第12話 魂の安息地
矢を射られた脇腹がずきずきと痛む。
赤黒い血が噴き出し、紬は気を失いそうになった。
「大丈夫かい、紬」
「うん。なんとか……」
九耀に抱きかかえられながら、山道を下った。
もう十分に霧渡りの郷からは遠退いたから、背中に向かって弓矢の雨が降ってくることはない。霧のおかげで追撃の矢を食らうことはなかったが、郷の民たちと九耀が争っている間に躍り出た際に食らった弓矢が、紬の脇腹にいまだ刺さったままであった。
しかし、矢に射られた痛みがなんだというのだ。
生まれたばかりの朧の最期を思うと、涙が止まらなかった。
あまりにも
嘆きの霧に耐性がつくなどという根も葉もない迷信に踊らされた大の大人に寄って
血を分けた愛しい我が子を置き去りにしたという悔悟が紬の心を苛んだ。
「ごめんね。ごめんね、朧……」
紬が泣きながら、天に向かって許しを請うた。
紬の気が済むのを黙って待っていた九耀は、頃合いを見計らって立ち止まった。
「その矢を抜こう、紬」
「このままでいい」
「傷口が腐ってしまう。紬がこれ以上傷つくのを見たくない」
「わたしなんか、べつにどうなってもいい」
「自分を罰そうとしないでいい。朧も悲しむ」
自分ばかりが生きんがために幼子の生き血を啜る身勝手な人間たちとは違い、獣であるはずの九耀はどこまでも優しかった。
「いいかい、矢を抜くよ」
「……うん」
九耀は紬の脇腹からそっと矢を抜き、止血帯代わりにきつく尾を巻きつけた。
紬の脇腹に巻かれた尾が濁った血に染まり、だんだんと腐ったように、どす黒く変色していった。不思議と痛みがなかった。九耀が傷みを引き受けてくれているのだろう。
「痛むかい?」
「大丈夫、ありがとう」
どこへ向かうともなく、九耀は紬を抱きかかえて歩き出した。
「どこに行くの?」
「さあ、どこへ行こうか」
紬は九耀の首に手を回し、耳元で囁いた。まだ心の整理はつかないが、どこまでも献身的な九耀に伝えておかねばならないことがある。
「あのね、九耀。わたし、あなたと契りを交わしたこと、まったく後悔していないわ」
九耀はただ黙々と歩いている。
その表情から、感情めいたものがすっぽりと抜け落ちていた。
あまりにも素っ気なさ過ぎて、どこまで感謝の気持ちが伝わったかわからないが、きっと九耀も喪に服しているのだろう。朧の死を悼み、一切の感情の発露を禁じているのだ。
「私は後悔している。紬は私と契らなければ、こんな残酷なことにはならなかった」
「ううん、そんなことない。もっと酷い運命だったかもしれない」
悪い想像ならば、いくらでもできた。
九耀と出会わず、紬ひとりだったら、今頃どんな人生だっただろう。
霧を祓っている最中、野生の獣と間違えられて、弓矢で射殺されていたかもしれない。
首尾よく郷から逃げ出したとしても、ろくに食べるものもなく、飢え死にしていたかもしれない。
あるいは族長の子を無理やり孕まされていたかもしれない。
九耀と出会えたこと、契りを交わしたことは後悔していない。
後悔があるとすれば、生まれたばかりの朧の亡くなり方があまりにも無残で、せめて魂が安らぐよう供養してやりたい。
朧の亡骸は霧渡りの郷にあるが、老人たちが生きんがために幼子の生き血を啜るような地獄ではなく、朧の心が安らぐ天国のような場所であったらいい。
「朧のために、あんな地獄みたいな場所じゃなくて、天国のような霧渡りの郷を探したい。この世界に霧のない土地があるのかわからないけど、朧のためにも旅をしたい。それで言ってあげたい。ほら、ここがほんとうの霧渡りの郷だよ。心患うことなく、ゆっくり眠ってねって」
紬が思いの丈を語ると、九耀はすんなり同意してくれた。
「そうだね。そうしよう」
紬と九耀は朧の魂の安息地を探す旅に出た。
「どこに向かおうか、九耀」
「どこに向かおうと、どのみち霧で見えやしない。まずは紬の傷を癒やすことが先決じゃないかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます