第5話 どちら様
朝の光は白絹のように柔らかく、襖の隙間から部屋の中に流れ込んでいた。
布団の中、抗しがたいぬくもりに身を沈めたまま、紬は瞼の裏で夢の名残をなぞっていた。
全身を蝕んでいた痛みが嘘のように引いている。ここ数日の激痛が幻だったかのように、身体は軽やかだった。
微睡みの中で、ふと視線を感じた。すぐ隣に誰かがいる。
幼い少年の姿をした九耀ではない。
そこにいたのは、見知らぬ男だった。
いや、見知らぬというには、あまりにも美しすぎた。
あまりの驚きに悲鳴さえあがらない。
ぼんやりとした視界に映ったのは、人間を超越したような美貌の青年だった。
夜の湖を思わせる艶やかな銀髪は朝靄に溶け込み、翡翠の瞳は星の光を宿したかのように輝いている。透き通るような白い肌は月光を浴びたように滑らかで、形の良い唇は流麗な弧を描き、紬を静かに見つめていた。
まるで夢の中に現れる神仙のような非現実的な美しさだった。
彫刻のような横顔、まつげの影にさえ息を飲む。すべての輪郭が、造物主たる神の寵愛を受けて被造された天に二つとない造形物のようだ。
紬の心臓は高鳴り、全身から汗が噴き出した。
目が覚めているのか、まだ夢の内にあるのか、紬には判じかねた。
しばらく口もきけずに見つめてしまっていたが、こんなにも美しい人が、なぜ自分の隣に佇んでいるのか理解ができない。毒に侵され過ぎて不埒な幻を見ているのだろうか。
「あの……どちら様、ですか?」
喉の奥から発せられたのは、ずいぶんと間抜けな問いかけだった。
人ならざるほどに整った美貌の青年はゆるりと目を見開いた。
「髪に触っていいか、紬」
青年は戸惑った紬を抱きかかえると、黒髪にそっと触れた。
「嫌だったら言え。すぐやめるから」
それは昨夜、紬が九耀にしたこと――あからさまな子ども扱い――の立場を逆転させて、そっくりそのままなぞったものだった。
「……九耀?」
たった一夜で、五歳かそこらの童が見目麗しい青年の姿になるなど、さすがに信じがたい。
紬は見知らぬ男性に抱きすくめられたまま、思わず自分の頬をつねった。
頬をつねった痛みはあるのに、目の前の青年は変わらずそこにいた。
「……夢、じゃないんだ」
青年の背後を覗いてみると、九つに分かたれた金色の尾が揺れていた。
「まあ、夢みたいなものかもしれないな」
深みのあるその声は、たしかに九耀のものだった。幼い姿と不釣り合いな色気ある声だったはずが、今は完全に調和がとれていた。
昨夜のお子様扱いがよほどお気に召さなかったのか、それとも「もうすこし大人になったらね」と紬が言った通りに成長したのか。
その正体が九耀だとわかっていても、この世ならざる美形な姿には慣れそうにない。
どうにも狐につままれたような気分だった。
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