1回表 劣等感ピッチャー
光陰矢の如し。
時間はあっという間に過ぎてゆく。
🥎
いよいよ試合が始まろうとしていた。
今日はひどく蒸し暑い。太陽は上り始めたばかりだが、すでにグラウンドには蜃気楼が揺らめいていた。
サイレンの音が長く鳴り響き、ホームベースを挟んで両チームが並ぶ。
対戦相手はBL学園。ずらりと並んでいるだけで威圧感がある。みんながっしりとした体格。張り詰めた緊張感が殺気のように僕たちに吹き付けてくる。
そんな彼らの中でも別格なのはエースで四番の怪童『王』。高身長とがっしりとした体格、鍛え上げた筋肉はユニフォーム越しでもはっきりと見える。てか、すでに高校生には見えない。プロからのスカウトがあるという噂で、この試合にかける意気込みは半端ないようだ。
その王がチラリとこちらに目を向けた。
厳密には僕の隣に立つ『オー』君に。
🥎
(どうしてお前がそこにいるんだ?)
王の目線を言葉にするならそんな感じだろうか?
ちらりと横を見ると、オー君は視線を交わすことなく、じっと目を閉じている。兄とは一歳差とはいえ、体格は一回り小さいし、筋肉もそんなについているわけではない。その雰囲気からして大人に怒られている子供みたいだ。
だがオー君の口元はそっと笑っていた。
それでいい。
今は試合に神経を集中させてほしい。
これは彼にとって大事な試合になる。
長い間兄弟として苦しんできた、劣等感を植え付けられた兄との、そのトラウマを晴らすための大事な試合になるのだ。
「大丈夫?」
オー君は僕だけが分かるくらいに小さくうなづいた。
🥎
僕はその様子にオー君との初対面を思い出す。
あまりいいスタートではなかったあの時を。
🥎
「
「ちっともすごくなかったよ。声かけてくれるのはうれしいけどさ、僕にかまわないでよ、もう野球はやめたんだ。それに今、僕はテニス部だからさ」
覚えているかな? 初めて声をかけた時だった。
そういって自虐的に、でも寂しそうに笑っていた。
まぁ僕はその言葉に普通に傷ついた。はっきり拒絶されたのがわかったし。
「その、君のお兄さん、あの『王』なんだろ?」
「だからなに? あいつの弟だから才能があるって?」
「いや、そういう意味じゃないけど……いや、ごめん。なんか悪い言い方した」
「ま、いいよ。そういうの慣れてるし。実際野球辞めたのもそうだしね。才能の前には勝てっこないんだ。努力なんて無意味なんだよ」
それは君がにっこりと笑いながら言った言葉。
なんでそんな寂しそうに言うのか、僕には理解できなかった。
🥎
それでも僕はしばらくオー君に付きまとった。とにかくピッチャーが必要だったから。オー君の情報は後輩の『ナベ』から聞いていた。
おととしまでは中学でエースとして投げていたらしい。
体力があって、実戦経験は豊富。カーブとシュート、スライダーが投げられて、ストレートの球速はなかったけれど、コントロールは抜群。
あのBL学園からのスポーツ推薦があったらしいけど、卒業と同時に野球をやめてウチの高校に入ってきたという。
僕からしてみれば、オー君は才能の塊に見えた。
それだけの才能があるのに野球をやめたことが信じられなかった。
🥎
あれは何度目のスカウトだったかな?
しつこかった僕に、君は怒らず本当の気持ちを話してくれた。
それは僕への最後通告だったのだろう、これ以上構わないでくれ、という。
「いつもいつも兄と比較されて、才能がなくてかわいそう、残念って、そういう哀れんだ視線を向けられるの、もううんざりなんだよ」
そう。あまりに僕は無神経だった。
だから僕は想像した。ずっと誰かと比較されてきた痛みを。
もちろん人の痛みなんて完全には分からないし、わかるはずもない。
それでも僕はオー君にちゃんと伝えたかった。
誰にも素晴らしい才能がちゃんとあるってことを。
みんなが持っていない君だけの素質がちゃんとあるってことを。
たぶん君にとって僕は無神経でおせっかいな奴と認定されているだろう。
でもそれでいい。その無神経でおせっかいなところが僕の才能なのだ。
ま、それになんといっても僕はあきらめるつもりはなかった。
何といってもあのBL学園に勝ちたかったからだ。
勝って甲子園まで行くつもりだったからだ。
そのためにはどうしてもオー君が必要だったのだ。
たとえそれが単なる僕のわがままでしかなかったとしても。
でもこの縁がきっと僕とオー君をなにか良い方向に導いてくれるという確信が、僕を突き動かしていた……
🥎
そんなあれこれがあって、今、オー君は僕の隣に並んでくれている。
そして兄の『王』の前にしっかりと向き合っている。
「へーき」
それからオー君は目を開けて兄のことをしっかりと見つめた。
するとその兄『王』が少し微笑むのがわかった。
「お前と野球すんの、久しぶりだな」
「だね」
「コテンパンにしてやる」
「されないようにね」
兄弟の短いやり取り。
そこに流れた不思議と暖かな感情。
僕の選択は正しかった。
その瞬間に僕は確信した。
彼ならきっと兄を乗り越え、勝利を導いてくれると。
🥎
ベース越しに挨拶が交わされ、両軍がベンチに引き上げる。
サイレンの音が夏空に吸い込まれていき、いよいよ試合が始まった。
~つづく~
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