな感じだ。
吾輩は教卓の上でゴロリと寝そべる。今日はここが一番、窓から入る日差しが気持ちいい場所なのでしょうがないのだ。
「前回説明したとおり、〃物自体〃は、人間の感覚器を通してしか、感知できない、つまり、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五感でしか、僕たちは宇宙を認識できないんだ。
でも、その感覚器は千差万別、個人個人によって、機能に幅がある。
感度がいい感覚器を持っている人間もいれば、一つのセンサーが使い物にならない人間だっている。
みんな〃物自体〃から感じる感覚は違う。だからみんな心に浮かぶ〃現象〃も千差万別、ちがうものになるんだ!
だから、ここにいるベルは僕の世界では美しい黒猫と言う〃現象〃だけど、君たちの世界では真っ赤なリンゴと言う〃現象〃かもしれないんだ。
それじゃ僕たちは、一緒に過ごせない。
人間は群れで生きる生物だ、だから、ある程度の共通認識が必要になる。
僕たちは、〃現象〃をある程度揃えないといけない。
その揃えるツールとして使われるのが〃言語〃なんだ」
ここまで一気に話す飼い主、そこでコップから水を一口飲む。
うむうむ、前回の講義の復習だな。
物自体を感じるのが身体で、現象を感じるのが意識だと考えれば、これほど簡単なものはない。
しかし、間のフィルターに言語とするのは大胆だな。
そこは文化と言う者もいるだろうし、神と言う者もいるだろう。愛と言う者すらいるだろう。
そこを言語と決めつけてしまうのは、吾輩の好みではある。
「それじゃ言語とは何かと言えば、これは簡単なんだ。
言語は、〃辞書〃と〃文法〃でできている。
言語は、〃単語〃と〃ルール〃でできている。
言語は、〃学習〃と〃プログラム〃でできているんだ」
うむ、これは理にかなっている。
辞書→単語→これは学習で獲得するもの。
文法→ルール→これは先天的にプログラミングされているもの。
チョムスキーだったか? バルトか? アメリカっぽいからチョムスキーだろう。人は何故しゃべり続けられるのかを解き明かした、確か生成文法、そんな名前の考えだ。
「まずは辞書だね!
単語は何でできているか?
これは簡単だね!!
単語は〃文字〃と〃意味〃でできている。
例えば僕の脚」
飼い主は教卓に隠れていた自分の足をスッと横に出す。
「これも脚だし」
飼い主は自分の脚で教卓の脚を、コツコツ蹴る。
「これも脚だ、このように、音が同じでも、形が同じでも、文字が同じでも、意味が違う。
この〃文字〃をシニフィアンと言い、〃意味〃をシニフィエと言う。
単語はシニフィアンとシニフィエによりできているんだ」
おお、ここでソシュールか、うんうん、分かりやすい。
今日の飼い主はのっているではないか、かなりわかりやすいぞ、今日の授業は。
吾輩はそう思い、生徒二人の方に顔を向けると、生徒二人は、むずかしい顔をし、腕を組み、考え込んでしまっている。
どうした!? そんな難しい話しではあるまいに? 言語には先天的にプログラミングされている文法があり、後天的に獲得する単語があり、単語は文字と意味によりできている。
ただそれだけのことではないか? なぜそんなに考え込むことがある!?
飼い主も生徒二人の難しい顔に気が付いたのだろう、
「え、え? もしかして、分かりにくい? 何でもきいて、先生みんなが分かるまで全然説明するから! するから!!」
と、焦り出し、バタバタ両手を振り、小刻みに両膝を震わせている。
焦るな、と言いたいが、これは飼い主の性根の問題、一度坂道を転がり出すと、奈落まで思考のほつれは止まらない。
目をグルグルさせ、あわあわ口元をいななかせ、ガタガタ体が震え出している。
教卓の上で寝転んでいる吾輩の体も、教卓に倒れぬよう体を密着させた飼い主の体の震えで、後ろ足から腹にかけて美しく弛むプライモーディアルポーチがぶるぶる波立つ。
「何か質問はありませんかー!!」
音量の調節機構がバカになってしまった飼い主が、この狭い教室中に響き渡る大声を上げ、両手を天に突き立て、そのまま制止した。
教室内の空気は凍る。時間は寒々しい緊張に耐えられず、停止した。
ゴクリ、生徒の一人、〃聖女〃のつばを飲み込む音だけが、やけに響く。
そのまま飼い主は動かず、生徒二人も動けず、授業の終わりを告げる鐘がなるまで、教室の中は、コキュートスのように、凍り付いていた。
◇◇◇◇
大学内は禁煙で、喫煙所は大学横の職員宿舎の裏にある。
灰皿と、木でできたベンチ。日当たりが悪い狭い屋外。
木のベンチに飼い主が座り、腰からキセルを取り出し、震える手でタバコの葉を詰め、火をつける。
肺いっぱいに紫煙を吸い込み、鼻と口から、もくもくと吐き出す。
「今日もうまくいかなかった……」
うむ、焦り過ぎたな、途中までは良かった。授業も分かりやすく、手ごたえはあったと言っていい。
「テクストは、文法と単語をかく乱して、言語の隙間を通り抜けるってことを言いたかったんだ……」
なるほど、文法を操作し先天的に脳に埋め込まれているプログラムにバグをおこし、シニフィエの上でシニフィアンを横滑りさせ、新しい単語を創出し、決められたつまらぬ言語と言うフィルターを無理やり通過し、現象に新しい世界を見せる。
それが文学である。
それを説明したかったのか。
うむ、レトリックを道具に、現象を操作する、これが文学であると。
簡潔で、簡素で、シンプルで、素晴らしい。
いい説明である。少なくとも吾輩は得心した。なので一鳴き、にゃーんと鳴くと、飼い主は、
「ベルが分かってくれるなら、きっといつか、みんなも分かってくれるはずだよね?」
と、言うので、ここまで美しい定理を分からぬ者はいないはずなのでにゃーんともう一度鳴いておく。
飼い主は力なく立ち上がり、吾輩を胸に抱き、研究室に帰っていく。
その背は煤けているが、今編み出した定理は、美しいのだ。
『レトリックを道具に、現象を操作する』
美しい言葉だ。
その美しさを理解するものが、今、この世界では、吾輩一人しかいなかろうとも。
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