第11話 獣風情

 縄で縛り上げられた九耀は、血に濡れた朧を囲んで歓喜する民衆を見つめた。

 翡翠の瞳には、はっきりと怒りと軽蔑が渦巻いている。


 狂乱の群衆に向かって、静かに、しかしはっきりと語りかけた。


「良かったな。これで嘆きの霧に耐性がついたぞ。私はもう不要だろう。解放しろ」


 民たちは、その言葉に一瞬たじろいだ。語り口こそ静かだが、その中に宿る威圧感は狂乱した民にも届いたらしい。彼らは顔を見合わせ、解放を渋った。


「獣風情が人間の言葉を喋るな。一生そこで縛られていろ」


「奇跡の血をもたらしたのは私だぞ。貴様らは恩を仇で返すのか。畜生にも劣る外道だな」


 明らかな挑発の言葉は、民の逆鱗に触れた。

 怒号とともに、何人もの男が九耀に殴りかかった。

 鈍い打撃音が響き、九耀の顔から血が滲む。


 しかし、九耀は一切の苦痛を示すことなく、ただ民たちを侮蔑の目で見下した。

 なんどもなんども執拗に殴打された挙句、九耀はようやく解放された。


「人間様に逆らうな、獣風情が」


 ぺっ、と唾を吐きかけられ、頭を踏みつけにされた。


 自由の身となった九耀は手近な武器を取り、 怒りのままに郷の民たちを皆殺しにしようとした。遠巻きにしていた郷の民が慌てて矢を番えた。


「やめて! もうやめて!」


 紬が仲裁に入ると、勢いよく飛んできた矢が紬の脇腹に突き刺さった。


「……うっ」

「紬、しっかりしろ」


 九耀はその場に崩れ落ちた紬を抱き起すと、郷の民たちを睨みつけた。


「貴様らは嘆きの霧に耐性がついたはずだろう。私たちはもう不要だろう」


 紬を守りながら、九耀は族長に向かって言った。


「霧を祓うお役目が終わることはないぞ」

「ふざけるな、私たちを解放しろ。さもなくば……」

「さもなくば、何だ?」


 奇跡の血にありついた族長は、すっかり怖いものなしだった。


 かつては「紬様、九耀様」などと神の如くに持ち上げていたことなどすっかり忘れ、自分こそが現人神であるかのように振舞っている。


「何も出来はしないだろう。だが貴様は奇跡の血をもたらした功績がある。黙って立ち去れ、私の目の黒いうちにな」


 族長が恩着せがましく言い募った。


 九耀は黙って頭を下げると、紬を抱きかかえて霧渡りの郷を後にした。


 九耀の背中を追いかけるように、大量の弓矢が降り注いだが、郷を覆った霧のおかげで、一本の矢たりとも直撃することはなかった。

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