第19話




「……タスク、お前ここで何してんの?」


 面会時間が終わり、いつものように病室を出ようとした時だった。


「お前がここにいるなんて意外だな。兄貴を笑いにでも来たのかよ」


 怒りを押し殺したような低い声。


 そこにいたのは名門私立高校の制服を着た学生――弟の慎也(しんや)だった。

 きりっと整った男らしい顔立ちに、高校一年生とは思えないふてぶてしい態度。


 まさかここで弟と鉢合わせするとは思わず、俺は固まってしまった。

 慎也は俺の後ろに立つ甘神に気づくと、「女連れかよ」と吐き捨てるような声を出す。


「部活辞めて女と遊びまわってるって噂、マジだったのか。情けない奴。消えろよ」


 タスクを前にしてここまで言えるのは慎也くらいなものだろう。

 昔から怖いもの知らずで、相手が誰であろうと率直にものを言う――だから友達が少ないのだろうと、俺は密かに同情していた。


 誰ですか? と小声で甘神に話しかけられて「俺の弟」と小声で返す。

 甘神はすぐさま事情を察すると、「なら、私はお先に失礼します」と頭を下げて、そそくさと帰ってしまった。



「消えろって言ったのが聞こえなかったのか? お前もさっさと帰れよ」



 こんな言い方をされて、当事者だったら今ごろ激しい殴り合いの喧嘩になっているだろうが、


「慎也、その言い方はあんまりだろ。タスクになんか怒ってんの?」


 つい好奇心から訊ねると、射殺すような視線を向けられる。


「お前、この状況見て分かんねぇのかよ」


 野犬がうなるような声を出されて、んん? と首を傾げる。


「草士(俺)があんなことになったのはタスクのせいだって言いたいのか?」


 こっちは冗談半分で言ったつもりだったが、


「ああ、そうだよ。お前が兄貴の彼女を横取りしたから、兄貴は自殺しようとしたんだ」


 慎也は噛みつくように返してくる。


「それなのによく俺の前に顔が出せたな。そこまでクズだとは思わなかった」


 今にも殴りかかってきそうな形相で睨んでくるので、「ちょっと落ち着けって」と慌てて口をはさむ。


「甘神さんは草士(俺)の彼女じゃないぞ」

「ざけんな。俺は見たんだ、二人が手をつないで歩いているとこ」

「……いつ?」

「とぼけるなよ、タスク。お前だってその場にいただろ」


 おそらく、川で溺れた猫が死んで、泣き崩れる甘神を俺が強引に手を引いて歩かせていたことを言っているのだろうが、


 ――まさか二人に見られていたとは……。


 全く気づかなかった。

 あの時は甘神を歩かせるのに必死で、人目を気にする余裕なんてなかったから。


「兄貴は隠してたけど、俺は知ってたんだ。彼女ができたって。休みになるとこそこそ出かけてたし」

「それはお前の勘違いだ」


 つい考えが口に出てしまった。

 案の定、まだ言うか、とばかりに慎也は拳を震わせる。


「身体がでかくなっただけで兄貴に勝ったつもりかよ。ホント要領だけは良いよな、お前。昔からそうだった。面倒なことがあるとすぐに家族に頼って、自分じゃ何もしようとしない。兄貴のことも都合よく利用して、いらなくなったらポイだもんな。マジでいい性格してるよ」


 慎也にはタスクがそういう風に見えていたのかと、息を飲んで耳を傾ける。


「兄貴の彼女を横取りしたのも、自分のほうが兄貴よりも上だって証明したかっただけだろ? 別にその女のことが本気で好きだったわけじゃない。ガキの頃、兄貴の金魚のフン扱いされて怒ってたもんな。知ってるか? そういうのを逆恨みって言うんだ」


 よほど頭に血が上っているのか、いつも家では無口な慎也が、珍しく饒舌になっている。


「このクズ野郎。兄貴が死んだらお前を殺してやるっ」


 怒鳴りながらも、慎也の目にはうっすら涙がにじんでいた。

 あの生意気でクールな弟が、俺のために怒っている。悲しんでいる。


 目を疑うような光景に、ぽかんとしていると、


「他人事みたいな顔しやがってっ。さっさと俺の前から消えろっ」


 よほど馬鹿面をさらしていたのだろう。

 ついにキレた慎也が殴りかかってきた。

 

 とっさに反応が遅れて、まともに拳を食らってしまう。

 久しぶりに受けた慎也の拳は重く、冷たかった。


 これは明日、青あざができるかもしれない。

 しかしこれだけは言わなければと思い、


「お前こそ、タスクに八つ当たりするのはやめろよ。草士(俺)は女を取られたくらいで自殺するような男じゃない」


 その言葉が余計に慎也を逆上させたらしく、いっそう強く殴られた。

 立て続けに二度、三度と殴られて、意識が遠のき、足もとがふらつく。


 周りにいる人たちがぎょっとしたように俺たちを見ている。少し離れた場所から看護師が足早に向かってくるのが見え、さすがにこれ以上はまずいと思い、俺は慎也に背を向けて走り出した。 


「二度とここへは来るなっ。また来たらぶっ殺してやるっ。俺は本気だからなっ」


 今にも泣きだしそうな慎也の声が、いつまでも耳に残って離れなかった。



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