第17話
甘神に誘われて、俺たちは動物園を出ると病院へ向かった。
病室を訪れると、そこには相変わらず生命維持装置に繋がれた、ボッチの俺(草士)がいたが、
「見てください、これ」
サイドテーブルに置かれたノートを、甘神が持ってきてくれる。
「ここに書かれているものは全部、御伽さんへのメッセージですよ」
早く起きろ、頑張れ、負けるな、などと書かれたノートをぼんやり眺めて、皆も暇だな、なんて皮肉っぽく考える。仲の良い胆沢や高田だけでなく、よく話したこともないクラスメイトの名前まであり、
『試験前にノートを貸してくれて助かった』
『一年の文化祭の時、居残りに付き合ってくれてサンキュー』
『いつも掃除当番押し付けて悪かった。お前もたまにはサボれ』
デカデカと書かれた文字が否応なく目に飛び込んできて、胸が熱くなった。
感激のあまり涙を流す、とまではいかないが、少しだけじーんときた。
「あと、これに見覚えはありませんか?」
甘神に言われて顔を向けると、そこには汚れたサッカーボールが置かれていて、俺は何とも言えない気持ちになる。
「弟のだ。俺があげたやつ」
中高一貫の私立高校に通う弟は、俺より一つ年下の高校一年。俺よりも偏差値の高い高校へ通い、俺よりも顔面偏差値が高く、そして両親に愛されている。俺にとっては目の上のたん瘤以外の何ものでもないが、あいつにとって俺がどんな存在なのか、これまで考えたこともなかった。
――捨てたと思ってたんだけどな。
俺がまだタスクとつるんでいた頃、たまに近所の公園でサッカーをして遊んだ。サッカーといってもドリブルやパスの練習を二人でこっそりやっていただけなのだが、
「おいソーシ、おれも仲間に入れてくれ」
「年下のくせに呼び捨てにすんな。お兄さまと呼んだら入れてやる」
「おいクソ兄貴、おれも仲間に入れてくれよ」
「クソとはなんだ、クソとは」
その時は珍しく弟も一緒に遊びたがって――弟を仲間外れにしたりいじめたりすると両親に叱られるので――仕方なく三人で遊んだ。中学になるとタスクと同じように弟もサッカー部に入部したのだが、勉強の時間が減るからと両親から猛反対されて、わずか三か月で辞めてしまった。
――あん時はちょっと可哀そうだったな。
弟はサッカーが好きだった。本気でやりたかったのだろう。
部活を辞めた直後、奴は飯も食わずに悔し泣きしていた。
親の反対を押し切ってまで自分を貫き通す根性がなかったと言われればそれまでだが、少し前まで小学生だった奴に、それを成し遂げることは難しい。親に愛され、期待されているからこそ、なおのこと反抗できなかったのだろう。
本来なら、それは長男である俺の役目なのに。
――あいつから見れば、俺は自由で、好き勝手遊んでいるようにしか見えないだろうな。
だからこそ、俺が譲ったサッカーボールを捨てずに取っておいたのだろうか。
不甲斐ない兄(俺)に対するあてつけのために。
「それは違うと思います」
俺の話を聞いて、甘神はきっぱりと言った。
「弟さんは今でも、御伽さんとサッカーがしたいんですよ」
「そうかな?」
「そうですよ。だから御伽さんが目覚めた時、すぐに目につく場所に置いたのだと思います」
そんな甘神の言葉に救われる。
弟と楽しく遊んだ思い出が蘇ってきて、鼻の奥がツンとした。
ついでに目頭まで熱くなって、甘神から顔を隠すように窓のほうへ身体を向ける。
「もちろんご両親も、御伽さんのことをとても心配していると思います」
「さすがにそれはないよ」
「……どうして、そう思われるんですか?」
「現にここにいない」
「私、何度かお見かけしましたよ。病室に入るたびにお母様が泣き崩れて、そんなお母様をお父様が懸命に支えておられました」
それは知らなかった。
驚きのあまり、ついまじまじと甘神の顔を見てしまう。
彼女は動じることなく俺の視線を受け止めて、続ける。
「御伽さんのおうちは放任主義で、ご両親はご自分に冷たいと以前おっしゃっていましたが、それは御伽さんの勘違いではないでしょうか? ご両親は、何か事情があって、御伽さんにどう接すればいいのか分からなくなってしまい、距離を置いているだけという可能性も……」
「俺、過去に受験失敗してるんだ」
そのせいで両親に見放されたと思っていたが、違うのだろうか。
――そういえばあの時……。
『うちの息子が落ちるなんて信じられない。高い金を出して、塾にまで通わせたのに』
『仕方がないじゃない、あなた。結果は結果として受け入れないと』
『よくそんなことが言えるな。草士が受験に失敗したのはお前のせいじゃないか』
『家のことを何一つしないあなたに言われたくないわ。私だって働いているのよ』
『あんな少ない稼ぎで偉そうに言うな』
『なんですって。だったら仕事を辞めて専業主婦になってやるわよ。その分、あなたのお小遣いが減ることになるでしょうけど』
『――ふざけるなっ。誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだっ』
ただでさえ受験に失敗して落ち込んでいたところに、両親が言い争いを始めてしまった。
『俺が悪いんだよ、父さん。ごめんなさい、次は頑張るから』
仲裁に入ったところで無意味だった。二人とも、俺を無視して喧嘩を続ける。
いつも俺や弟には「兄弟喧嘩はするな」、「家族だから仲良くしろ」と言っているくせに。
この時の俺は、親が喧嘩に乗じて互いのストレスをぶつけ合っていることにも気づかず、とにかく二人の喧嘩を止めなければと必死だった。そもそも喧嘩の原因が俺だったので、責任を感じていたのだ。けれどいくら口で言っても両親は注意を向けてくれないので、焦った俺は、
『二人ともやめてよっ』
部屋から持ってきた野球バットで液晶テレビを叩き割ってしまった。
その時の両親の顔ときたら……。
――ニュースに出てくる犯罪者を見るような目で、俺を見てた。
それ以降、両親は俺を腫物のように扱い、そんな彼らを、俺は冷たい人達だと感じるようになった。父の部屋で、息子が眠っている父親をバッドで殴り殺したという新聞記事を見つけた時は、不謹慎にも笑ってしまったが。
――今の状況はさすがに笑えないよな。
俺が死んだら、両親は自分を責める。両親だけでなく、俺のことを大事に思ってくれている祖父母や、仲のいい友人らを深く傷つける結果になるだろう。だからこそ死ねない。死ぬわけにはいかない。
「なぁ甘神」
「はい、なんですか?」
「ここにいる俺が目覚めて、自分のことを『志伊良タスク』だと名乗ったら、俺の言葉が嘘じゃないって信じてくれる?」
甘神は少しのあいだ考え込むように顔を伏せると、
「そうですね……信じると思います」
よし。
だったら話は早い。
「こいつ(俺)を起すぞ。甘神も手伝ってくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます