第十一話.月が明かすもの

 治癒院の玄関から一番近くにある一室、そこは応接間として使われており、素朴ながらも質の良い椅子や机を寄せ集めておかれていた。そこにいるのは一人と一柱の男たち。


「……といった事情なのです。葉摘と名乗る女性の情報がありましたら、すぐにワタシへ連絡をいただけますか?」

「はぁ、それは勿論です。ですが、そんなことを俺に話してよかったんですか?」

「ええ。キミはワタシを信仰すると約束くださった。ワタシを信じてくれる方へ、嘘偽りをなぜ口にしましょう」


 パイエンが頷いてみせれば男、広尾は目を潤ませて頷いた。


「そこまで信じてくださったのはありがたい話です。パイエンさまのお陰でここの者たちは救われました。俺の兄弟とその嫁さんも。だから出来ることはやりましょう。……でも、いいんですかい?」

「何がですか?」

「今のあなたの奥方さまですよ。探し人の妹っていうのは聞きましたけど、それで本物の奥方さまを見つけてはい用済み、なんてするつもりはありませんよね?」


 低い声だが瞳はパイエンを真摯に見つめている。それに誠実に応えようとパイエンも姿勢を正した。


「もちろんです。これまで彼女にワタシは幾度も支えられてきましたから。葉摘を探すのは彼女の望みでもあります。無事に見つけたら、家族として正式に迎え入れるつもりですよ」

「それは、どちらを?」


 重ねての問いの意図をパイエンは上手く掴みきれず。はて、と首を傾げた。

 

「どちら、とは……。本来ミサンガを渡したのは葉摘に対してです。でしたら彼女を妻として迎え入れるのが、もっとも自然では?」

「あー……たしかに神霊保護政策で決まったのはお姉さまなんでしょうがね。でも、今あなたの妻として迎え入れているのは妹さんの方でしょう?」


 そう言われてしまえば、パイエンは困ってしまった。


「だったら逆に、何もかもを明かして改めて妹御を妻として迎え入れる手だってあるでしょう。顔も性格も分からぬ方よりも、そちらの方がよほど安心できませんか?」


 穂果がよい娘なのはパイエンも痛いほど感じていた。その献身をありがたく、時に申し訳なく感じるほどに。少しずつ御力を取り戻しているのは間違いなく彼女のお陰だ。

 それでも“治癒神パイエン”の隣にあるべきは“葉摘”なのだと。強迫観念にも似た感情が自身にあることをパイエンはようやくここで自覚した。


「……、そのようなことを、今決めるのは早急でしょう。葉摘が見つかってから改めて三人で相談すべきことです」

「それもそうですね。不躾なことを申しました」


 それでは、と話は切り替わり調査を開始する場所と方法についてを広尾が小気味よく説明していく。それを半分の耳で聞きながら、先ほど自覚した強迫観念の理由がどこにあるのかと、もう半分の思考で耽った。


***



「ずいぶんと遅くなってしまいましたね」


 既に日は沈み辺りは闇に包まれている。彼女と共に暮らすようになって以来早帰りを意識していたパイエンにとっても久方ぶりの光景だった。


 走る車の窓から外を眺める。皮肉なことに街の明かりが多く壊れてしまったことから、空が普段以上に見やすくなっている。けれども遠くで笑う神々が、避難所のひと所を明るく照らしているのが目に映った。


「今日はそういえば満月でしたか」


 月の系譜をもつ神々にとって最も力が満ちる日だ。太陽の系譜であるパイエンには本来無関係な話だが。

 ──だが、その考えはツイと向けた瞳が月を捉えたところで脆くも瓦解した。


「………っ……!!」


 そんな。嘘だ。ありえない。どういうことだ。


 思考を幾度も疑問が渦巻くが、覆水は盆にかえらない。動転した精神のまま「すまない、止めて。止めてくれ」と運転手に制止を求めた。


「は、はい。どうなされましたか、パイエンさま?」

「すまないが用事を思い出した、降ろしてくれ、帰りは自分でなんとかする」

「え、用事って……ちょ、パイエンさま!?」


 返答を待たずに車を降りる。そのまま脇目も振らずに駆け出した。行く宛があったわけではない。ただその場に残っていられなかっただけだった。あの家に帰る選択肢を持てなかっただけだ。

 瓦礫の上を駆けていく、その真上には大きな月が世界を照らしていた。やがてその速度が少しずつ遅くなっていき、ついに彼は膝を折る。


「大嘘つきの、偽物は……ワタシか……っ!!」


 地面にうずくまった銀髪の男神の姿を、ただ月だけが見ていた。

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