第九話.治癒と違和感
唐突な助けを求める言葉にパイエンは一も二もなく肯いた。
「ええ、ワタシに出来ることならば喜んで」
「ありがとうございます!」
こちらですと先導する男の背中を追い、パイエンと穂果は歩き出した。
「すみません、葉摘。もし大変でしたら先に帰っていてもよいですよ」
「い、いえ。大丈夫です」
脳裏によぎったのは、目覚めて間もないときに聞いた彼の説明だった。後ろ姿が見えなくならないように気を付けながら、けれども彼には聞こえないようにひそめた声でたずねる。
「それよりも、いいのですか?だってまだ御力が……」
──『道に倒れていた人の傷の手当てすらできなくなっています。』
契約をしたときに彼はそう話していた。その原因が本尊だとしたら、今もその状況は変わっていないのではないだろうか。見上げれば彼は困ったような顔をしていた。
「……力が思うように使えずとも、知識はありますから。人の医師相応のことはできるかと」
けれどもたどり着いた先で、その程度では何の意味もないのだと思い知らされた。
室内の空気はよどんでいて、あちこちから腐臭とうめき声が聞こえてくる。先ほど足を運んだ広場は既に遺体となっていたが、ここは生者がいる地獄だった。
「ひどい……」
「本来ならこの治癒院は薬祖日向さまのご加護を得ていたのですが、先日の震災で本尊が欠けてしまい……」
顔を曇らせた男は首を横に振る。
この場に他の神の気配や姿はなく、縋るように目の前の神を見上げてきた。
「私たちはあなたを信仰します。震災が収まれば一角に祠を建ててあなたを詣でます。ですからどうか……貴方の御力を……」
「……葉摘」
「っ、は、はい」
唐突に呼ばれた名前に背筋が伸びる。眼鏡の奥で真剣な輝きがこちらを見つめていた。
「ワタシが治療に取り掛かる間、ひとつお願いがあります」
「……!もちろんです。ひとつと言わず、私に出来ることならなんでも!」
「頼もしいですね。ですが、本当に一つでいいのです。……祈っていてください」
「祈る?」
井戸からの水汲みでも治療での補佐でも何でもしようという決意は、それよりももっと抽象的な頼みに疑問符へと変わる。
「ええ。ワタシのミサンガをつけたまま。……神の肉体と連動するのが本尊なら、力と連動するのは信仰です」
先日クスシが話していた、愛の言葉が頭によぎる。
──『輿入れした
「……はい。私、精一杯祈ります」
姉ではない私がどこまでできるかは分からないけれど、力になりたいのは本当だから。
パイエンは穂果の返答に瞳を細めて、手をかざす。……十秒、二十秒。何も起きない。私たちに助けを求めた人の顔が段々と曇っていくのがわかる。私はただ必死に、胸の前で手を強く握りしめた。
「(どうか……どうか!お願い!)」
この優しい神さまが報われてほしかった。救いを求める声をためらわずに受け止めて、それで返されるのが悲痛な謗りでなど、あってほしくなかった。
変化が起きたのは一瞬だった。
部屋の中をあたたかな熱が満たす。世界の彩度があがったのは部屋にあふれる光が理由だとすぐに気がついた。
「……あ、ああ……奇跡だ」
男が喉を震わせ、嗚咽を零す。
そこかしこの寝台から衣擦れの音と起き上がる人々の姿が映る。駆け出した男は私たちのことを忘れてしまったように一人一人の状況を確かめていく。
「行きましょうか、葉摘」
「え……でも」
「この後は身体状況の聞き取りもあるでしょうから、ここにいてもお邪魔になるだけです」
「でも、聞き取りがあるならそれを聞いてからの方が……」
「後日、改めてワタシもこちらに立ち寄ります。その時に聞きますから」
本当にそれでいいのかと小首をかしげる穂果の肩を、パイエンはやさしく抱き寄せた。
「いいですから。……今はキミに触れたいのです」
「~~~~っ!?」
急に何を言い出されたのか。頭が真っ白になっている間に彼は私の腕を引く。そのまま静かに、病室を後とすることになった。
廊下に出て通路を一度曲がった先、人気がない場所に来るや否や、パイエンの腕の中へと引き寄せられる。
「パ、パイエンさま……急にどうされたのですか」
「ふふ。すみません、ワタシというものが気分が高揚してしまったようです」
上気した頬といい、たしかに今のパイエンの機嫌はよさそうに見えた。そしてそれはきっと。
「……良かったです。無事にあなたが力を奮えて」
「キミのおかげですよ。キミがあの時祈ってくれたから。ありがとうございます」
唇が小さくすぼめられるのをみて、慌てて首を横に振る。その名前で呼ばれるわけにはいかなかった。たとえ人がいない時でも。
「だって、姉さんがいてくれたらぜったい、絶対パイエンさまの為に祈ってましたから」
「……」
「だから、私が祈るのも当然です!姉さんほどうまく祈れたかは分かりませんけれど……」
「……いいえ。とても、とても素晴らしい祈りでしたよ。ありがとう」
穏やかに笑うその顔に笑みを返す。少しでも私が彼の力になれたのなら良かった。
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