第28話
板井はおそらく、塩沢がタスクを階段から突き落とすところをどこかで目撃していたのだろう。それで塩沢の真似をした。
下手をすれば、塩沢に罪を擦り付けることになると思わなかったのか?
駅のホームから俺タスクを突き落とそうとしたのも、塩沢でも慎也でなく、板井だったのだ。
――そんなにタスクのことが好きなら、中身が別人だってことにも気づけよな。
考えると、無性に腹が立ってきた。
俺は塩沢のことも板井のことも何とも思っていない。
むしろどうでもいい。
赤の他人がどうなろうと知ったこっちゃない。
「お前のほうこそ、ふざけんなよっ。この勘違いのイカレ女っ」
俺は咄嗟に手を伸ばして板井の腕を掴み、かろうじて踏みとどまった。
板井といえば、後追いすると宣言したわりに、階段から落ちないよう、片方の手でしっかりと手すりにしがみついている。
「勝手に夢みてんじゃねぇよっ。
逆切れする俺にビビったのか、板井は一瞬ひるんだような顔をした。
「こんな
顔面蒼白になった板井は唇を噛みしめ、震えていた。
長い沈黙の末、絞り出すような声を吐く。
「……志伊良君みたいな人には分からないよ、私の気持ちなんて」
ようやく、板井が本音を語り始めた。
ここからが正念場だと、俺は息を吸う。
「自分に自信がないの。自分のこと、好きになれないんだよ。けど、夏鈴は私の理想なの。強くて、可愛くて、いつだって自信満々で……夏鈴みたいになりたいと思っちゃダメなの? 私は、夏鈴みたいにはなれない?」
「少なくとも塩沢は、俺と心中なんてしないよ」
そうだね、と板井は頬を引きつらせる。
「夏鈴だったら自分磨きに専念して、志伊良君のことを悔しがらせるだろうね」
「それが分かってて、なんでこんな馬鹿なことするんだ」
「こうでもしないと、志伊良君と関われないから」
震える声で板井は打ち明ける。
「志伊良君に、私を見て欲しかったの。気づいて欲しかった」
「……だから俺を殺すのか? 自分のために?」
板井は唇を噛みしめて、しゃくり上げるような声を出す。
「だって……だって……」
「俺はお前の好きな志伊良タスクじゃない」
怪訝そうな表情を浮かべる板井に、はっきりと告げる。
「そう言ったら信じるか?」
「志伊良君は、志伊良君だよ」
「見た目はな。中身は別人なんだ。タスクのことが好きなら、分かるはずだろ?」
板井は訳が分からないといった顔をすると、
「そういえば、頭を打ったせいで記憶喪失になってるって聞いた。そのせいなんでしょ?」
そう言って自分を納得させる板井に、「お前ら、タスクの顔しか見えてないのな」と心から幼馴染に同情してしまう。自己中心的な人間は共感力に欠けていると何かの記事で読んだことがあるが、板井も塩沢も、その点で言えば似た者同士なのかもしれない。俺だって、本当の自分を見て欲しいのに――などとセンチメンタルなことを考えつつ、
――気づいたのは甘神と……目黒だけか。
そういえば甘神を病院で待たせているんだった。
きっと今頃、俺のことを心配しているだろう。
早く彼女のところへ戻らないと。
「板井、何度も言うようだけど、俺はお前の好きな志伊良タスクじゃない。階段から落ちた後、別人になったんだ。だから……」
「もうやめて……やめてよっ。私に好かれたら迷惑だって、はっきり言えばいいじゃないっ」
売り言葉に買い言葉。
いくら説明しても、まるで聞く耳をもたない板井に、俺もついキレてしまい、
「ああ、迷惑だっ。
次の瞬間、板井が手を離した。
彼女のことを説得するつもりだったが、失敗に終わったようだ。
ふわりと身体が宙に浮かび、階段から転がり落ちる。
――やっぱイメージトレーニングって大事だよな。
この時のために、密かに特訓していて良かった。
俺はすぐさま手をついて着地すると、頭と首を両腕で保護しつつ、横向きに転がる。
さすがにタスクのずば抜けた運動神経や高い身体能力を以てしても、プロのスタントマンばりに無傷とはいかず、手首をひねってしまい、頭も打ってしまったが、意識を失う寸前で、防犯ブザーのピンを抜くことはできた。
――板井はどうなった……?
結局、彼女の姿を確認することはできず、俺の視界はブラックアウトした。
…………
死、というものを意識するようになったのはいつ頃だろう。
小学生の頃、父方の祖母が交通事故で亡くなった時、薄情にも涙は出なかった。年に一度、会うか会わないか程度の付き合いだったし、俺がまだ子どもで、死というものがイマイチよくわかっていなかったからかもしれない。
その二年後、祖父が病気で死んだ時も涙は出なかった。
むしろ長い闘病生活で苦しむ祖父を見るのが辛かったので、最期は苦しまず、眠るように息を引き取ったと聞かされた時はホッとしたくらいだ。
あれは中学一年の秋、
「お前なんか、イッちゃんの代わりに死ねばよかったんだっ」
部活仲間と喧嘩して、吐き捨てられた言葉をたまに思い出す。
喧嘩の理由は思い出せないが、俺が何か言って、相手をひどく怒らせたことだけは覚えていた。
イっちゃんというのは当時クラスの人気者で、一年でサッカー部のレギュラーを勝ち取ったエース――明るく誰とでも打ち解けてしまう性格で、俺にとっても気の合う部活仲間だった。
そんなイっちゃんが校庭のフェンスを越えようとして足を滑らせ、背中から落ちてしまった。不運にも打ち所が悪く、運ばれた先の病院で亡くなったと聞かされた時は部活仲間やクラスの誰もがショックを受け、嘘だ嘘だとわめき出し、一人、また一人と泣き出した。
俺も泣いた。
葬式でも泣いたし、家に帰ってからも涙が止まらなかった。
それから間もなくして、俺はサッカー部を辞めた。
なぜかサッカーをするのも、見るのも嫌になってしまったからだ。
親が買ってくれたサッカーボールを弟に譲ると、代わりに野球部に入部した。何かにとりつかれたように猛然とバットを振り回していた時期もあったが、長くは続かず、半年くらいで辞めて塾に通い始めた。その上、勉強にも身が入らず、親が望むような私立の名門や競争率の激しい超難関高校に合格することもできなかった。
たいして勉強しなくても成績は常に全校生徒の中で十番以内、国語にいたってはほぼ満点を取っていた俺である。
両親の期待は大きく、その分、受験に失敗した時の失望もデカかった。
「草士、あなたはやればできる子なのに……どうしたの? 体調でも崩した?」
「どうせ勉強するふりをして遊びほうけていたんだろ? 正直に言いなさい」
テレビを野球バットで叩き割って以降、親とはあまり口を利かなくなった。
俺が何か言ったところで言い訳にしかならないと分かっていたからだ。
――きっと俺が死んだところで、イっちゃんみたく悲しんでもらえないだろうな。
悲劇のヒロインぶって、自己憐憫に浸っていた時期もあった。
だからだろうか。
川で溺れていた猫を救えず、甘神が泣き崩れていた時、あんなにも心を動かされたのは。俺自身、救われたような気持になれたのは。
『御伽さん、起きてください、御伽さん』
甘神の声が聞こえる。
どうやら俺は眠っているらしい。
『御伽さん、私の声が聞こえますか? 聞こえたら返事をしてください』
ああ、聞こえてる。
返事をしなくちゃと、俺は暗闇の中で手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます