第四話.抱擁と困惑

「──そうだったのですね。キミは彼女の妹だと」

「はい……」


 私はパイエンさまに全てをお話しした。神霊保護政策で本来彼の妻となるべき相手は姉だということ。けれど顔合わせの日にどうしても外せないことがあるからと変わって出向いたこと。彼の守、ミサンガを持っていたのはその時渡されたからということ。その間ずっと指の先は震え続けていた。姉と偽ってお見合いに向かったなどと、神を侮辱する以外の何でもない行為だったと今になって分かってきたのだ。

 けれども目の前の男は困ったようにほほえみを浮かべるだけだった。


「なるほど……キミの事情は分かりました。ですが、今婚姻を解消することは出来ません」

「ど、どうしてですか」

「そうすればワタシの加護が失われてしまう。キミの命が危ないからです」


 言葉の意図はすぐに分かった。今は痛みがないからすぐに忘れてしまうけれど、それほどに私の傷は深いのだろう。


「でも、……本当なら、姉さんが」


 彼と出会い結ばれるのも、こうして命を助けられるのも彼女であるはずだった。自分ではない。


「……では、こうしましょう。キミはキミの姉、葉摘はつみとしてここにいてください」

「姉さんと、して?」

「ええ。ずっと婚姻関係を継続しろとは言いませんが、キミの傷が癒えるまではここにいてください。ワタシはその間もキミの姉を探しましょう」

「……!」


 思わず目を見開く。唯一の親族。今はどこにいるかも定かではない彼女のことを、彼は探してくれるというのだ。


「そ、そんなこと。いいんですか?」

「本来ワタシの妻になるはずだった人です。探さぬ理由はありません」


 その言葉に気持ちが上向く。ようやく目の前の男をまっすぐ見ることができた。


「……ありがとうございます。何から何まで」

「いいのですよ。よいですか、穂果ほのかさん。ワタシはキミを愛することはないでしょう。ですからキミも、無理にワタシを愛する必要はありません」


 そうして冒頭のやりとりに立ち返る。傷が癒えるまでの間の関係に否やをいうつもりはなく、むしろ心から感謝していた。


 だから私も覚悟を決めた。姉としてこの先しばらくの間自らを偽ることを。


「ええ。妻として忌憚ないふるまいができるよう頑張ります。パイエンも、なにか私ができることがあれば言ってください」

「ありがとうございます。できること……そうですね。明日、家のものたちに説明をさせましょう」

「明日でいいのですか?」

「ええ。キミも目が覚めてまだ間もないのです。今日はゆっくりと休みなさい」


 確かに、痛みはないとはいえ疲労感は残っている。そういってくれるのならお言葉に甘えて休んでしまおう。


「分かりました。何から何までありがとうございます」

「ええ。……ああ、ですが」


 衣擦れの音ともにあたたかな熱と舶来物のコロンの香りが私を包み込む。抱きしめられているのだと理解したいのは固いボタンの感触に気がついてからだった。


「な、な、な。何を⋯⋯!」

「すみません、傷を癒すための神気を渡すのには接触が一番手っ取り早いもので」


 言われてようやく、体の痛みが先ほどよりも引いていることに気がつく。神気の譲渡だと分かって、先ほどとは別の赤みに差す。かちがちに固まっているのは伝わるだろう。背中も顔も、暑くない場所がない。

 目の前にいる男性は照れた様子もないのだと十目心の中で繰り返し唱えたころで、背中に回っていた手がゆっくりとおろされた。


「──ああ、そういえば日の本の方々はスキンップをあまりされないのでしたか。驚かせてしまい申し訳ありません」

「い、いえ。私こそ過剰に反応してしまって⋯⋯⋯」


 ごめんなさい、という音は口の中でもごついて消えていった。

 そうだ、仮初とはいえ夫婦なのだから抱擁くらいはされてもおかしくない。でも今回はいきなりだったから、と自分の中で繰り返している言い訳に気づいているのかいないのか。パイエンはさらに爆弾を投下した。


「これからは傷が癒えるまで毎晩、こうして抱きしめさせていただきますので、慣れないかと思いますがよろしくお願いします」

「まい……っ、」


 あがりかけた悲鳴を飲み込む。穂果にだってわかっている、彼は心からの善意で申し出てくれているのだ。ここで拒否をする方が失礼だし、何より自分の傷はいつまでたっても癒えない。

 それが分かっているので、しどろもどろになりなりながらも頭を下げた。


「わ、分かりました。……その、慣れていないのでていないので見苦しい姿を見せるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「見苦しいなど、そのようなことはありませんよ」


 笑う男の眼鏡の向こう側の瞳は、目覚めてすぐの事情説明の時と変わらない。神と呼ばれる存在が人の子に対する慈愛とは、これほどに美しい翠なのだろう。

 彼はもう一度私に微笑みを向けて「それではおやすみなさい、葉摘。ゆっくり体を休めてくださいね」と告げて部屋から出て行った。

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