4.ダンクルベール
三人目が上がった。
公営公園。散歩道で、人通りが多いところである。その一角に、死体は吊るされていた。
「豪商派の議員だそうです。ちょうどここの別邸に来ていたようで」
「知っている名前だ。エルトゥールルに
先に到着していた司法警察局の面々が、その周りで色々とやっているようだった。
目立つのがひとり。いくらか骨太だが、見惚れるほどの美男子。まだ二十の半ばぐらいだろうが、階級章は大佐のものだった。
「あれが、噂のセルヴァン局次でしょうかね」
「だろうな」
ダンクルベールの言葉に、マレンツィオは軽くだけ返答した。
後方支援業務のみで大佐まで昇り詰めた、異才の中の異才である。実家が大層な名家であるというのもあるだろうが、それ以上のものを持っているようだった。
この若年の大佐が相当な才覚を持っていると知ったのは、意外なことからだった。
福利厚生の充実である。
警察隊本部庁舎が改装された際に、食堂が新設された。
最初はまったく期待していなかったが、いつの間にか昼飯時はごった返すほどの人気になっていた。量も十分だし、何しろ美味いのである。各支部の庁舎も都度、食堂が追加されているようだった。
子どもを持つ隊員には、育児手当が支給されるようになった。児童養護施設や学舎への推薦制度も設立された。おかげでリリアーヌとキトリーを、いい学舎へ通わせることができていた。
先ごろ
近くの建物に集合するよう、促された。
「緊急捜査本部長。司法警察局次長、大佐。セルヴァンと申します」
あえてそうしているのだろう。壇上のセルヴァンは、ダンクルベールにそうするようにして名乗り出た。
「早速ですが、今後の方針について指示を出していきます」
「よろしくどうぞ。本部長」
首肯しながら。マレンツィオだった。捜査本部次長を任されている。
「まずは指揮権の統括。司法警察局、警察隊本部、そしてガンズビュール支部の三組織が捜査に取り掛かることとなります。この指揮権と責任の一切は、司法警察局が持つこととします。ここまで、よろしいか」
返答。揃っている。これについては問題ないだろう。
「次に、捜査官とそのご家族を含めた職員全員の身の安全の確保を行います。ホテル・セネヴィルをひと棟、
これに対し、ちょっとしたざわめきがあった。ダンクルベールも正直に驚いていた。
緊急捜査案件認定後にまずやることが、捜査の前提確認ではなく、労働環境の整備なのだ。
「本部長、よろしいでしょうか?」
マレンツィオ。いくらかの困惑が見える。
「本官の別荘にて、こちらのダンクルベール大尉を含む複数名の家族の面倒を見ております。衛兵、使用人もおり、また本官の家内もおりますので、十分に安全かと思われます。この場合でも、緊急捜査本部へ移動をするべきでしょうか?」
「お気持ちは理解したうえで、移動を命じます。貴官らの環境は充実しているが、他はそうではない。各員の身の安全について責任を持つうえでは、各位の行動を完全に把握するぐらいをしておきたい。衣食住についてはホテル・セネヴィルさまにご協力を取り付けておりますので、ご安心下さい。また、お子さまがたに関しましては、保育士、ベビーシッターなどを、
言った言葉に、マレンツィオは呆気にとられたような顔をしていた。
ダンクルベールとしては、そういうことであれば、という感じで、安心していた。これでシャルロットばかりに負担を掛けずによくなったのだから。
「兵站線、連絡線を、首都の司法警察局庁舎と繋ぎます。駅伝宿駅の独占と連絡員の確保を、郵便運送局に依頼しています。これで首都の司法警察局本部、および警察隊本部との連絡が容易となります。これの指揮は、グリッサン少佐が担当いたします。目標、三日。ここまで、よろしいか」
返答。担当するグリッサンという将校は、いくらか気色ばんでいる様子だった。
「本地に滞在中の王侯貴族、並びに住民の皆さまへの慰問を行います。ヴァーヌ聖教会の方々が来られますので、失礼のないように。これの対応と案内は、シュヴラン中佐が担当します。ここまで、よろしいか」
返答。これにも驚きが強くあった。現地住民の人心慰撫を明言したかたちである。
「マレンツィオ次長。ご自身を含めた、各捜査官の事務作業の洗い出しをお願いします。これをすべて、我々、司法警察局側で担当いたします。捜査官は、捜査のみを行う。洗い出しが完了次第、こちらのルノー中尉に報告をお願いします。ここまで、よろしいか」
「はっ、かしこまりました」
やはり驚き混じりに、マレンツィオが返答する。
「足りないもののリストアップ。部材、人材、どちらでも構いません。必要なものは現地なり余所なりから拾ってきましょう。これはポワンスレ大尉とラブラシュリ支部次長を中心に実施すること。ここまで、よろしいか」
返答。ガンズビュール支部次長ラブラシュリなどは、しどろもどろといった様子である。
では、はじめ。セルヴァンは、それだけ告げた。それで人員が、わっと動きはじめた。
呆気にとられていた。一方的も一方的であるが、すべてが的確で、迅速だ。
「すごいもんですな」
思わず、口から出ていた。それにセルヴァンが反応した。
「事務方を
「はっ、肝に銘じます。あらためまして、警察隊本部、大尉。ダンクルベールです」
「噂はかねがね。セルヴァンだ。貴官は、ボドリエール夫人と懇意であると聞いた」
「はい。確かに、捜査協力をお願いしております」
「ちなみに貴官は、“静”と“動”、いずれかね?」
「は?」
「作風の話だ。懇意とあらば、著作は読み込んでいるのだろう?どの著作が好みかね?」
「いえ、本官は夫人の著作はあまり好みではなく」
そこで、美貌が
「貴官は夫人の何なのだね?もしや恋人か?仲がいいとは聞いているが、そこまで進展したとは把握していないぞ。貴官、ご内儀を不本意な
「あ、いえ。本当に、ただ捜査協力をお願いしているだけの間柄でありまして」
「正直に話したまえ。著作“再びの人”の題材が貴官であるという風説もある。よもやご内儀がご存命の頃から密通を重ねていたわけではあるまいな?そうなれば色々と話が変わってくるぞ」
「本部長。恐れ入りますが、そのあたりで。オーブリーはいくらか、疲労もありますので」
その剣幕にか、エチエンヌが間に入ってくれた。
セルヴァン。不機嫌そうに、ふん、と鼻を鳴らした。
おそらく、パトリシアのファンなのだろう。ダンクルベールは付き合いはありこそはすれ、当人の著作はあまり好みではなかった。それはパトリシア本人も把握しているところであるのだが、確かに周囲から見れば奇妙な関係に見えるのかもしれない。
ちょっと最初の対応を
「それで、マレンツィオ次長。捜査方針は
「基本に忠実。聞き込みと証拠探し。それしかありませんな」
「ダンクルベール主任は、どうする?」
「今回は精彩を欠いています。本官も見立てを聞きましたが、どうにも突飛で」
そうぼやきながら、マレンツィオは頭を掻いた。
ちらと、見てきた。目が、何かを言いたげだった。話はこちらで組み立てる、というところだろうか。
「現在の見立ては、どうだ?」
「正直に、あまり」
「喋っていい。当てずっぽうだと思っています」
言ったマレンツィオの目。本当に、言っていい、という目だった。
居住まいを正す。
「第一容疑者、ボドリエール夫人。著作“湖面の月”に罠が仕込まれています」
言った言葉に、セルヴァンが一拍置いて、吹き出した。
「馬鹿馬鹿しい。捜査協力を頼んでいる相手が、容疑者だと?」
「この通り、今回は駄目なようです。こいつは前線から外します。とはいえ今から帰すわけにもいかないので、ここでエチエンヌ中尉のもと、療養扱いとします」
「そうしたまえ。まだ本調子ではないのだろう。褐色の巨才とやらは、また今度にしよう」
「ちょっと、課長」
エチエンヌが憤慨した様子で、マレンツィオに詰め寄った。
「いいんだ」
マレンツィオ。つとめて、小声で。
「こいつを自由に動かせるためだ」
そう言って、こちらを見てきた。
目。好きにやれ。そう、語ってきた。だから、頷いた。
「ああ、そうそう」
セルヴァン。背中を向けながら。
「夫人の著作の“
そう言って、去っていった。
「やなひと」
エチエンヌ。鼻を鳴らしながら。
「いいんだ。きっと、夫人のファンなんだろう」
「だからって、あんな言い方はないじゃない。あの詰め寄り方だって、オーブリーのことなんてまったく考えずに」
「そういうやつだ、で済ませなさい、エチエンヌ君。ただのやっかみさ。ああいう手合いは、どこにでもいる」
そう言って、マレンツィオは笑った。
「ただまあ、無理はするんじゃねえぞ、ダンクルベール」
「ご迷惑をおかけします」
「めしはちゃんと食え。子どもとも、遊んでやれ」
言われて、胸が締め付けられた。
「シャルロットが心配している」
それだけ言い残し、マレンツィオも動いていった。
エチエンヌと子どもたちと一緒に、カフェ・ド・マガリーに行った。
昼食。子どもたちは場所が移ることにあまり気乗りはしていなかったが、何とか説き伏せた。
めしの味は、やはりわからなかった。
ウトマンと手分けして、“湖面の月”を読み進めていた。
被害者たちの書架から、それだけが欠けている。だからそこに、何かがある。
パトリシアが著作に“
ホテル・セネヴィル。一室、用意してもらっていた。そこであらためて、“湖面の月”を読み進めていく。
ふたつ、組み合わせは見つけていた。
「ひとつ目の組み合わせは、月を含む天体の名前。もうひとつは、月にまつわる言葉ですね。季語とかことわざとか」
「そうだな。これがいわゆるあたりとはずれなのだろう。これの一方が、死への招待状になる」
「それなんですが」
ウトマンが、おずおずと。
一章の八節だった。
「どうしてか、これだけどれにも当てはまらなくって」
自分の方の“湖面の月”を読み解く。確かに、それはあった。
もしや。
「ウトマン」
「はっ」
「本当のはずれがある」
「やっぱり、ボドリエール夫人が」
「そういうことになる」
「にわかに、信じられません」
「俺は、君がこれを見つけられたということが信じられないよ。すごいぞ、大手柄だ」
つとめて笑って、ウトマンの肩を叩いた。
「それでは本官は、川の名前に絞り込んで読み進めてみます」
「頼んだ。俺は、エルトゥールルにまつわるものがないかを探してみる」
言いながら、ふと引っかかった。
なぜ、これを“
つまりは、それを見つけられる人間を狙っている。
狙い撃ち。誰を。考えても、出てこない。
一旦置いて、まずは読み進めることにした。ひとまず、今まで読んでいたところから。
第三章。主人公が、男爵家の嫡男の懇願に押し負け、遂に体を許すところ。
濃密な愛と性。交わる心と体。
そして残される、
腹の中のものを、戻していた。そうやって、震えていた。
何度読んでも、ここからがきつかった。
耐えられない。あれもきっと、こうやって。別の男と、こんなふうに。
壊れた家庭だった。愛なんて、なかった。それでも取り繕った。子どもたちのために。
あれの愛は、別のところで育まれていた。それが、苛んできた。
「ダンクルベールさま」
戻したものを片付けたあたり、誰かが部屋に入ってきていた。
シャルロット。掴みかかられた。
「ダンクルベールさま。もう、これ以上は」
「大丈夫です。私は、これを」
「なんもいいはんで。休んでけで。まんず、休んでけで?」
「
「私は、やらなければならない」
「間違ってら。
ぼろぼろと泣きながら、シャルロットは揺さぶってきた。
揺らいでいた。
やると決めた。たとえ壊れても、突き止めてみせると決めた。でもそれがダンクルベール自身を、そしてシャルロットを苦しめ、苛んでいる。
これは、シャルロットを。子どもたちを泣かせてまでやるべきことなのか。
「うちのひとがいる。きっと、コンスタンさまだって来てくれる。んだすけ、なんも
「お気持ちはありがたいです。しかし、私は」
「
崩折れる。小柄な体。抱きとめることしか、できなかった。
「
そうやって腕の中で、シャルロットはずっと、泣き続けていた。
自分の頬が濡れているのに気付いたのは、もう少ししてからだった。
(つづく)
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