満月と真実

第十話.補修と治療

「~~~っ、ああ、もう。また駄目だわ!」


 十数度目の失敗に思わず大声が上がる。

 屋敷の一番奥、本尊がおかれている祭壇の前で穂果は一人うなっていた。


「うぅ……本のやり方は間違っていないはずなのに、どうしても元に戻っちゃう」


 目の前におかれているのはパイエンの本尊である杖だ。相変わらず表面にはひびが入っている。これでも何もしていないわけではないのだ。本を見て手順を確かめながら、補修用のパテ(と本には書かれている。石の粉と水を混ぜたどろどろしたもの)を慎重にひびに置き、乾かす。乾ききったら磨いて表面の凹凸をなくす。その手順を繰り返していた。

 けれど駄目なのだ。どれだけ学んだとおりにやろうとしても、瞬きをすればすぐにひびが治ってしまう。穴の開いた器にひたすら水を注ぎこんでいるような心地だった。


「珠のほうでは上手くいけたんだけどなぁ……」


 懐から、見つけて以来ずっと持ち歩いている鏡の根付を取り出した。

 まだ表面はうっすらと曇っているが、ひび割れていた珠は不器用ながらも修繕されている。やり方さえ覚えられたならと思っていたけれど、甘い考えだったか。


「……うぅん、今度他の神さまのお嫁さんに話を聞いてもいいのかな」


 でも、それだと後がややこしくなるかもしれない。姉と私がこうして入れ替われているのは、今周りにお互いを知る人がいないからだ。下手に誰かと仲良くなってから姉へこの立場を譲り受けて……厄介なことにならないとも限らない。


「奥さま、今よろしいでしょうか?」

「あら、クスシ。どうかしたの?」


 聞こえてきた声に顔をあげれば、クスシが一礼をする。


「旦那さまが帰って参りました」

「……えっ、もうそんな時間!?分かったわ。すぐにいく」


 思っていた以上にここでの作業に没頭してしまっていたようだ。慌てて立ち上がる。廊下を小走りで駆けぬけて、ホールへと足を踏み入れればパイエンがこちらを振り返った。


「葉摘。そんなに急がずともよいのに」

「いいえ!お迎えをできずすみません」

「本当に真面目ですね」


 くすくすと笑いをこぼすパイエンは、出会ってすぐよりもずっと気を許してくれたように思う。インバネスコートを受け取りながら言葉をかわす。


「今日はどこに行かれていたのですか?」

「以前キミと行った治癒院へ。正式に信仰の契約を交わしてきました」

「それはよかった……!」


 パイエンへ信仰を捧げる人が増えれば増えるほど、彼の力も増すはずだ。異国から来た神にとっては生存にも直結する行動だった。

 私からコートを受け取ったクスシは、先に食事の支度を終わらせてくると離れていく。


「ええ。それとワタシたちに助けを求めてきた男性、広尾というのですが。彼はどうやら元々新聞社に勤めていたそうなのです」

「新聞社に?そこから転職されたのでしょうか?」

「転職というよりは、震災を契機に手伝いをされているようです。……ですが、以前のツテは多いというお話を聞いて人探しの依頼をしてきました」

「依頼?」

「ええ。……穂果さん。キミの姉君を探す件について」


 その言葉に息を呑んだ。

 姉さん、葉摘、本来のパイエンさまの花嫁で、ここに立つべき人。


「治療院同士の横のつながりと、元新聞記者としての人脈を元に探してくれると言っていました。数週間もすれば何らかの手がかりを見つけてくれるでしょう。詳細は明日、改めて伝えるつもりです」

「そ、れは……よかった、です」


 姉さんが見つかるかもしれない。それは何よりも喜ばしい話だというのに。

 今の私は上手な笑顔を浮かべられているだろうか。


「とはいえ、まずはキミの治療からですね。傷の状態はどうですか?」

「は、はい。出血は止まりました。傷跡は清潔にして包帯を定期的に取り換えてます」

「えらいですね。その調子で様子を見ましょう。ワタシの加護で過度な苦痛の軽減と治癒力の拡大はできています。ですが元の傷が数ヶ月……下手をすれば完治に一年はかかるものでしたから」

「は、はい。無茶はしないように気をつけます」

「ええ、そうしてください。……お姉さんが見つかるまでに治れば良いのですが」


 その言葉に、穂果は頷けなかった。ここでの生活を得難く思っている。そのことに他でもない彼女自身が戸惑いを隠せなかった。

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