第三話.包帯と勘違い
……目が覚めて真っ先に目に入ったのは白い天井とその両脇に飾られたレースだ。
家の布団よりもずっと豪勢な寝台に寝かされていたのだと気がついたのは、たっぷり十秒ほど経ってから。
「……ここは……?」
体を起こして辺りと自分を見てみれば、見覚えのない光景と、心当たりのない傷。腕や額、そして腹部。身体のあちこちに包帯がまかれている。不思議なことに痛みはほとんど感じない。包帯の下ににじむ赤だけが、巻いている意味を教えてくれた。
「お目覚めになられたのですね。すぐに主人を呼んでまいります」
甲高い声の方をみれば、小柄な体と頭に生えた二つの耳。猫と人の合いの子のような姿をした女中服の少女がいた。
「あ。あなたは……? あっ」
誰、と問いかける間もなく扉の向こうへ消えていった少女。その後ろ姿をぼんやりと眺める。
明らかに人ではない風貌。穂果が見たことは遠目で一度か二度しかなかった。神さまと呼ばれる存在と、彼らに付き従う眷属たち。猫娘のような身なりをした彼女も、そのどちらかだろうか。
「いえ、今はそれよりも……」
いったい何があったのか。
思い出そうとすると浮かんでくるのは、大きく揺れる世界、崩れ落ちる建物、手を伸ばした先から飲み込まれる……父さまと母さま。
「っ」
頭が痛い。上半身をゆっくりと起こしたところで、先ほど女中が出て行った扉が開かれる。
「よかった、目が覚めたのですね」
そこには先ほどの女中ともう一人、眼鏡をかけた美しい青年が立っていた。長身の姿は細身なお陰で威圧感はない。白銀の髪と翠の瞳は異人だろうか、あるいは神や眷属と呼ばれる存在だろうか。その異様な美しさは後者とも思われた。
「あなたは……」
「はじめまして。この屋敷をあてがわれているパイエンと申します」
「パイエン……さま!」
その名前にいきおいよく布団を跳ねのけて寝台の上で立ち上がる。
パイエンと言えば姉が──その代わりとして私が会うはずだった外ツ神さまのお名前だった。寝台から降りようとして身体にしびれるような痛みが走る。それに気がついたように慌てたようにパイエンは片手をあげた。
「ああ。無理はなさらず。……先日起きた震災は覚えておいでですか」
「震災、ですか?」
「ええ。この帝都のみならず近隣の町をも襲った震災です。あなたはそれで大けがを負ったのですよ」
腕に巻かれていた包帯をずらしてみれば、ぱっくりと裂けた傷跡がのぞく。深い傷は痛みなく動けているのが信じられないほどに。
それから窓へと視線を向ければ、控えていた女中の一人がカーテンを開けて外の光景が見えるようにしてくれた。
近隣のお屋敷は倒れていないものも多い──おそらくはここと同じように、神が住まい加護を与えているのだろう。けれどもそれよりも遠くを見れば、たまに通っていたミルクホールも、立派で憧れていた活動写真館も、帝都で一際存在感を見せていたタワーも、無論多くの家々も。多くの建物が欠け損なわれ、時には限界をとどめていなかった。
ひどい、ひどいことが起きていた。それを理解するにつれて、血の気がどんどん失せていく。
「お父さまと、お母さまは」
そうして口から出たのは、一緒にいたはずの彼らの安否を問う言葉だった。
「……すみません。ワタシに力がたりず」
眼鏡越しの瞳が沈痛な面持ちで伏せられて、横に首が振られるのを見て一気に世界が歪んでいく。目が熱くなった。決して優しい人たちではなかったのに、勝手にあふれてくる涙が不思議だった。
「ぅ……っ、くぅ。……おとうさま、おかあ、さま……」
両手で顔を覆えば、男が近づく気配とともに背中に手を当てられる。慰められているのだと理解したのは、それから数十分も後、涙が枯れてしまってからだった。
***
「す、すみません。突然泣いたりして……」
「いいえ。むしろ私こそ、配慮が足りず申し訳ありません」
目の前の男は穏やかで優しい声音で、落ち着いた大人の男性、いや男神だった。
「でも、二人が亡くなったのならどうして私は生きているのでしょう。しかもこんな怪我……」
「……アナタが生きているのは、ワタシが力を与えたからです」
「パイエンさま、が?」
首を傾げた私に彼は順を追って説明をしてくれる。あの日彼も待ち合わせ先の洋食店に向かっていたこと。その道中で震災にあったこと。
「あの日起きた揺れは恐ろしいものでした。人命の多くが失われ、神々も力が不安定となり、ワタシも道に倒れていた人の傷の手当てすらできなくなっています」
「でも、私の傷の痛みはなくなっています」
「それは治療ではなく、契約のおかげです。アナタがワタシの加護を与えた守を持っていた。ワタシの妻だったからこそ出来たことです」
「えっ!?」
その言葉にぎょっとする。けれども男は気付かぬ様子で言葉を続けた。
「とはいえまだ治療は終わっていませんのでご無理はなさらず。この屋敷でゆっくりと過ごして傷を癒してください。すでにここの者たちはアナタを女主人として……」
「ま、待って。待ってください。困ります。そんなこと」
必死にその言葉を制止する。
助けてくれたことはわかる。そのことは感謝している。でもその流れを受け入れることは出来なかった。ほとんど痛まないはずの腹部がずきりと痛むほどに力を入れて声を出した。
「だって私、
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