最終話


 その後は両親に見守られながらの、検査に次ぐ検査。

 

 脳に異常は見られなかったようだが、俺は肋骨だけでなく左足も骨折していて、すぐには退院できない状態だった。その上、片方の耳が聞こえずらくなっていて、交通事故になんて遭うものじゃない、二度と車の前に飛び出すなんて馬鹿な真似はしないと固く自分に言い聞かせた。


 つらいリハビリが始まり、車いすにも乗れるようになった頃、


「…………よぉ」


 慎也が見舞いにやってきた。

 また殴られるのかとつい反射的に身構えてしまった俺だったが、今は元の身体に戻っていることを思い出して、


「なんだ、来たのか」

「ああ、来た」


 快く弟を迎えるが、慎也はサッカーボールを手に取ると、無言でベッド脇にある椅子に座る。


「…………」

「…………」

「……慎也、俺に何か言うことはないのか?」

「別に」


 タスクの前ではよく喋って、「ぶっ殺す」なんて物騒な言葉で啖呵を切っていたくせに。俺の前では無口でおとなしい、いつもの慎也だ。

 

 両親はこんな弟のことを恥ずかしがり屋の引っ込み思案だと思い込んでいるようだが、


「普通はなんかあるだろ。調子どう? とか、リハビリ大変そうだね、とか」

「……調子どう?」

「最悪。病院食すげぇまずいし」

「あ、そ」


 これだよ。

 基本冷めてて自分のこと以外には無関心。


 ――そう思ってたんだけどな。

 

「慎也、お前に大事な話がある」


 とりあえずこいつの誤解を解いてやらねばと重い口を開いた。


 俺が車に轢かれたのは自業自得で、けして甘神さんのせいではないということ。

 タスクのことはいくらでも殴っていいが、甘神さんには絶対に手を出すなと、口を酸っぱくして言い聞かせる。


「分かったな?」

「なんで俺がタスクを殴ったって知ってんの? タスクがチクった?」


 実際は現場にいたわけだが、「そうだ」と断言する。


「……草士、その女に騙されてるんじゃないのか?」

「俺がそこまで馬鹿に見えるか?」

「見える」


 こういう時だけ即答しやがって、腹立つわーと思いつつ、


「甘神さんはいい人だよ。そのサッカーボールを見て、お前が俺のことをすごく心配してるんだって教えてくれた。俺はてってきり、お前に責められているんだと思っていたけど、そうじゃないって」


 これ見よがしに慎也は大きくため息をつくと、


「気色わり。のろけならよそでやれよ」


 憎まれ口を叩いて立ち上がる。


「もう帰るのか?」

「……ああ」

「そのサッカーボールどうするんだ?」

「持って帰る。俺のもんだから。草士にはもういらないだろ」


 意味不明なことを言って、慎也はさっさと病室から出て行ってしまった。



 その数日後、見慣れない女子が高級菓子を持って見舞いにやって来た。


「御伽、目ぇ覚ましたんだね。本当に良かった」

「ええと、どちらさまで?」

「目黒だよ。目黒里香、一年の時同じクラスだったんだけど、覚えてないかな?」


 休日だったせいか、私服姿だったので気づかなかった。


 学校では真面目系委員長タイプに見えた目黒だったが、長い髪を下ろしてコンタクトをつけている目黒は正直に言って美人だった。よく見れば化粧をしてるせいもあるのかもしれないが、いわゆる隠れ美人という奴だろう。これなら病院ですれ違っても気づかないはずだ。


「……ああ、覚えてる。見舞いに来てくれてありがとう」


 目黒は落ち着かない様子で何度も髪の毛を整えると、


「お礼を言うは私のほうだよ。御伽は覚えていないかもしれないけど……」


 タスクの前だとあれほど落ち着いて話をしていた目黒が顔を赤くしていた。

 口調も早口で、


「私、こう見えておばあちゃんっ子なの。お母さんが小学生の時に亡くなっちゃったから、おばあちゃんに育てられたのね。それで、その、これはおばあちゃんから聞いた話なんだけど……」


 まったく話が見えない。

 一体何が言いたいのかと首を傾げる俺に、


「おばあちゃん、最近足腰を悪くしてて、横断歩道を渡る時も信号が赤に変わるギリギリまでかかるの。私、おばあちゃんがいつも車に轢かれないか心配で……だからできるだけ重い荷物は持たないでねってお願いしてるんだけど、たまたまその日は野菜の特売日で、荷物が重かったそうなの」


 目黒はどもりながらも懸命に話を続ける。

 

「それで、横断歩道を半分渡ったあたりで信号が赤に変わっちゃって、どうしようってパニックになった時に、高校生くらいの男の子がさっと近寄ってきて、荷物を持ってくれたんだって。そのまま停まってる車の運転手に頭を下げながら、渡り終えるまでおばあちゃんの手を引いてくれたそうなの。荷物も、家まで運んでくれて……」


 横断歩道、おばあちゃん、重い荷物。

 身に覚えのあるワードに「ああ」と声を出す。


「私ずっと、その男の子こと探してたんだ。会ってじかにお礼が言いたかったから」

「なんだ、目黒のばあちゃんだったのか」


 あの後、お礼にミカンやら飴やらもらったので、別にお礼は必要ないと言うと、


「ううん、そんなことない。大事なことだから、ちゃんと言わせて。御伽、うちのおばあちゃんを助けてくれてありがとう」


 真面目な顔で言って目黒は深く頭を下げた。

 恐縮する俺に、


「話はそれだけ、それだけだから」


 照れ臭いのか、慌ただしく部屋を出ていこうとする。

 そんな目黒を呼び止めて、

 

「目黒、また学校でなっ」


 彼女は弾かれたように振り返ると、「うん」と目に涙を浮かべて頷く。


「俺も車には気を付けるから、目黒も気を付けて帰れよ」


 


 …………





 松葉杖を使って歩けるようになると、俺は早々に退院して家に戻ってきた。

 これ以上学校を休めば出席日数が足りずに留年――弟と同学年になるなんて死んでも嫌だった。


 長い入院生活のせいか、少し歩いただけで息切れしてしまう。

 筋力もかなり落ちてしまったので、しばらくは体力づくりに専念しよう。



 ともあれ、久しぶりの我が家だ。



 ――やっぱり自分の部屋は落ち着くな。



 このままずっと家でゴロゴロしていたい気分だったが、退院したら真っ先に行きたい場所があったので、俺は家を出て電車に乗った。行先は当然、キングがいる保護猫カフェである。



 キングは俺のことを覚えてくれていて、部屋に入るなり「ニャー」と鳴いてすり寄ってきた。キングと戯れつつ、閉店時間いっぱいまで猫たちに囲まれて過ごした俺は、「また来るからな」と彼らに約束し、部屋を出る。



「御伽さん、デレデレじゃないですか」



 部屋を出たところで甘神に指摘されて、慌てて表情を引き締めた。



「デレてないし」

「服も毛だらけですよ。どうしていつもコロコロを使わないんですか?」

「ちゃんと使ってるって」



 嘘だ。本当は面倒で、使うふりをしているだけ。

 甘神は呆れたように奥の部屋からコロコロ、もとい粘着クリーナーを持ってくると、


 

「じっとしていてくださいね」



 ゴリゴリと俺の背中に押し当ててくる。

 力が強すぎるのか、ちょっと痛い。



「心配しなくても、洗濯くらい自分でやるよ」



 さすがに猫アレルギーの母親に、毛だらけの服を押し付けたりはしない。

 弟はともかく、基本うちは自分のことは自分でやる放任主義だ。


「そういう問題じゃありません」


 呆れたように言いつつも、当然のようにズボンにまでコロコロを押し付けてくるので、さすがに焦って逃げた。


「御伽さん、まだ綺麗になっていませんよ」

「もういいって。じゃあ俺、帰るから」

「待って、私も一緒に帰ります」


 もっとも俺も最初からそのつもりだったので、店の外で彼女が出てくるのを待った。


「お待たせしました、御伽さん」


 松葉杖をつく俺に合わせて、甘神はゆっくり歩く。


 のんびりと並んで歩きながら、彼女を近くの公園へと誘う。

 きょろきょろと周辺を見まわして誰もいないことを確認し、足を止める。


 すぅっと大きく息を吸うと、あらためて甘神に向き直った。


「甘神連珠さん、好きです。俺と付き合ってください」

「……どうしたんですか、急に」



 ぽかんとする彼女に、「滑ったー」と内心凹む。



「いや、こういうの、うやむやにするのもどうかと思ってさ。けじめって大事だろ」

「御伽さんって、意外と真面目なんですね」


 甘神はクスっと笑うと、あらためて俺に身体を向ける。


「だったらもう一度言ってください」


 白い頬をほんのり染めて、彼女はねだるように言う。



「もう一度、言って」



 今度は長く息を吐いて緊張を誤魔化すと、



「甘神連珠さん、好きです。俺と――」



 その先は言えなかった。

 なぜなら甘神に口を塞がれてしまったから。



 唇を離すと、彼女は真っ赤になって俯いた。



「こんな私で良かったら……喜んで」



 もう、会話は必要なかった。

 甘神の身体を抱きしめながら俺は生きる喜びを噛みしめていた。







 終わり

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ハイスペ幼馴染の彼女は俺のことが好き 四馬㋟ @shibata-666

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