入れ替わりと神霊保護政策

第一話.神霊保護政策

「おめでとうございます。葉摘はつみさま。あなたは此度の神霊保護政策にて、外ツ神パイエンさまとの婚姻が決まりました」


 居間の男の言葉にわっと部屋がわきたったことを隣の部屋で感じていた。玄関口で見た彼はまだものめずらしい洋装を身にまとっていたことを思い出す。聞こえてきた声にようやく彼はお役人の一人でそのことを告げに来たのだろうと私も理解した。


 明治から大正に移り変わり西洋の文化が入り込んできた日の本は大きく様変わりした。繁華街の煉瓦の建物、大きな街に並ぶミルクホールに洋装の人々。目まぐるしくにぎやかな世界が広がりはじめている帝都はその変化に追いつけない影もまた存在した。


 その中でもっとも問題視されたのが神の扱いだった。

 日本に古来より存在する神々と外ツ神と呼ばれる西洋の神。その信仰基盤は異なり、時に混ざり合い神格を歪め、時に文化の違いから神同士の諍いが発生する。その問題をなくすために政府が立ち上げたのが役人が言う神霊保護政策。外ツ神を日ノ本の国の若者と婚姻させることで土着神へと転化させていくその取り組みは、意外にも多くの人や神に受け入れられていた。

 嫁あるいは婿を出したその家は政府から多額の金銭や名誉を得て華族としての選択肢を与えられる。外ツ神はといえば、彼らも多くが外国での一神教化に耐えきれず国を訪れた者たちだったから、国に馴染みやすくなることは願ったりかなったりだったのだろう。


「九月の一日に外ツ神さまとの顔合わせがございます。その後双方の同意を得て、正式な輿入れをさせていただきます」

「……はい、ありがとうございますわ」


 普段ははつらつとした笑顔が似合う姉、葉摘のすました声が聞こえてくる。けれども私だけは彼女の心の裏を知っていた。



「ねえ穂果ほのか、あたしね、婦人倶楽部にあこがれているの」


 二人だけで口癖のように唱えていたのがその言葉だった。その話をする姉さんはいつだって目が輝いていて、一番美しいと思ったのだった。


「電話交換手やタイピストっているじゃない? 家庭に入って旦那さまにただ仕えるより、社会に出て輝きたいのよ」


 ──けれども姉の願いはかなわなくなる。異国とはいえ神へのこし入れだ。求められるのは職ではなく妻としての振る舞いや社交界での役割をはたすことだ。

 隣の部屋から聞こえてくるのは役人の穏やかな声と嬉しそうな両親の言葉。そしていつもよりもずっと大人びた姉の声だけが耳に残っていた。


 *


「お願い、穂果。一日にあるパイエンさまとの顔合わせ、あたしの代わりに行っちゃくれないかしら!」


 その日の夜、両親が床に入ったのをたしかめた姉は私へと深々頭を下げてきた。


「頭をあげて姉さん。それに私が姉さんの代わりを務めるなんて……」

「もちろん責はあたしが全部負うよ。その日は前から予定していた電話交換手の面接が日本橋区であるの。向こうの神様には全部話してくれて構わないし、それで呪うならあたしを恨めっていっていい」


 だからお願い、と畳に頭がぶつかるほど必死な姉さん。


 なら私でなくて両親にやめてほしいと言えばいいのに。とは言えなかった。

 あの後隣の部屋からきこえてきたのは、姉が神に嫁ぐことでいかに家がこれで盛り立つかという話ばかりだった。……あの人たちはずっと、私たちに良い家に嫁いで縁をつなぐことばかり願っていた。


 これまでだってそうだ。姉がどれだけ職業婦人になりたいと言っても聞く耳を持たないで。それでも自分の夢を追いかける姉が穂果は大好きだった。だからその瞳が涙でうるんでいるのをみて、最後には首を縦にふった。


「……分かったわ。でも姉さんだけのせいじゃないわ。父さまと母さまには二人で叱られましょ」

「ありがとう、穂果!」


 晴れやかな顔をしてくれた姉にほっと安心するのと同時に、少しだけいたずら心が湧き上がる。


「それで、私は姉さんのすてきな所を相手の神さまに言っておけばいいのかしら? 面接で受かっても落ちてもぜひ迎え入れたいって思わせればいいのよね」

「もう、穂果ってば」


 からころと鈴に似た笑い声が夜のとばりを揺らす。


「だって、姉さんのことを知ったら神さまはきっと気にいるわ。職業婦人の道も、神さまの奥さまも。まとめて勝ち取ってしまえばいいのよ」

「まったく。あんたって子は……ありがとう」


 くしゃりと歪んだ笑顔が近くなったと思ったら、気がつけば私は姉さんに抱きしめられていた。でも全部本当の気持ちだ。

 神さまと姉さんが結婚するというのは、よく分からない金だけの男の元に姉さんが嫁ぐよりも何倍もマシな話だと感じた。神と呼ばれ崇められている存在の多くは、人をいつくしみ、善性に富んでいると聞いたことがある。特に自らの存在証明ともなる人の嫁や婿に対してはより一層、情深いのだとも。


「そしたらこれはあんたに預けるわ」

「これは?」


 手のひらに差し出されたのは三つ編みの紐だった。空よりも深い青色をしている。


「例の神さまが力を込めたミサンガですって。記念にもらったけどあんたにあげる」

「姉さんったら。借りるだけよ、ちゃんと返すわ」


 五日後は憂鬱だけれど、それ以上に楽しみだった。

 役人と父さまたちには叱られるかもしれないがそこは右から左に聞き流して、あとで話題のミルクホールに姉を誘っていこう。そこで面接の話を聞いて、神さまとあった話をいい話も悪い話も伝えてしまえばいいのだ。

 寂しさと誇らしさをないまぜにしたまま、心臓の音を聞きながら私は瞳を閉じた。

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