第21話
案の定、次の朝、殴られた部分は青あざになっていた。
その上、
――おいおい、まさか……嘘だろぉ。
朝起きて洗面台の前に立ち、ガリガリと頭を掻いていた時に気づいた。
ある一部分だけ、髪の毛の感触がないのである。
不思議に思って鏡をのぞき込むと、そこだけ禿げていた。
円形脱毛症――いわゆる十円禿だ。
「ふう、
にしても看過できない事態である。
今はかろうじて髪の毛に隠れる程度だが、さらに被害が広がれば周囲の目を欺くことは難しい。このことに気づいた一部の人間は気まずそうに目をそらすか、正面切ってからかってくるかのどちらか。タスクに群がる女子達はおそらく気づかないふりをするか、下手をすればショックのあまり気絶してしまうかもしれない。
――もしかして、塩沢の時もこれで撃退できたんじゃないのか?
目の前で排便するよりもまだリスクが低い気がする。
――過ぎたことを言ってもしかたないか。
ともあれ、十円禿ができる原因は様々あり――遺伝によるもの、身体的、精神的ストレスによるもの、病気等など――とりあえず、原因を特定することから始める。頭を打って入院した時に散々検査を受けたので、病気の線は薄い。
ならば遺伝かと思い、タスク母に頼んで志伊良家の家族写真を見せてもらった。注目すべきは彼らの頭皮である。両親及び祖父母の髪の毛はふさふさで――祖父に関しては鬘を付けている可能性も捨てきれないが――遺伝による可能性は低い。となると、濃厚なのはストレス性によるものだと俺は勝手に結論付けた。
――ここ最近、ろくに眠れてなかったからな。
間違いなく多大なストレスがかかっていたに違いない。
元ヤンに付きまとわれ、実の弟に殺されかけたのだから、それも当然だ。
これ以上、被害が拡大する前に溜まっているストレスを発散せねばなるまい。
そのためにはあるものが必要だ。
俺はタスクの室内を物色し、ついにお宝を見つけた。
預金通帳である。
――あいつ、こんなに貯めてやがったのか。
この際だ、全部使ってやれと、俺はそれを手にコンビニへ直行した。暗証番号は予想通りタスクの誕生日で、俺は手にした札束――少なくとも二十万はあるだろうか――をいそいそと財布にしまうと、人目を忍ぶようにその場をあとにする。
――これから何をしよう? 何を買おうか?
一気にテンションが上がり、アドレナリンが分泌されるのを感じる。
高校生には手が出せないハイブランドのスニーカー、高級腕時計、最新型のゲーム機――欲しいものは山ほどあったが、それを購入したところで単にタスクのコレクションが増えるだけなので、物を買うのはパスだ。
――ならパーっと使っちまおう。
派手に豪遊するつもりだったが、具体的に何をすれば豪遊になるのか分からず、とりあえずゲームセンターへ向かった。そこで思う存分、遊びまくるつもりだのだが、ついゲームに夢中になっていると、近くでたむろしている不良グループに目を付けられ、カツアゲされそうになったので慌ててその場から逃げ出す。
――そういや、タスクは目立つんだよな。
道を歩けば自称スカウトマンに声をかけられるし、ショップに入ればすぐさま店員にマークされ、あれこれ勧められてのんびり買い物もできない。これで知り合いに会おうものなら……考えるだけでぞっとしない。今日は一人でこっそり息抜きしようと決めていた俺は、とりあえず古着屋で大きめのシャツと帽子と伊達メガネを買って変装した。
これなら誰にも気づかれないぞと思ったのだが、
「あ、タスクじゃん」
「こんなとこで何してんの?」
「もしかして一人?」
クラスの女子達と遭遇し、あっさり正体を見抜かれてしまう。
俺は回れ右をしてすぐさま彼女達の前から逃げ出した。
遊びまくってストレスを発散するつもりが、今日は逃げてばかりである。
珍しく大金を手にしているせいで、神経質になっているのだろう。何度も振り返ってしまうのもそのせいだ。
誰かに盗まれる心配をするくらいなら、早く使い切ってしまったほうが身のためだと思い、俺は真っすぐ猫カフェへ向かった。結局いつものパターンになるのかと自分でも呆れたが、そこで知り合いに会うことは滅多にないので、一人でゆっくり過ごすには最適な場所と言える。
猫アレルギーなので触れ合い部屋には入れないが、飲食スペースで食べたい物を食べたいだけ、飲みたいものを飲みたいだけ注文した。激辛カレー、ピザ風ホットサンド、猫パフェ等々、腹いっぱい食事をして、会計の後、残ったお金は全て募金箱の中に突っ込んだ。
――こういう金の使い方も悪くないな。
良いことをすると大変気分が良い。
他人の金だからなお更である。
「御伽さん、来てたんですね」
ひょっこり顔を出した甘神が俺に気づいて手を振ってくれる。
「私もちょうど上がりなので、一緒に帰りましょう」
もちろんそのつもりで来た。
そのために長居したのだから。
「お顔が大変なことになっていますね。まだ痛みますか?」
「痛むことは痛むけど、タスクの顔だからどうでもいい」
投げやりに答えれば、甘神は「御伽さんらしい」と苦笑いを浮かべる。
「あのさ、昨日はごめん」
「御伽さんが謝ることは何もありませんよ。それよりも早くうちに帰って、傷を治してください」
甘神の隣は居心地が良い。
女性的な仕草や優しい態度にドキドキすることもあるが、基本、嫌なことを忘れて、穏やかな気持ちでいられる。
「そういえば、お店のほうは順調? 子猫がたくさん保護されてるみたいだけど」
「お店の前に猫ちゃんを捨てた方がいて……そのせいです」
と甘神は怒ったように話し出す。
「里親は見つかりそうか?」
「すぐに引き取られる子もいれば、ずっとお店にいる子もいるし……難しいですね」
そうか、と俺はつぶやく。
「カフェの売り上げも伸びなくて、メニューを減らすことになるそうです」
「……店の経営、うまくいってないの?」
「かもしれません。最近、店内の雰囲気がどことなく暗くて……」
飲食店の廃業率は高いとテレビのニュースで見たことがある。
たいていは三年以内で潰れてしまうらしい。
保護猫活動に眉をひそめる人間もいるだろうが、それを応援している人達もたくさんいる。その人達のためにも頑張ってほしいところだが――あまり人に頼るのも良くないと思い、
「ネットで投稿して、いいレビューを書くとか……」
早速実行しようと思ったが、スマホを使えないことを思い出して断念する。
「ごめん、スマホのパスワードさえ分かればいいんだけど」
「気にしないでください。高校生の私たちにできることなんて、たかがしれていますから」
「……知り合いに人気ユーチューバーでもいればなぁ」
「一時的にお客さんが増えても解決したことにはなりませんよ。サスティナブル、でないと」
そう強調して、甘神は明るく笑ってみせる。
「近々クラウドファンディングで新装開店のための資金を募るそうなので、知り合いに声をかけるつもりです」
「だったら俺も協力するよ」
普段はあまり役に立たない俺だが、今は金持ちのイケメン高校生。
どこへ行っても目立つこの容姿と両親に溺愛されている一人息子という立場を利用しない手はない。
――タスク父にも協力してもらうか。会社で取引先や従業員に声をかけてもらうとか。
それにしても、
「甘神はなんでそんなに一生懸命なんだ?」
「……どうしたんですか、急に?」
「いや、そういえばあらためて訊いたことないなと思って。甘神があの店でボランティアしている理由とかさ」
すると彼女は「馬鹿にしないでくださいね」と言いつつ、恥ずかしそうに答えてくれる。
「夢なんです。あんなお店を持つことが」
甘神も俺と同じく、母親が猫アレルギーで猫が飼えないらしい。けれど海外にいる、父方の祖父母の家ではたくさんの保護犬や保護猫が飼育されていて、動物好きになったのはその影響だという。
「ですから少しでも勉強したいなと思って……」
甘神らしいと、俺は感心して彼女の話に耳を傾ける。
「本格的な動物の保護施設を作るとなると、年間の運営費用が億単位を超えるそうなので、あくまで私にできる範囲で、って感じなんですけど」
億、と聞いて俺は目をむく。
「……やっぱり金がかかるんだな」
「はい、ですからお店などは持たず、個人や団体で活動されている方が多いですね」
そういえばインスタでもよくその手の動画をよく見かける。
「……すごいな、もう将来のことまで考えてるんだ」
「すごくないです。まずは働いてお金を貯めないといけないし、資金集めや経営についても勉強しないといけませんから」
「甘神ならきっとできるよ」
「無責任なことを言わないでください、今だって親に反対されているんですから」
「ごめん。もちろん俺にできることがあれば協力するから」
甘神は照れ臭そうに顔を伏せると、
「当てにしています。でもその前に、御伽さんにはやることがあるでしょう?」
そうだった。
まずは草士(タスク)をたたき起こして、中身が入れ替わっていることを甘神に証明する。
そしてなんとしてでも元の身体に戻る。
でないと、彼女の手を握ることも抱きしめることもできないから。
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