偽の花嫁と外つ神の婚姻

仏座ななくさ

第零話.今日から仮初の

「よいですか、穂果ほのかさん。ワタシはキミを愛することはないでしょう。ですからキミも、無理にワタシを愛する必要はありません」



 声をかけてくる男の声や瞳は私を心から気づかった、幼子にいい聞かせるような声音だった。実家よりも数回り大きい西洋風の寝室、テーブルをはさんで私たちは向かい合っていた。

 その視線は私の腕と腹部、その下にある包帯を巻いた傷へと注がれている。今から四日前についた傷は深く、医師の見立てでは内臓も傷ついていたという。そんな私がいまこうして椅子に何事もなく座れているのは目の前の彼が助けてくれたからだった。銀の長い髪を持つ美しい男は人ではなく神。それも異国の治癒神だった。


「傷を癒すためにはワタシとキミの結びつきが不可欠でした。そのため婚姻という形とはなりましたが、キミに何かを強いるつもりはありません。……ワタシにもっと力があれば、このような形でなくともキミを癒せたのでしょうが」


「お気になさらないでください、パイエンさま」


 それ以上男の言葉を聞いていたくなくてさえぎった。私の頬は引きつってやいないだろうか。浴衣の合わせ目を握りしめてかろうじてほほえみを浮かべてみせた。



「本来なら死んでいた身だというのに。助けていただけただけでありがたい限りです。むしろ私こそ、傷が癒えるまでご迷惑をおかけすることになって……」


「お気になさらないでください。神として人を守ることは責務であり存在意義ですから」


 穏やかな言葉だというのに突き放されたような心地がするのは、私の心が弱いからだろうか。シャンデリアから降りそそぐ美しい灯りと、そこに照らされた目の前の美しい男の顔つきが急にぼやけだした。


「はい……ありがとうございます。パイエンさま」

「さまは不要ですよ。穂果ほのかさん。ワタシたちは夫婦なのですから」


「……それなら、パイエン、こそ」


 心臓がまたつきりと痛む。

 自らその言葉をいうのは苦痛以外の何者でもなかったけれど、今から私は一ヶ月間、神の妻として生きるのだ。一月だけの辛抱だと十回は自分に言い聞かせてから口を開いた。



「穂果と呼ぶのはもう、おしまいにしてください」


「……そうでしたね。では改めて、これよりしばしの間、よろしくお願いします。葉摘はつみ


 姉の名を呼ばれて私は瞳を閉じる。

 これから傷が癒えるまで、私は姉として彼の妻として生きるのだ。はつらつな姉の太陽に似た笑みが脳裏によぎった。

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