第6話 ◎仮想の仮装
やつを消してから2ヶ月が経った。
その間、仕事をこなしながらあることをしている。
休日になれば必ずすること。それは…
「…スター。マス…ー。マスター!起きてください!」
俺は夢から覚まされた。
「マスター。しっかりしてください。今日は金曜日です。まだ仕事の日です。」
「そ、そうか。」
前言撤回だ。完全にまだ寝ぼけてる。瞼は重いし腰から上は起き上がることを拒否している。
「マスター。どうかなさいましたか?」
リサは心配している。
何だか申し訳なくなってきた。
…起きるか。
「いや、何でもない。…今日の予定は?」
「はい…。今日は…」
…夜になった。仕事をこなした。
この脱力感は仕事のせいだけではない。
「…レナ。」
あの日からもう1ヶ月は過ぎたっていうのにまだ忘れられない。
顔も声も、あの夜のことも。
心から何かが欠けたような。
そんな脱力感がある。
俺はこの脱力感と共にゲームマスターをすることが嫌だった。支障を来たすかもしれない。
何か重大なバグに気付かないかもしれない。
そこで俺は思い出した。あるパークのことを。
この感覚を捨て去れるパークがあることを。
そこは、アダルトパーク。
そこかしこにピンクの蛍光色で書かれた店名が存在する。名前から連想できるかもしれないが
ここは世界様々の風俗店が揃う夜の街をイメージして作られた場所である。
俺はここ数日、通っている。
レナとの夜は俺に"温かさ"を与えてくれた。
それは今まで感じてきたもの、求めてきたものに著しく近かった。
だからこそ、忘れられない。今までの念願がたった一回で終わってしまったのだから。
レナに近い"温かさ"を探すためこのパークに来たのだが見つけられない。"あの時"感じた温かさは日に日に薄れていってしまう。
この記憶が消えてしまえば俺は生きる気力を失うことと同義だ。
俺は焦った。
焦って探した。
そしてやっと見つけた。
彼女の面影を。
現在、俺は今日もここにやって来た。
「モルフェさん。今週もいらっしゃったんですね。」
受付のNPCは流暢に話しかけてきた。
「ああ。今日もあの子で頼むよ。」
「了解しました。」
NPCは俺が頼んだ子と連絡をとり始める。
「はい。今日もあの方です。24番で待機してください。
腕を後ろに回し、顔をNPCから逸らす。
数分後、俺は24番の部屋に案内され、色々と規約を聞かされサインを求められた。
その旨は
・相手は実際のプレイヤーであり、お選びになったコースに従い行為をなさってください
である。
ここは"エデン"。
実在するプレイヤーを店員として雇いゲーム内通貨"ペア"を稼げる、このIFでも珍しく"遊んで稼ぐ"のではなく"働いて稼ぐ"ことができる店である。
このIFでは通常、他のよくあるゲームと同じで
遊ぶことでお金を稼ぐことができる。例えばレースゲームで優勝する、バトルロワイヤルで勝利する、などなど。だが、このゲームではもう一つ違った方法がある。それは、リアルと同じく働いて稼ぐ方法である。特に本物の人が必要な仕事の場合が多い。例を挙げれば、大会の司会者やカウンセリングなどである。
そしてその一つがここ、アダルトパークのキャバ嬢である。仕事は一言で言えば、お客さんの"おあいて"である。
「それでは、天国へ行ってらっしゃーい♡」
NPCはドアを開け、俺をその部屋へ招き入れた。
「ようこそ♡今日のおあいてをさせて頂くミルです!♡」
鼻につく芳香剤が漂う暗闇から聞き馴染んだ声が聞こえた。
「…とは言いましたが…。今日もしないんでしょ?」
ミルはふかふかのベッドにぽすっと座って不機嫌そうに言った。
「悪いな。また2時間くらい頼むよ。」
俺も彼女に並ぶように座った。
「分かってるよー。私は別にいいんだけどさ。」
ミルはエデンで働くキャバ嬢の一人である。
銀髪に桃色のメッシュが入り、紫色の気だるそうな目を持ちその目を隠すためかそうじゃないのか、目と同じ色の大きな髪飾りをしている。
外見は正に美人といった感じだ。
そして、反応の通り、彼女はレナではない。
「あのさー。もう1ヶ月の中だし言っちゃうけど、わざわざ私のところじゃなくて彼女のところ行ってくればいいじゃん。」
「だが、行けない。」
「どうしてさ。」
「君にはこんな経験はないか?元恋人が今も気になって仕方がなくてそこでまさかの偶然で見かけた時、その人になんて声を掛ければいいのかと迷うという経験は?」
「ない。私、彼氏いたことないし。」
「…とにかく。なんて声を掛ければいいか分からないんだ。だから隣の部屋には行けないんだよ。」
レナは25番の部屋にいる。部屋に入る瞬間に横顔をチラッと見たが間違いなかった。
彼女はいる。だが行けない。会った時、なんて反応されるのか。嬉しい顔をされるわけない。
それは分かってる。しかし…。
「ふーん。…あんたは元カノのこと好き?」
「あ、ああ。」
「なんで、別れたの?」
「…ケンカ、というか、条件から外れたから…」
「多分、そこだろうね。あんたが彼女に会いに行けない理由は。」
ミルはこちらを向いてはっきり言った。
「どういう意味だ?」
「別れた理由が分からなかったら、何て謝ればいいか分からないでしょ?」
「俺は何も悪いことなんてしてないぞ。」
「やったかやってないかは関係ないの。女っていうのは気持ちを知りたいものなの。」
なるほど。そういうものなのか。
「それに…彼女のこと愛してるんでしょ?」
愛してる…か。
「…なあ。君は愛と恋に違いはあると思うか?」
あの言葉。
俺が一直線に彼女に向かえない理由の一つだ。
「……。」
ミルは黙っている。無視じゃない。むしろ真剣に考えてくれている。腕を組んで口をつぐんで。
「私は、違うものだと思う。」
そうなのか。
「……でも。同じものだとも思う。」
「え?」
思わず漏れた。
「私は恋は愛の前身、愛は恋の行く先だと思う。だからそれは違うものだとも、同じものだとも思う。」
「なぜ?」
「だって、人は最初に恋に落ちられるけど愛に最初から落ちることはできないでしょ。それは、一度愛に落ちてしまったら這い上がって来れないからだと思う。」
妙に納得してしまう。
「なるほど。」
空になった"理解"を無気力に投げる。
「君、詩人になれるな。」
「そう?ありがと。」
俺はおもむろにベッドから立ち上がる。
「どこ行くの?」
彼女は心配そうに尋ねてくれた。
「決心がついたよ。君のおかげで。ありがとう。」
「そう。」
薄暗いが彼女の顔は緩んでいるのが分かる。
"彼女"がいなければ告白していたかもな。
俺はドアを自分で開け外に出た。
そして、隣の25番の前に立つ。
深呼吸する。辺りは静かだ。中に彼女がいる。
根拠はないが見つける必要もない。
25と書かれた黒いドアに付けられたノブを左手で掴み、回す。
「ようこそ♡今日のおあいてをさせて頂く〇〇です!♡」
蜜柑色の流れるような髪、サファイアが連想される蒼い眼、小さくも通った鼻、緩やかに上がった口角。聞き馴染みのない声。
そう、聞き馴染みのない声。
その声がドアを開けた時の1番目だった。
「君は、誰だ。」
「私は〇〇ですよ?♡今夜、あなたのおあいてを…」
俺は名前の知らない女に近寄ってこう言った。
「お前はレナじゃないのか。」
「…はい。誰ですか?そのレナっていう人。」
やっと見つけた、はずだった。
やっと"アレ"をもう一度感じれるはずだった。
彼女に会えるはずだった。
なのに、会えたのは偽物だ。
「その見た目、どこで…」
「あ、ああ。これですか?これ、ネットで拾ってきたんですよ。なんかめちゃくちゃ綺麗な人がいるって有名になってて、そこでこのアバターに似たもの作れば私も可愛くなれるって思って…」
会えたのは偽物。見た目はこの世界じゃ意味をなさない。
そんなこと、俺が一番分かっていたはずなのに、俺はその可能性を全く考慮に入れていなかった。
「…すまない。人違いだった。」
唖然に取られた彼女を背に、開けられたままのドアを通った。
………。もはや何をする気も起きない。
性欲に駆られたプレイヤーが一緒に連れている女に腰を振る様子を見せられながら、さっき通った出口までの道のりに再び足を運んだ。
部屋から右に進んで20番の部屋がある角を左に曲がる。くねくねと分かりづらい道を15、13、11番の部屋を目印に左に右に進む。
俺が設計するならこんな構造にはしないだろう。
そうしてやっと直線の廊下に出た。
10、9、8、7、6、と続く部屋に目も当てず、歩く。
突き当たりを道に従って右に進み、また番号が続く部屋の通りを足早に進む。
5、
4、
3、
2、
1。
「ユウマ?」
カウンターに出るや否や、背にまた聞き馴染みのない声が当てられた。
「ユウマ!ユウマー!!いたんだ!!やった!!」
俺が振り向くとふわふわとした女性、言い換えればこの場に似つかわしくない女性がユウマではない俺に抱きついてきていた。
涙を流し、会えて良かったと言う風に顔を擦り付けていた。
「…君は、誰なんだ。」
「え?私のこと覚えてないの?私だよ?」
不安一色の顔は、訳もわからず、何かに納得したようにこう言った。
「そっか。確かに私、最近アバター変えたもんね。私だよ。ナッツ。」
「あ、ああ!お前か!」
何言ってるんだ。俺は!
みず知らない人にみず知らない彼氏だと嘘をついている!
「うん!…でも、どうしてユウマがここに…」
何を言えばいい。何を言ったら納得する?
彼氏がこんな店に来ているんだ。もはや手遅れだろ。
「あっ!」
彼女、ナッツは急に声を上げ、頭を下げて謝った。
「ごめん!ユウマじゃなかった…。」
え!?まさかバレた!?何も言ってないのに!?
「…ホス、だよね。この世界の名前。」
「あ、ああ。そ、そうだぞ?俺はホスだ。た、たく!間違えるなよぉ。」
「ごめん。私、ついついリアルの名前を言っちゃって、治らなくて…」
ナッツはそう言うと顔を赤らめ、胸に手を当てモジモジと申し訳なさそうにした。
…か、可愛いな。
「いや、良いんだ。間違えることくらい仕方ない。」
「…?今日のホス、いつもより優しいね。いつも私がなにか間違えると怒鳴るのに。」
そ、そんな彼氏なのか。"こいつ"は。
「そ、その言い方。怒って欲しいみたいじゃないか。」
「いやいや!怒って欲しいわけないよ。いつもちょっぴり怖いなって思ってたけど、今の方が優しくて好きだよ?」
「そ、そうか。」
彼女は口元に手を当て首を傾げて俺のことを"好き"だと言ってくれた。
見た目はこの世界じゃ意味を成さない…だからな。
「…ホス?そろそろこんな場所から出ようよ。」
「あ、ああ…」
いや!待った!ここで外に出たら、彼女と別れる時がいずれ来てしまう!そうすればアドレスを持ってない"俺"は二度と彼女に会えなくなる!
止めるんだ!
「…いやー。ここにいた方がいい。」
「…うん?なんで?」
「え、えっとー。それは…だな。ナッツのことをこのゲームの管理者が狙ってるからだ。」
「え!?私のことを!?ゲームマスターが!?」
俺はとにかく首を縦に何度も振った。
「み、見たんだよ。あいつが君を狙っているところを。あいつ、モールパークで上の方からナッツのことを監視してんだ。」
「そ、そうだったの!?全然気づかなかった。」
「そ、そうだ。だがここならあいつに見つかる可能性が低い。な、なにせ、ここは…」
ここは…なんて言えばいいんだ!?
安全だと思わせたい時、心配はないと思わせたい時、脅威は、現れないことを伝える時。
そうだ。
……ここでなら、"誰にも見つからない"理由があればいい。
「ここは、プレイヤーのアドレス探知が遮断される場所だからだ。」
そう、ここは、アダルトパーク。守秘義務が問われるデリケートなパークだ。他のパークとは違って、来るプレイヤーのアドレス、ベッドルームの情報は一時的だが完全にロックが掛かる。
「ここでなら、あいつの手下に、あいつにすら見つけることは出来ない。」
「わ、分かった。私、ここにいる。」
「ああ。それに、メッセージも受けちゃいけないからな。逆探知される。直接俺に会う時以外、ホスを名乗る人物に答えちゃいけない。」
ナッツの目は迷いなく、一心に俺を見つめている。
「いいな?」
彼女はただ黙ったまま2、3回頷いた。
1ヶ月後。
「ユウマ。まだマスターさんは見つからないの?」
「おい。言っただろ。俺はホスだ。」
「あ、う、うん。ごめん。」
ナッツは申し訳なさそうに俯いた。
「なんでお前はそんなに忘れっぽいんだ。この前だって俺が目の前にいたっていうのにホスを名乗るやつからのメッセージを開こうとしていたし。」
「ごめんね。私、頑張ってるんだけど…。」
彼女は自身の忘れっぽさの話になると逸らす癖がある。この理由は本物のホスには言ったのだろうか。
「いや、とにかく気をつけろ。この世界にいるんだったらリアルの名前は特定される原因だからな。」
「う、うん。」
締まりの悪い返事をした。
過去に何かあったのだろう。だが俺には関係のない話。この世界で内面は無視するに限る。
この忘れ癖のせいでホスは彼女に当たり散らしたのだろう。なら、未来、このまま一緒にいればホスは更に過激になっているかもしれない。
彼女は"俺"に怒られることに対して極度のストレスを感じる。
ならばストレスを解消してくれる人物が現れれば、そいつは彼女の勇者になる、
…勇者になれる。
2ヶ月の後。
「ナッツ!だから!外に出るなと言っただろ!?理由は覚えてるんだろうな。」
「う、うん…。」
数分の間、彼女は黙っていた。
「…覚えてないじゃないか!!どうしてお前はそんなに何でもかんでも忘れるんだ!?いいか。お前は"マスター"に狙われてるんだぞ!?もし外に出ればその瞬間に連れ去られ、俺には会えなくなるんだ。分かるか!?」
「…うん。ご、ごめん、ユウマ。あ!じゃなくてホス!」
「ったく。」
よしよし。順調にストレスは溜まっていってる。このまま…。
「マスター。もうやめにしませんか。こんなこと間違ってます。レナ様のことは残念でしたが…」
最近、俺が戻るとすぐこの話になる。
「お前には何度も説明しただろ。これしか方法がないんだよ。」
「そ、そんなわけありません。マスター。」
こいつは本当に"何も"分かってない。
[私も一緒にマスターの夢を叶える方法を考えます。だから…]
「…一緒に考える?俺の夢を?思い上がるな。」
[マスター…]
3ヶ月。
「ご、ごめん。私…。」
「ごめん、"なさい"だろ。」
「…。は、はい。ご、ごめんなさい。」
どんなに怒鳴っても変わらない。彼女の忘れ癖は治らない。まあ、治す気もないが。彼女の性格とこの癖のおかげで俺は彼女のヒーローになれるのだから。
4ヶ月が経った。
あいつを消してからの仕事の合間にやることはあまり変わっていない。強いていうなら、
「おい!!やめろと言ったよな!!?俺をその名で呼ぶなと!!!」
"探すため"でなく"会うため"にここに通うようになってになったということだ。
「ご、ごめん…なさい。」
ナッツは顔を下に向け落ち込んだ。
「なんだ?その態度は?お前が間違えたのが悪いんだろ?"俺"はユウマじゃない!!」
「は、はい。分かってます。ご、ごめんなさい。で、でも私、覚えられ…」
「黙れ!!!お前は俺の言うことを覚えておけばいい。いいな。」
彼女はただ黙って頷いた。
これも、彼女のためだ。日頃からこんな虐待されて耐えられないだろう。安らぎが必要だろう。
だから、この俺が助けに来るのさ。
約4ヶ月間。彼女を脅し続けた。出会った頃に言った、ホスの怒った姿に対する恐怖を元に彼女のすることなすこと全てに怒り、怒鳴り、やめさせた。ただここにいろとだけ繰り返し伝えて。
彼女は従順にも従ってきた。偽物の彼氏に従い続けてきた。
その苦労も明日で終われる。
エデンから帰ると、
[マスター!もうやめてください!]
また始まった…。
[…こんなこと、間違っています!マスター!]
最近、このAIはいちいち文句を言う。俺がやること、全てに。
「黙れ。ナッツの男はいつも彼女に怒鳴っていたんだ。それは遅かれ早かれ今、俺が演じているようにエスカレートする。だからその前に俺が救ってやるんだよ。」
[ですが、マスター!あなたは他人になりすまし、他人を騙し、自分のためだけに、こんなことをしてるんですよ!?そのことに何も感じないんですか!?]
「言ったはずだろ!?俺は彼女を救っている!絶望の運命にある彼女を希望の道に連れていくんだよ!」
[マスター!!もうこれ以上、彼女に関わると言うのなら私はあなたをマスターとは認めません!!]
「好きにしろ!!お前を作ったのは誰だ!?お前の代わりなんかいくらでも作れるさ!お前はただのコンピューター、温かみも何もない、理解する心なんて持ち合わせてないただの物なんだよ!!」
[っ……。]
機械には似つかわしくない涙なんか流してそいつは俺から去った。
俺は左手を振り下ろし、あるメニューを開いた。プログラムのメニューではない。開いたのは俺の思い出だ。
"夢 達成 不可能"
と書かれたあるビデオのファイル。
ビデオの下に引かれた再生バーを最後に持っていく。
「…ダメだった。叶わなかった。俺の夢は、叶わなかった。」
動画内の白髪、黒目の男は震えた声でそう言った。
「やっぱり、この方法しかない。」
翌日。
俺は姿を変えた。
白髪に黒い目。右腰に刀を携えて袴の上からパーカーを羽織る。あいつを殺しに行った日と同じ格好でいつもの場所に向かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「………。」
ユウマのメッセージには出ない。
部屋から出ない。
ユウマの言うことを聞く。
私はこの3つを必死に頭の中で繰り返した。
忘れないように。もう、忘れたくない。
コンコン。
ドアから聞こえた。
私は座っていたベットから立ち、ドアに耳をつけよく澄ました。
「ホスさん。いますかー?」
優しい声がした。
「は、はーい。ど、どうしましたか?」
「…っ!すみません!そこどいておいてください!」
いきなりの大声に驚いて思わず言うことを聞いてしまった。
と、途端にドアを蹴破って一人の男の人が入ってきた。
「やっと見つけた。ナッツさん!」
そう言う彼はスタスタと近づいてきてこう続いた。
「ここから出ましょう!」
……「俺の言うことを覚えていればいいんだよ!」……
……「なんで覚えられないんだ!!」……
……「ここから出るなよ。」……
……。
「う、うん。」
私をあの部屋から連れ出してくれたのはモルフェという男の人だった。白い髪が風に揺れ、私を優しく慰めてくれた。
「大丈夫。俺が付いてる。」
「ありがとう…ございます。わたし、私、怖くて、不安で…」
彼は私を抱え込んで大切そうに頭を撫でた。
落ち着いた。ホスと一緒にいる時よりも、安心した。
「で、でも、どうして私を見つけられたんですか?」
撫でられながら彼を見上げてそう言った。
「…君の関係者に依頼されたんだ。誰もが君を心配して、手を尽くしていた。そんな姿を俺は見逃せなくてな。」
目に涙を浮かべながら言っていた。友達や家族と一緒に私を探してくれた見ず知らずの彼が。
「君には、さっき名乗ったが、もう一つ付け足しておきたい。俺は、IFのマスター。ゲームマスターだ。」
「…っ!あなたが!?あの、マスターさん!?彼が言っていた人とまるで違う…。」
「彼?」
「う、うん。ユウマ、あ。ホス。」
また、間違えた。怒られる!
「ああ。彼のことか。君が彼から何を吹き込まれたかは知らないが。約束しよう。君を傷つけたりしないと。」
優しい声が頭の中で響く。
「ほ、本当に?」
「え?…あ、ああ。約束する。」
「怒鳴ったりしない?私を責めたりしない?」
「ああ。もちろん。君は被害者だ。ホス、彼を見つけるまで俺が君を守る。そのためならどんなことをしても構わない。」
…胸の内が大きく揺れる。顔が熱くなる。
「モルフェ、って呼んでもいい?」
「ああ。好きに呼べばいい。」
…私…あなたが好き!
私は彼に勢いよく抱きついた。
その後、モルフェが持つお城に案内された。
とても広く、部屋もいくつもある。
赤い絨毯に壁にかけられた松明、ところどころに置かれた甲冑まで、まるで中世にタイムスリップしてきたみたいだった。
「ナッツ!」
呼ばれたっ。怖い。私はまたなにか間違えたの。
「迷っちゃう…ぞ。そこで何してるんだ?」
彼は、怒鳴らなかった。
「大丈夫か?どこか痛むのか?」
それどころか私が丸くなっている隣にしゃがみ込み背中を摩ってくれた。すると、恐怖がゆっくりと落ち着いてきた。
「ご、ごめんなさい。私、大きな声で呼ばれると、怖くなって…」
「…なるほど。気にするな。ゆっくり慣れてくれればいい。それまでは俺も君を呼ぶ時は気をつけるよ。」
「う、うん。あ、ありがとうございます。」
今までとは大きく異なる対応の差が私にとって違和感以外の何者でもなかった。
でも、今の方が好きなことに間違いはない。
「ナッツ。君はどうして、感謝したり、謝る時になると、敬語になるんだ?」
「え。そう言えって言われてたから…」
「そうか。じゃあ、それも変えよう!俺に対してはですます調をやめよう。な?」
「う、うん。分かった。」
「お?偉いぞー。」
彼は私を褒めて頭を撫でてくれた。
暖かい。触られてるのは頭なのに体の内側がポカポカになる感じだった。
彼の隣だと安心する。私は彼が本当に好きだ。
しばらく経ち、私がここに住んでから1週間になろうとしている。
彼は相変わらず私の隣にいてくれる。彼の腕の中はいつも暖かく安心する。
「ナッツ。話があるんだ。」
モルフェは改まって私を見つめてこう続いた。
「…実は。あの時、君を救ったあの日から、俺は思っていた、君は綺麗だ、と。」
「……。」
私は必死に我慢した。もう彼が言う言葉なんて分かってる。それでも聞きたかった。
「だから、君がよければ、だけど、」
「…うん。」
「…俺と付き合って欲しい。」
「…うん。うん。もちろんだよ!」
私は彼の額に自分の額を付け、こう続けた。
「モルフェ、私も、あなたのこと、好き。大好きだよ。」
「ああ。俺も、君が、好きだ。」
体が熱い。心臓が跳ねる。
私の手はひとりでに彼の頬をなぞり唇に触れる。
「モルフェ。」
「ナッツ。」
瞼を閉じ、唇を寄せ合う。
ああ。柔らかい。ずっとこうしていたい。彼が私を求めているのが分かる。
私もそれに応えたい。
もう、"好き"なんかじゃない。
私は、彼を、"愛してる"。
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