第20話


 

 もしかしたら、タスクをホームから突き落とそうとしたのは慎也かもしれない――いやいや、さすがにそれはないだろう。俺なんかのために殺人を犯すほど、慎也はブラコンでもないし単純でもない。そうだ。慎也じゃない。慎也のわけがない――と思いたい。


 そんなことを鬱々と考えながら、病院前で俺を待っていた甘神と合流する。


「御伽さん、その顔の傷……」


 説明を求める甘神に、「しばらく俺(草士)の病室には行かないほうがいい」と忠告する。


 さすがの慎也も女に手を上げることはないと思うが、用心に越したことはない。

 これ以上、あいつを刺激しないようにしなくては。


 話を聞いて、甘神は唇を噛みしめると、


「私なら構いません。殴られても、蹴られても……御伽さんが目を覚ましてくれるのであれば、なんでもします」

「甘神に何かあったら、俺が自分を許せないんだ。だから頼むよ」


 俺がどれだけ頼んでも、彼女は「分かりました」とは言わなかった。

 

「だったら何もせず、ただ時間が過ぎるのを待つつもりなんですか?」

「なんでそうなるんだよ。ただ慎也の気持ちが落ち着くまで待ってほしいって言ってるだけじゃないか」

「気持ちが落ち着くなんてこと、ありえないと思います」


 震える声で甘神は断言した。


「大切な人があんなことになってしまったら、悲しみは続きます。慎也さんが御伽さんのことを好きだったのだとしたら、なおさら……時間は解決してはくれません」


 そう言って、甘神は走り去ってしまった。


 どうやら俺は慎也だけでなく、甘神まで傷つけてしまったらしい。


 ――帰って頭でも冷やすか。


 問題はどうやってタスク母に顔の傷をごまかすかだが。


「ターくん、どうしたのよ、それ」

「……転んだ」

「まさかまた階段で?」

「そう」

「噓おっしゃいっ。転んでそんな傷ができるわけないでしょ」

「……友達と喧嘩しただけだよ」

「なら初めからそう言えばいいのに」

「ごめん」

「それでどこのお友達にやられたの? まさかいじめじゃないわよね?」

「まさか、いじめられてなんかいないよ」


 タスク母はじっと俺の顔をのぞきこむと、


「そのお友達の名前を教えて」

「なんで? 母さんには関係ないだろ」

「関係あるわ。大事な息子が腫れあがった顔で帰ってきたのよ。相手の親御さんに知らせて、厳重注意してもらわないと。もう二度とこんなことが起きないように」


 過保護だな、と苦笑いがこぼれる。

 塩沢を追い払うためにタスク父を利用した俺がどうこう言える立場ではないが。


「先に手を出したのは俺だよ」

「相手の子をかばってもダメよ。名前を教えなさい」


 俺は大きくため息をつくと、


「……母さん、頼むから今は一人にしてくれよ」


 心から我が子を心配するタスク母には申し訳ないが、これ以上、嘘に嘘を重ねるのはつらすぎる。


 タスクと中身が入れ替わったことをごまかすために、クラスメイトや友人らには記憶喪失で通しているが、タスクの両親にはさすがに嘘をつけず、タスクのふりをしてこれまで隠し通してきた。しかしそれももう限界かもしれない。


「ターくんっ、待ちなさいっ、タスクっ。あなた、どうしちゃったのよっ。前はなんでも話してくれたのに――食べ物の好みも変わっちゃうしっ、あんなに好きだったパパと出かけようともしない。あなた、病院から戻ってきてから変よっ」


 血相を変えて追いかけてくるタスク母に、いい加減、俺も余裕を失くしてしまい、


「ああそうだよ、おばさんっ、俺はタスクじゃないっ。あんたらの息子は今も病院で眠ってるっ。ここにいるのは別人だっ。ようやく気が付いたかよっ」


 早口で捲くし立て、呆気にとられるタスク母の鼻先でバンっと音を立てて扉を閉めてしまった。


 ――あーあ、ついにやっちまった。


 後悔先に立たず。

 俺もかなりパニクってるみたいだ。これでは慎也のことを悪く言えない。


 よりにもよって、タスク母に八つ当たりをしてしまうとは。

 彼女もまた被害者なのに。


 現にタスク母もショックを受けているらしく、固まっているらしい。部屋の前から動こうともしない。すぐにでも謝りたかったが、どう切り出せばいいのか分からず悩んでいると、



「どうしたんだ、大きな声を出して」


 近づいてくる足音を聞いた。

 どうやらすでにタスク父が帰宅していたらしく、


「パパ……実は――」


 すぐさま駆け付けて、小声でタスク母と話している。


「そうか、そんなことが……」

「私、何かまずいことをしたのかしら」


 俺が扉に耳を押し当てて盗み聞きしていることに気づいているのか、二人はひそひそ声で続ける。


「タスクは草士くんのことがショックで、自暴自棄になっているんじゃないのか? 二人は仲良かったんだろ?」

「以前はね。最近のことはよく知らないの。けど、パパの言う通りかもしれない。私たちも一緒にお見舞いに来るよう、あの子が頼むくらいだから」

「あいつが頭を下げて頼みごとをするなんて、今までなかったもんなぁ」

「……本当ね」

「だったらまずいことをしたなぁ。すぐに帰っちまって。そのことでタスクも怒ってるんじゃないのか?」

「かもしれないわ」


 思い当たる節があるのか、タスク母の声は落ち込んでいた。


「大事なお友だちが事故に遭って苦しんでいるっていうのに……ちっとも気づかなかった。母親失格ね」

「しばらく放っておいてあげなさい。構いすぎは良くない」

「そうね、わかったわ」


 どうやらタスク父が事態を丸く収めてくれたようだ。

 遠ざかっていく二つの足音を聞きながら、俺はホッと胸をなでおろした。


 すると今度は甘神のことが気になり、俺は再びタスクのスマホを手に取った。


 画面がヒビ割れているものの、壊れていないのは確認済みだ。

 ただしパスワードを入力しなければロックが解除できないよう設定されている。


 せめて指紋認証にしとけよなと文句をたれつつ、


 ――どっかにメモとか残してないかな。


 一通り探したが見つからなかった。

 とりあえず甘神から連絡が来た時のために、いつでも電話に出られるよう電源を入れておく。


 ――これでよし。


 今日は長い一日だった。


 ベッドを見た途端どっと疲れが出てきて、よろよろと近づいてダイブする。直後に傷口が枕に当たってしまい、「――つっ」と痛みで涙が出てきた。


「いてーなぁ」


 ――慎也の奴。思いっきし殴りやがって。元の身体に戻ったら覚えてろよ。




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