1回裏 さよなら劣等感


 僕たち舞倉マイクラ高校は後攻になった。


 あわただしくプロテクターを装備してベースに走る。

 メンバーたちも緊張した面持ちでそれぞれの守備に散ってゆく。

 オー君はゆっくりとマウンドに歩いていき、スパイクでザッザッと足元をならした。ロジンバッグを手に取ると、白い粉が夏風にふわりと舞った。


 僕はキャッチャーマスクを下げ、ゆっくりと座る。

 オー君と視線がかみ合い、ゆっくりとうなづきあった。

 

 ああ、いよいよ始まるんだ。

 緊張感は……意外とない。

 オー君も同じようだ。


 アンパイアがゆっくりと背後に立つ。

 同時にサイレンの音が鳴り響いた。


「プレイボールっ!」


 いよいよ運命の試合が始まった!


   🥎



 一番打者は器用なバッティングと俊足の選手。

 初球は真ん中高めのストレートを要求。


 スパンと良い音がして、ボールはミットに吸い込まれた。

 ギリギリのストライクゾーン。打者は微動だにせず一球目を見送った。


 完璧なコントロールで、球も走っている。


 ……


   🥎


 この試合のためにギバキャプテンはガラにもなく綿密なチーム分析をしてきた。いや、ガラにもなくというのは訂正しなきゃならないだろう。むしろギバには本人も気づかなかった分析の才能があったのだ。


 この初球にしても高めなら絶対に見送るという分析をしていた。だから余裕をもってストライク一つ稼がせてもらったのだ。さらに分析は続く、二球目は外角低めのカーブ、これも見送るはず。三球目は外角に外れるストレートを見送らせて、四球目に低めのシュートを投げればひっかけて内野ゴロになるはず。


 僕はギバの立てたとおりに配球し、オー君は絶妙なコントロールでそのプラン通りのコースを正確に投げてゆく。そして四球目……オー君の投げたシュートに態勢を崩した当たりは、ギバの予想通りにサードへのゴロとなり、ギバ本人がボールを簡単にさばいてワンアウトとなった。


   🥎


 誰も声には出さなかったけれど、この瞬間僕たちのチームは確かに何かをつかんだ。勝利を目指す自信のようなもの、互角に戦えるという確信が芽生えた。


「オー君、ナイピー!」

 僕はあんまりうれしくなって叫んだ!

 ナイピーってのはナイスピッチのこと。


「ナイピー、ナイピー」

 と内野、外野からも声が上がる。

 オー君は人差し指と小指でVサインを作ってそれに答えた。


   🥎


 やっぱ野球って楽しいよな! みんなで野球するってサイコーだよな! 一つの白いボールを投げて、打って、追っかけて、走って。それだけのことがなんだか無性に楽しいよな!


 兄弟で比べられてきた劣等感みたいなものが簡単に払しょくできるとは思えない。

 それはたぶんこれからもずっと続いていくことだろう。

 たぶん嫌な言葉をこれからも聞くことになるだろう。


 でもそれは周りが騒いでいるだけの雑音にすぎない。オー君のことを何も知らない、何も理解しない他人が、無自覚に君を傷つけようとしているだけのことだ。

 そんな奴らのことは気にしなくていいし、そんな奴らの声に君が傷つく必要なんてないのだ。

 

 君は君のことをよく知る僕たちの言葉だけを信じればいいんだ。


   🥎


 あの日、君がピッチャーを引き受けてくれた日を僕は思い出す。


「オー君、前に言ったよね? って。ってことはさ、勝とうって気持ちがあるってことだよね? その気持ちだけなら僕もすごくよくわかるんだ。でもさ、勝てなかったからって好きなことをあきらめるってのはよくわかんないんだよね。ほら野球ってさ、誰かのせいで勝てたり誰かのせいで負けたりってもんじゃないだろ? 勝ったらみんなで喜ぶし、負けたらみんなで悔しがってさ。僕はさ、君とそういう野球がしたいんだよ」


「それはさ、ミケ君が勝ちたいって事だけじゃないの? そのためにオレを引っ張りたいってだけじゃないの?」

「それだけじゃダメかな?」


「相手はあのBL学園なんだろ? 勝てるわけないじゃん」

「勝つから試合するとか、負けるから試合しない、そんな理屈ある?」


「いや、ないけどさ」

「だろ。勝つためには何でもするけど、負けたからって何かのせいにしたりはしないよ。それはあくまで結果でしかないし、結果なんてものはくつがえらない。でもさ、そうやってみんなで頑張ることが楽しいんじゃないのかな? チームってのはそういうもんじゃないのかな?」


「ミケ君ってなんか変わってるよね。でもなんとなくだけど、君となら野球してみたいって思ったよ。でもさ、ブランクあるからあんまり期待はできないよ?」

「それについては大丈夫。まだ二週間あるからね、キャッチャーの僕がとことん付き合うよ」


   🥎


 ま。二週間でここまで仕上げてきたんだから、やっぱり君には才能があるよ。


 続く二人目の打者。

 こちらもギバの分析通りの配球で攻めた。外角のボールを二つ続けて投げ、決め球は内角低めのカーブ。オー君はこちらの要求通りにきっちりと投げてくれる。このコントロールがあるからこそ、ギバの分析もまた生かせるのだ。


 決め球はピッチャーフライとなってオー君のグラブにストンと吸い込まれた。

 派手な速球も爽快な三振もないけれど、確実にアウトを取った。


 とりあえずここまでは順調。まさに計画通りの展開だ。


   🥎


 そして三人目……

 バッターボックスにはあの『王』が立った。


 貫禄たっぷりにバットを握り、地面をスパイクで慣らす。

 こうして間近で見上げると、その存在感に圧倒される。

 どんな球を投げても場外まで運ばれそうな気がする。


 しかも王に関してはギバの分析はなかった。

 どう分析しても打ちとれるパターンが見いだせなかったという。


「アイツだけはどうにも分析のしようがねぇ。配球パータンで釣れるわけでもないし、選球眼はいいし、バットコントロールもずば抜けてっから。そんであの怪力だろ、ありゃバケモンだよ、高校生がなんとかできる相手じゃねぇ。ということで、あいつはオー君とミケに任せた、よろぴくっ!」


 という会話の細部が脳裏によみがえる。


   🥎


 オー君とは事前に打ち合わせもしてあった。

 一つだけ共通認識があったのは、敬遠はしないということ。

 どんな状況でも勝負を避けたりはしないということ。

 そうでなければオー君を誘った意味がなくなるというもの。


(初球はストレート、外角低めいっぱいに。そこなら長打になりづらいはず)


 オー君がゆっくりとうなづき、ちょっと帽子を直した。

 大きく息を吐き、セットポジションに入る。


 ここからは真っ向勝負。

 オー君の足がゆっくりと上がり、全身をしならせて力いっぱい投げ込んだ。


   🥎


 キン! と短い音がした。

 王のバットが豪快に空気を切り裂いた。

 間近で感じたその風圧とバットスピードの圧倒的な速さ。


 目の前に迫ったボールは、霞んだバットの残像とともに一瞬で消えていた。

 高く鋭く上がったボールが静かにバックスクリーンへと吸い込まれてゆく……


 次の瞬間、どよめきと歓声が球場に広がった。

 それは文句なしの豪快なソロホームランだった……


   🥎


 ダメだったか……

 コースも球威も申し分なかった。

 王がそれ以上にすごかっただけだった。

 それも予想のはるか上、王は噂以上の怪物だった。


 確かにこんな兄貴と比較されちゃたまんないよな。

 僕は立ち上がってオー君のもとへ行こうとして……足を止めた。


 オー君はニッと笑っていた。

(大丈夫。来なくても)

 表情でそう伝えてくる。


 僕も理解する。

 そっか。うん。大丈夫。

 劣等感を吹き飛ばすための戦いが今この瞬間に始まったのだから。



 ~つづく~


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