第4話 形ばかりの婚姻

 祝言もなく、紬と九耀は形ばかりの婚姻を為した。


 九尾の尾を持ち、人間を見下すような知性の持ち主である九耀だが、見かけは無垢な少年である。あまりにも幼い彼と子を為せ、と強要されるのは、さすがに受け入れられなかった。


 嘆きの霧を浄化するお役目を負う傍ら、納屋で共に暮らし、九耀と並んで眠るぐらいがせいぜいだった。


 九耀は目を開けたまま眠る性質であるらしく、傍目には眠っているのか、それとも起きているのか、まったくわからない。


「九耀、起きてる? もう寝ちゃった?」


 納屋の中で、紬が静かに呼びかけた。


 返事の代わりに、九つに分かたれた金色の尾がわずかに揺れた。

 どうやら、まだ起きているらしい。


 紬は他人と手を繋いだことも、抱き合ったこともない。

 そればかりか、ほとんど人と触れ合うことがなかったから、こんなにも近くに人の気配があることにはまだ慣れそうもなかった。


 そもそも九耀は人なのだろうか。

 詮索したくもあるが、知らぬままでもいい気もする。


 どうにも眠れないので、隣で身じろぎもしない九耀を眺めていると、さらさらした銀髪に触れてみたくなった。仮初かりそめとはいえ婚姻の契りを交わしてはいるが、どことなく神聖な空気をまとった九耀に勝手に触れてはならない気がした。


「九耀、髪に触っていい?」


 返事はなかったが、ゆるやかに九尾が揺れた。

 たぶんだが、勝手にどうぞ、といったところだろう。


「嫌だったら言ってね。すぐやめるから」


 紬はおずおずと九耀の髪に触れた。


 柔らかな髪に触れているだけで、どうしようもなく愛おしい。


 九耀もそこはかとなく心地良さを感じているのか、いつもは目を開けて眠るはずなのに、いつのまにか目を瞑っていた。


 いつまでも触れていたいと思える温かさが心地良かった。


 九耀がもぞもぞと動き、紬の胸元に顔を乗せてきた。


 幼い少年に乗りかかられる格好となったが、このまま抱きしめていいものか、躊躇われた。


 密着したせいで、九耀の体温がじかに伝わってくる。

 九耀の手がゆっくりと伸びてきて、紬の頬を優しく撫でた。


「あの……、九耀……、起きてるの?」


 ただ頬を触られているだけなのに、異様なほど胸が高鳴った。

 九耀が顔を寄せてきて、甘やかな吐息が耳をとろかせた。


「いつ子を為そうか、紬」


 幼い見かけにそぐわない色香にあてられて、妙な気持ちになった。


「まだ早い……。まだ心の準備が……」


 紬が躊躇すると、九耀は深追いもせず、「そうか」とだけ言った。


 なんとなく名残惜しそうにして、紬の胸に顔をうずめた。


 ひょっとして、拗ねているのだろうか。

 おそるおそる、九耀の銀髪をよしよしと撫でてやる。

 九耀は特に何も言わないが、金色の尾が左右にぴょこぴょこ揺れていた。

 大人びた言動とは異なり、尻尾に感情が現れるのが可愛らしい。


「もうすこし大人になったらね、九耀」


 外見があまりにも子供っぽ過ぎるのが問題なのだが、そこまでは言わないことにした。


 九耀はすっかり不貞腐れてしまったのか、尾がぱたりと動かなくなった。


 紬はおずおずと九耀を抱きかかえ、目を瞑った。


 幼い我が子を抱きしめて眠る母の気持ちは、およそこんなものなのだろうか。

 幸福さと罪悪感がない交ぜになった、なんとも言えない気持ちに襲われた。


 子を為すという行為の意味はおおよそのところ理解しているが、まさか自分の身に起こることとは思えなかった。いまだに心の整理はつかない。


 これまで霧祓いの才を持つ者として、都合よく利用されてきた紬が、今度は「霧に耐性のある子を産むための器」として扱われる。


 それは霧渡りの民の都合であり、身勝手な民衆心理の表れとしか思えない。


 霧に耐性のある子を産む、それだけのための契約結婚。


 この事を九耀はどう思っているのだろうか。

 人間の醜さ、身勝手さを見て笑っているのだろうか。


 ごちゃごちゃと考えても仕方のないことなので、紬は生あくびを噛み殺すと、九耀の耳元で囁いた。


「おやすみ、九耀」

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