本尊と災害の傷痕
第五話.眷属との語らい
翌日目が覚めた時には、パイエンの姿はなかった。
「パイエンさまは本日、震災後の復興のお手伝いに出かけられています」
「震災の復興……」
「はい。此度の震災の被害はひどいものでした。そのため日の本、外ツ国問わず力ある神々が招集されているのです。パイエンさまは癒しの神ですから、救護や治癒へとあたっております」
この屋敷で目覚めてすぐに彼を呼んでくれた、猫耳の女中がそう説明をしてくれる。
「ですので本日は、パイエンさまの代わりに私が奥さまへこの屋敷のご案内をさせていただきます」
「助かるわ。ありがとう。……ええと、お名前は」
「クスシ、とお呼びください」
「クスシね。パイエンにはいつから仕えているの?」
「存在が発生して間もなくからです、奥さま。クスシはパイエンさまの眷属ですから」
目覚めてすぐに考えていた予想はそう外れていなかったようだ。クスシへと笑みを浮かべてみせれば、けれどすました顔を変えることなくお辞儀をされる。
「まずは屋敷を一回りする形でよろしいですか?」
「え。ええ、お任せします」
「敬語は不要です。かしこまりました」
穂果の胸よりも小柄な女中は、凛と前を向いて歩き出す。その後ろを、穂果は慌ててついていくこととなった。
***
西洋の造りをしているお屋敷はどこもかしこも掃除が行き届いていて、壁も床も天井も真っ白だった。穂果の生家が三つは入りそうな大きさだけれど、それでも国から支給されたお屋敷の中では小さい方らしい。
「パイエンさまは客人を招いたり、贅沢を好まれるかたではありませんから。必要最低限の機能があればよいと」
「それでも十分広いわ。掃除や片づけは大変じゃないの? もし手伝えることがあれば……」
「不要です。あなたはこの屋敷の女主人なのですから、ご自身の手ではなく私たちを使ってください」
「……はい」
そっ気のない物言いに穂果は肩を落とす。それでもあきらめきれずに、もう一度食い下がった。
「でも、パイエンさま……パイエンには私ができることについてあなたたちに説明させてもらうと言っていたわ。何かできることはないの?」
その言葉に先を歩いていた女中の足が一瞬止まる。けれどすぐに歩みを再開した。
「……パイエンさまのご命令でしたら。一つ心当たりがございます」
「本当!? なら、ぜひ案内してくれたら嬉しいわ」
「もちろん、ご命令でしたら構いません」
段々、その他人行儀な物言いに寂しさが湧き上がる。
「命令、なんて堅苦しい言い方をしたくはないわ。お願いよ」
そう言い含めれば彼女の頭上の黒い耳がぴこりと揺れる。
「……どちらでも構いませんが、お願いだというのなら一つ伺ってもいいですか?」
「ええ。何かしら」
「奥さまはまだ傷が癒えておりません。なぜそこまで役割を求めるのですか?」
その問いに目を一つ瞬かせた。
「傷の痛みはパイエンさまのおかげで弱まっていますが……」
「それでも、いくらかはあるでしょう。パイエンさまはお優しい方ですから、家のことは我々に任せて静養していても非を唱えることはないでしょう」
「ええ。だからです」
頷いて見せても、クスシはまだ見当がついていないように首をかしげている。
「優しい方でしょう?パイエンさまは。だから少しでも、その優しさにお返しをしたいのです」
「……!」
先ほどまですました顔をしていた女中のそんな顔を見れたことが、くすぐったいようでおかしかった。それを誤魔化すようにそれに、と心の中でだけ続きを紡ぐ。
「(傷が治るまでしか、いませんから)」
だから今のうちに返せる恩を返す。当たり前のことだった。
「……無礼をお許しください。でも、安心いたしました。奥さま」
「え?」
「神霊保護政策で嫁がれると聞いて、警戒してしまっていたのです。異国から来たことで信仰を集めるため、必要なこととは理解していましたが……それでも、金子目当てで嫁いでくるものも多いと耳にしていましたから」
「ああ……」
クスシの警戒ももっともなことだ。実際穂果の両親だってその思惑が強かったのだから。
「そうよね、私たちからしたらあなたたちのところに輿入れすることが緊張するように、あなたたちからしたらどんな人が来るのか、分からなくて緊張するわよね」
「はい。ですが今のやり取りだけでも、金子目当ての方でないと分かりましたから。……一度でも疑ってしまったこと、深くお詫びします」
「いいの。いいのよ」
あまりに神妙に謝罪をされてはこちらが困ってしまう。慌てて手を振ってみせた。
「ほら、それよりも私にできるお勤めについて、教えてちょうだい。あなたが頼りなんだから、クスシ」
「はい。……奥さまのお願いとあらば」
先ほどまでの硬い表情から一転し、顔をほころばせたクスシが頷いた。
***
彼女が連れてきてくれたのは屋敷の最奥、大きな鉄扉を開けた先だった。
「この先にあるのが、パイエンさまのご本尊です」
「本尊……神さまの魂が宿っているものよね」
「はい。こちらです。……とはいっても、この一部でもある眷属の私には、実物を見ることはできないのですが」
台座におかれていたのは杖だった。二匹の蛇が巻き付いている、細かな意匠が美しい杖。けれども一番衝撃を与えたのは。
「……ヒビ……?」
「え?」
杖の中央部分に入っていたひび。穂果の言葉に振り向いたクスシは、目をこれでもかと見開いていた。
「ヒビ、まさかご本尊にですか!?」
「え、ええ。……もっと近くで確かめてもいいかしら」
「は、はい。それはモチロン!……傷つけないようにだけお願いします」
クスシの了解を得て杖に触れる。幸い、ヒビがあるのは表面だけで奥まで裂けてはいなさそうだ。
「本尊が傷ついていたら、どうやって修理すればいいのかしら……?」
「方法としては、二つあります。一つは物理的に杖を修繕する方法。これは清めた道具で行うこととそれなりの技術が必要です」
「それは、すぐには難しそうですね……」
道具があっても技術がない。今から本を取り寄せて直し方を学ぶべきだろうか。でもそれでは穂果の治療とどちらが先に終わるかが分からない。
「ええと、もう一つの方法は」
「愛です」
「あい」
聞き間違いだろうか。何度か目を瞬かせていれば「愛です」と頷かれた。
「正しくは、輿入れした
「え、ええ……そういわれれば、そうになるのかしら?」
「奥方さまはすでに輿入れをされました。あなたさまの献身と想いが捧げられれば、少しずつ傷は癒されるでしょう」
輿入れをした人の。
その言葉に心臓を握られた錯覚をおぼえた。だって私は
「奥方さま?」
「え、ええ。そうね……それなら、嬉しいわ」
口角をゆっくりとあげる。けれども胸のしこりはどうしても途切れなくて。
「でも、少しでも早く本尊を元通りにしたいもの。杖の修理に必要な道具、集めてもらってもいいかしら? クスシ」
「ええ、ええ。もちろんでございます」
一礼をするクスシの耳にも聞こえないよう。心の中でだけごめんなさいと唱えた。
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