第28話 元勇者のおっさんは醜く足掻き続けるそうです

 体が動かない。焼けた鉄を流し込まれる様な激痛が走っている。肺に骨が刺さっていて呼吸もろくに出来ない。視界も朧気おぼろげで赤く濁っている。

 怪物の一撃を受けたノルバは、一命を取り留めたものの血溜まりの中で倒れていた。


『何で……元に……』


 朦朧とする意識の中、ノルバは思考する。

 五分という予測が間違っていたのか。それとも強力過ぎる力に効果が耐えきれなかったのか。考えようとも答えは見つからない。

 静まり返った空間に勝利を確信した怪物の笑い声だけが反響する。

 あれだけ威勢の良い事を言っておきながら結局はこのざま。何者にもなれやしなかった。

 ノルバの中で何か、心を形作っていた大事な物がプツンと切れた。

 良くやった方だろう。世界を救い、虚無の暮らしの中でも文句の一つも言わずに過ごした。解放された後も世界の脅威を後一歩の所まで追い詰めた。

 充分過ぎる活躍だ。誰にでも出来る所業ではない。もう休んだっていいだろう。

 きっと誰も文句は言わない。後は他の人が成し遂げてくれる筈だ。


『眠いな……』


 瞼が閉じられていく。

 抗えないまどろみが体を包み込む。意識が海に溶けていく。

 だが―――一つの声がノルバを海からすくい上げる。


「やらせない!」


 その声に引っ張られ、ノルバが瞼を開くと、目の前にはアーリシアが大手を広げて守る様に立っていた。

「何をしてるんだ。もういい。やめてくれ」そう言葉を出そうにも声が出ない。


「エルノ! ノルバを連れて早く行きなさい!」

「はい!」


 もういいんだ。終わらせてくれ。

 濁る視界でその背中に訴えるが聞き入れられはしない。

 それどころか、冷たい感覚が流れ込み、体が修復され始める。


「ノルバさんは死なせません! 皆で一緒に帰るんです! だから死なないで下さい!」

『エルノ……』


 温かな癒しの魔力と共にエルノの涙声が体内に響く。

 しかし、どうしてか体はピクリとも動かない。魂が離れかけているのか。生きる事を諦めたからか。

 エルノに担がれ移動する最中、ノルバの目にこちらに向けられて揺れる闇の炎が映る。


『オレを捨てて逃げてくれ……』


 二人だけなら逃げきれる。

 なのに何故。今のノルバには理解出来なかった。

 大剣の尖端に闇の炎が集約していく。

 それは爆発的に膨らみ、全てを焼き尽くす闇の業火球となる。

 もう全員助からない。

 ノルバは全てをシャットダウンして再び目を瞑る。

 最後に声が聞こえた。


「ノルバ……生きてね」


 それはアーリシアの悲しみに満ちた、だがそっと抱擁される様なそんな優しい声。

 その言葉は動かない体は突き動かした。

 怪物の身に落雷が降り注ぐ。


「っんとバカだよな。漸く目が覚めたぜ。オレだけは最後まで諦めちゃいけねぇんだよ」

「ノルバ……」


 アーリシアの前に立ったノルバは自嘲し、腐りきった自分を握り潰す。そして怪物に目を向ける。


「きっとオレはお前には勝てねぇ。 けどな、諦める訳にはいかねぇ。……オレは」


 言葉が詰まる。

 それは忌み嫌い、呪う事もあった肩書き。だが魂に刻み込まれ、切っても切り離せないオリジン。

 砕けた剣を構え、叫ぶ。


「オレは……勇者だ!」


 その言葉に迷いはない。その目に曇りはない。

 もう折れない。打ち直された鉄は鋼となった。


「アル、エルノ。すまねぇな。こんな形になるなんて」


 ノルバの言葉にアーリシアは苦笑する。


「諦めないって言ったばかりでしょ。弱音吐かないの」

「そうですよ。私も最後まで全力でサポートします!」


 絶望なんて何処へやら。頼り甲斐しかない二人の言葉に、ノルバに笑みが浮かぶ。


「そうだな。やってやるさ!」


 変わらず溜め続けられていた業火球が放たれる。

 熱波だけでも意識を持っていかれる威力。

 今のノルバでは防ぎようがない。

 だが諦めは捨てた。恥も外聞もなく、最後まで醜く足掻くと決めた。

 ノルバの全身を雷が覆い隠す。雷が刀身を形作る。

 悔いは残さない。ありったけをぶつける。

 全魔力を込めた最後の一撃を放つ―――その時、諦めないという想いが奇跡を手繰たぐり寄せた。

 それは一瞬の出来事だった。

 攻撃を放つ直前、何かがノルバの肩を足場に駆け抜けた。それは小さな人影で、迫る業火球へと突撃していく。

 手を止めたノルバはその光景に思わず目を疑った。何故ならそれが誰か分かってしまったから。

 その人物はここにいる筈のない、いてはいけない人物。

 身の丈に合わない剣を背負った獣人の少女は大きく口を開く。

 業火球が少女の口に吸い込まれる様にして消える。


「ンア゙ッ!」


 少女の口から再度現れる業火球。それは元の業火球よりも何倍も大きく、怪物を飲み込んだ。

 太陽を思わせる爆発を背にノルバに駆け寄って行く少女。その表情には怒られるのではと怯える様子があり、気まずさからか目線を合わそうともしない。


「の……るば」

「おまっ……何でここに……」


 恐る恐るノルバを見た少女は、その表情を見てギュッと目を瞑る。

 何が起きたかなんてどうでもよかった。

 正直に言うと怒りたかった。怒鳴りそうだった。子供の来る場所ではない。来てはいけないと言った筈だと。

 だがその背に背負う剣を見て、ノルバは少女の覚悟を悟った。

 怒られる事を覚悟で追って来た。

 少女へと伸びる手はその頭を優しく撫でた。


「ありがとう、フュー。助けてくれて」


 予想だにしていなかったノルバの行動にフューは驚き、目を見開く。


「ここまで来るの怖かっただろ? 頑張ってくれたんだな」


 驚きの顔に笑顔が生まれる。


「フュー、これもってきた。のるばのだいじなものだとおもったから」


 フューはほこりを被って色褪いろあせた剣をノルバに渡す。

 鞘も柄も全てが純白の剣。今にも飛び立ちそうな羽を模したつばを携えるその白剣は、かつて勇者ノルバと旅を共にした愛剣だった。

 捨てる事が出来ず、だが二度と手に取る機会はないと部屋の片隅で眠っていた愛剣。

 運命の巡り合せか。今再びノルバの手元にやって来た。


「フュー、届けに来てくれてありがとな。この剣があればアイツをやっつけられそうだ」

「うん!」


 剣を受け取ると、その重みが、感触が、共に戦った記憶が蘇らせる。同時に宿る自信と活力。

 ノルバは強く、強く剣を握った。

 そして彼は満面の笑みで尻尾を振るフューに聞く。


「フュー、さっきのはもう一回出来るか?」


 業火球を喰らい、威力を倍増させて撃ち返した。

 人並み外れた異次元の魔法だ。

 その攻撃は怪物の半壊させる程の威力。

 もう一度やれるのならば起死回生の一手になり得る。

 フューは小首を傾げ、暫し考える素振りを見せる。


「やらないとっておもったらグワーってなってできたよ。のるばがやってっていうならフューがんばる」


 つまりは突発的に魔法が発現したいう訳だ。

 魔法とは積み重ね。一度発現してもすぐに使いこなせる訳ではない。

 それに強力な魔法となれば魔力の消費も多いのが相場だ。一見変わりないフューの体に異変が起きていてもおかしくない。

 返答にノルバの顔が曇ると、トパーズを埋め込んだ様な黄色の大きな目がノルバを覗き込んだ。


「フューやるもん! のるば、フューたすけてくれた。だからフューものるばたすける!」


 瞳が揺れている。

 恐怖心を尚も堪え、戦おうとしてくれている。

 世間ではこんな大人は責められるだろう。守るべき子供を前線に立たせ、頼る事しか出来ない不甲斐ない大人だ。

 でも今は頼るしかない。賭けるしかないのだ。フューの可能性に。

 ノルバはめいいっぱいフューを抱き締めた。


「のるば?」


 覚悟は決めた。

 両の肩を掴み、目を見てノルバは吐露する。


「ごめんな。オレが弱いばっかりに、フューに頼る事になっちうまう。お願いしてもいいか?」

「うん!」


 はち切れんばかりの元気な声に込み上げる想いをグッと堪え、ノルバは立つ。


「フュー。合図を出したらフューの出番だ。さっきのやつを頼む」

「わかった!」


 失敗すればフューの命は危険に晒される。だがフューならやってくれる。

 そう信じて、ノルバは剣を抜いた。

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