4回表 苦い記憶の呪縛

 キン! と短い音がして白球はバックスクリーンに吸い込まれた。

 文句なしのソロホームラン。

 一回の表。早くも一点ビハインドになってしまった。


「落ち着いていこう!」

 僕はキャッチャーマスクを嵌めなおし、何より自分に言い聞かせる。

 そう。まだ大丈夫。


   🥎


 実は僕たちのチームは一つのプランを立てていた。

 厳密にはキャプテンのギバが練り上げた勝利のためのプラン。


 そのプラン通りにいけば、僕たちのチームは3対4、九回で逆転勝利することになっていた。もちろん勝負は水物みずもの、プラン通りにゲームが進む保証はない。それでも僕たちのチームが勝利を手にするための、たった一つの作戦だった。


   🥎


 次は4番打者の……ジョンソン君。アメリカからの留学生らしい。王よりも一回りデカい体つき、しかもまだ一年生。もうほとんど大リーガーだ。噛みタバコではないと思うけど、本場みたいにガムも噛んでいる。


 ちなみに王よりもパワーヒッターであるが、王ほどのバットコントロールはないとの分析。とにかく来た甘い球を力任せにひっぱたくタイプ。当たればホームランの怪物には違いないが、当てさせなければいいだけだ。


   🥎


 ギバの分析からオー君とジョンソン向けの配給も組み立ててあった。最初の一球目は内角高めに外し、カーブとシュートを混ぜてストライクを先行させ、追い込んだところでまた内角高めのスライダーでひっかけさせる。


 配球の読みはばっちりだった。もちろんオー君のコントロールありきの話だ。オー君は先ほどのホームランを引きずることなく、冷静に絶妙なコースを投げ分けた。


 最後の決め球スライダーはジョンソン君の大振りしたバットにかするようにしてヒットし、ころころとサードに転がっていった。これもキャプテン・ギバが冷静にさばいて、なんとか一回の攻撃はしのぎ切った。


   🥎


 さて、ここから反撃だ!

 と、行きたいところだが、そうは問屋が卸さない。


 なにしろ王はピッチャーとしても一流。ストレートは150キロを超える本格速球派、カーブとシュートもあるし、しかも決め球に伝家の宝刀フォークを持っている。


 じっさいバッターボックスに立つとその投球は異次元だった。

 ボールと一緒に風圧と殺気が襲い掛かってくるようだった。大きな体が大きくしなり、ボールが手元を離れたと同時に、スパンとキャッチャーミットに吸い込まれている、そんな具合だった。


 まるで打てる気がしなかった。それでもバットだけは思い切り振った。当たらなくてもとにかく振った。それもまた作戦の一つだったから。


 だがまぁ一回の攻撃は三者連続三振と完璧に抑えられてしまった。


   🥎


「なぁ、あれホントに打てると思う?」


 ベンチに引き上げて僕はウッチーこと宇都宮君に話しかけた。

 僕がスカウトしてきた二人目の選手。


 ポジションはセンター。打順は3番。ちょうど今、三振してきたばかりだ。


「ストレートを打つのは難しいね、決め球のフォークの方がまだ打てそう」

「ええっ? そう? フォークのほうが難しいんじゃない?」

「フォークが来るってわかってたらそうでもない。ストレートより球威も落ちるし」

「うう、僕はどっちも打てる気しないけどな……」


 いやはや、ウッチーの考えていることは分からない。


   🥎


 わからないといえば、ウッチー自身のことも最初はよくわからなかった。

 

 ナベの情報によると県外からの転校生。転校前の県ではかなり有名な選手だったそうだ。打撃センスは超一流、肩が強くてセンターの守備も県内屈指だったとか。それこそ強豪からのスカウトもあったらしい。


 もっとも今のウッチーからはそんな華々しい過去を感じられない。小柄な体格、口数は少ない方で、どちらかというと陰キャなタイプだった。


   🥎


 もちろん最初は現在のウッチーと野球がどうにも結びつかなかった。それでも僕はナベの情報を信じて、とにかく誘うことにした。


「君にしか頼めないんだ。君じゃなきゃダメなんだよ」

「悪いとは思うけどさ、買いかぶりすぎだよ。ボクには無理、他をあたってよ」


 まぁやっぱり、すげなく断られた。今回のメンバー集め、すんなり入部してくれる人は一人もいなかった。


 問題はどうして野球をやめたのか? その原因を探ることにある。それ次第ではまた野球を楽しめるようになるかもしれないのだ。メンバー集めが第一の目的には変わりないのだが、選手たちを集めるってことがまた野球の楽しさでもあるのだ。バラバラの個性を持った選手たちが集まり、チームになって、一緒に練習して、試合に勝って、みんなで喜ぶ! これこそが野球の楽しさに他ならないのだから。


   🥎


 あれはたしか三度目のスカウトの時だった。


「なぁ頼むよ。ウッチーにしか頼めないんだ。ウッチーじゃなきゃダメなんだよ」

「あのさ、変な呼び名付けないでくれる?」

「あ。嫌だった?」

「いや、前のチームでもそう呼ばれたけど」

「ならいいじゃん。これからチームメイトになるんだしさ」

「いや、ならないよ。野球はもうやらない」

「どうしてだよ? 野球めっちゃ楽しいよ? それにウッチーめっちゃ野球うまかったんだろ?」


   🥎


 ウッチーはため息をつきながらちょっとうつむき、それからこういった。


「はぁぁ……もうはっきり言っとくよ。失敗するのが嫌なんだよ。失敗するのがわかってるから嫌なんだよ。もう野球に関わりたくないんだ。逃げてるってのもわかってるよ。でもオレはこれ以上誰もがっかりさせたくないんだ。とにかく野球はもうやらないって決めたんだ」


 それは僕に対しての最後通告だった。

 それから僕をじっと見つめ寂しそうに笑ってみせた。


(わかっただろ? 情けないけど、ちゃんと理由も言った。だからもうオレにかまわないでくれ)


 あの日、君はそれだけ言って僕の前から去ろうとした。


   🥎


 失敗の記憶ってのは厄介だ。

 直らない傷みたいにいつまでも膿を出し続ける。 

 そんな傷は誰もが一つや二つあるものだろうが、その痛みは本人しか分からない。

 そこに踏み込むのはおせっかいでしかないのは分かっている。

 それでもその時の僕は必死だった。


「なぁそんなこと言わないでさ、一緒に野球しようぜ」

「ミケ君もホントしつこいね、中島君かよ」

「それサザエさんな。ああ。よく言われるよ。でもそれが僕のとりえだからさ。ぶっちゃけて言うと先輩たちが抜けてメンバーが足りないんだ。メンバー集めないと、それもちゃんとしたメンバー集めないとあのBL学園に勝てないんだよ」


   🥎


「それは聞いたよ、初戦がBLだってね。勝てっこないよ、ましてチームじゃさ」


 そのウッチーの何気ない言葉が僕に猛烈に引っかかった。


 


 あ。つい興奮してしまった。

 周りを歩いていた生徒たちが足を止め、びっくりした顔で僕達を見ていた。


「……ごめん、大っきな声出しちゃった。でもさ、そもそも試合に出れないんじゃ勝負すらできないんだよ」

「はぁ……ミケ君の気持ちは分かったけどさ、それでも


 ウッチーはもう一つ大きくため息をつくと、僕の隣にもう一度座り、今度は僕を説得するように話を始めた。


   🥎


 そして君が野球を離れてしまった本当の理由を聞いた。

 それは大事な決勝戦でのエラー、それに続く暴投、逆転を許し、試合をぶち壊してみんなの未来まで奪ってしまった後悔だった。その責任が自分一人にのしかかってしまった痛みと苦しみ。


 たった一つ、それでも決定的だった失敗の過去。

 その痛みが今もウッチーをむしばんでいたのが分かった。


 もうボールを見るのも嫌だという。

 野球を見ていると胃が痛くなるという。

 ウッチーにとって野球は苦痛でしかなかったのだ。


 ウッチーの告白に僕は言葉を失った。僕も野球をやっているから彼の痛みは自分のように共感できた。だからその時は、去っていく君の背中を見送ることしかできなかった。


   🥎


 ……それでも僕はあきらめきれなかった。

 それが僕のわがままでしたかないのもわかっていた。

 それでも


 何とかならないのかな?

 僕の言葉と行動がまた君に過去を思い出させて、苦しめているのは分かっている。

 分かっているけど、それを知ったからこそ、君の助けになれないかとも思うのだ。

 今回のことで、君が立ち直るきっかけになると思うからだ。

 もう一度野球を好きになるかもしれないと思うからだ。


 そして僕は君の瞳の奥にあるもう一つの感情を知っている。 

 君は、君自身に一番がっかりしている。

 失敗から抜け出せない自分に失望している。


 だからこそ。

 今の君は一人じゃない。

 君の失敗に僕ががっかりするなんてことはありえないから。

 仲間たちが君を責めたりするなんてありえないから。


 だから何度だって僕は君を誘うことにしたんだ。

 それはきっと僕達にとって大事な縁だから……

 

   🥎


 それからしつこく何度目かのスカウトを経て、ウッチーは僕と同じベンチに並んで座っている。


「まぁ勝っても負けても楽しもうよ。キャプテンの言う通り、とにかく思い切りバット振ろうぜ」


 僕の言葉にウッチーは意味ありげな笑みを浮かべた…… 



 ~つづく~

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