第十二話.満月の夜

「奥さま、よろしいでしょうか……!!」

満月の夜、声をかけてきたのはクスシだった。その隣にはパイエンにいつもついている運転手もいて、穂果は目をしばたかせる。


「どうしたのかしら。明日の献立の確認……って感じじゃないわよね」


一番彼女に聞かれることが多い事柄を挙げてみせれば、違いますと首を横にふられる。その顔がいつになく曇っていて、これはきっと何かあったのだと悟らずにはいられなかった。

 その予感は話を聞いて、間違っていなかったと確信する。


「パイエンさまが、車から急に出て行った?」

「ええ。ずいぶんと動揺されたまま。私もすぐに後を追おうとしたのですが、瓦礫に足を取られてしまい……」

「どこに行ったのかが分からないのね」


 クスシの肩が縮こまって、頭の上のふたつの耳は、へたりこんでこそいないものの所在なさげに揺れていた。


「本当は奥さまに頼むようなことではないとわかっております。でも、ミサンガをもつ奥さまにしか旦那さまの居所は分からないのです」


 その言葉を聞けば、穂果が悩む理由はなかった。


「分かったわ。まずはパイエンが降りた辺りまで送ってちょうだい。私が探してくるわ」

「……!ありがとうございます、奥さま」

「ううん。教えてくれてありがとう。ちゃんと見つけてくるから、あなたはここで帰りを待っててちょうだい、クスシ」


 ***


 そのまま運転手に送ってもらった場所はまだ復興が後回しになっているようで、あちこちに瓦礫の山が点在していた。


「旦那さまは車から降りた後に、こちらへと向かって行ったのです」


 手頃な場所に車を停めて、運転手が手で指し示す。そちらは、本来葉摘とパイエンがはじめて会うはずだった洋食店がある方角だった。


「……もしかしたら、姉さんを探しに行ったのかしら。すみません。洋食店の方角に車を回してもらっていいですか?」

「分かりました」


 車に乗り込み直して、動き出してからも穂果の心臓はとくとくと速い鼓動を刻み続けていた。


(パイエンさま、……パイエンさま。今どこにいるのですか)


 ミサンガを祈っても、あの日のように光あふれることはない。彼の居所が分かるという言葉に、逆の不安が募るばかりだった。

 がたごとと荒れた道を車が動く。やがて見知った地域に入ってもなんらパイエンの気配を感じられないことに、穂果は絶望すら過っていた。


「……パイエンさま」

 ──このままあの方が見つからなかったらどうしよう。縋るような心地でもう一つのお守りに、袂に入った小さな鏡に手を伸ばした。


「どうか、どうかパイエンさまを見つけてください。あの優しい方が何もかもを孤独に抱えこむことにならないで」


 途端、小さな光が鏡から放たれた。何もない所を屈折して、案内するように道を照らす。


「……光が……。あの先にパイエンさまがいらっしゃるかもしれません!」

「っ、分かりました!車を回しますので、ご指示を!」



 鏡の光に導かれてたどり着いたのは、あの日穂果が足を運んだ神社だった。暗くて前すらもよく見えない中、月の光に照らされた銀髪を見つけた時の安堵は言葉では言いつくせない。


「パイエンさま!!」


 名を呼び駆けよると彼の身体が震えて縮こまる。俯いてしまった彼の前まで近づいて、地面に膝をつけて目線を合わせた。


「……ほの、か?何故ここに……」

「私はあなたの……妻ですもの。探しにきたのです」


 見つかってよかったと、そう呼びかけるよりも先に自嘲的なパイエンの笑い声が聞こえてくる。


「はっ、……そんなはずが。キミがワタシを見つけられるはずがないのです」


 その言葉に心臓が痛く締めつけられる。穂果は唇を噛みしめなければみっともなく泣き出してしまいそうだった。

 姉さんならそんなことはしない、と頭で三回は唱えてから震える声で尋ねる。


「……なぜ、そのようなひどいことを仰るのですか。たしかに私は」

「違う、違うんです」


 地面についていた手を痛いほどに握りしめられる。彼の普段穏やかな声はかすれきっていた。


「キミに非は何一つない。ワタシには勿体ないほどの人だ。こんな紛い物のワタシには」

「……どういう、ことですか」


「……キミは姉のふりをしてワタシの元に嫁いだ。そうでしたね」


 重い声が切り出したのはそんな投げかけだった。


「……はい。もちろん許されることではないでしょう。それについては姉さんが見つかった後でしたらいくらでも」

「違う、ちがうんです」


 頭をふる男神の表情は普段の穏やかさをかなぐり捨てていた。恐怖にも似た色。何をそんなに恐れているのか穂果には分からなかった。


「……ワタシも」

「はい」


「ワタシも、同じなんです。いいえ、ある意味キミよりひどい。何せ今の今までその自覚がないまま、なり替わっていたのだから」

「え……」


 顔を覆うパイエンの言葉に喉がつまる。そのまま沈黙がしばらく続いたけれど、耐え切れないように声を先に発したのは彼の方だった。


「神はその本尊にまつわる権能を持つことが多い。杖を持つパイエンは治癒の力を持っていた。……ワタシは、鏡です。だから、彼の器を、御力を映しとることができた」

「なんの……話ですか?」

「ワタシの真実の話です」


 顔を上げたパイエンは虚に笑っていた。でも穂果が真っ先に目線を吸い寄せられたのは瞳よりも頬。彼の頬にはひびが入り、ぱらぱらと顔が崩れていた。その奥にさらに、また肌のようなものが鈍く輝いていた。


「思い出したのです。ワタシの名は月鐘尊つきがねのみこと。かつて神社で祀られていた鏡の神こそが、ワタシの正体なのです」

「え……?では、パイエンさまというのは」

「……すでに、亡くなっています」


「ワタシがその死を看取り、そして姿を借りたのです」

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