第26話 元勇者のおっさんは全盛期を取り戻すそうです

 黒焦げになったシャプールは崩れながら落ちて行く。

 それを見てアーリシアはその場に座り込む。

 安心と疲労で体が重い。もう立つ事すらままならない。

 そんなアーリシアにノルバはグッドサインを向けた。

 サインを返すアーリシアの顔には小さいながらも嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 そこにエルノの肩を借りてリッカが歩いて来る。


「お前のお陰で助かったぜ」

「私は私のやるべき事をしたまでだ」


 リッカはそっぽを向く。

 相変わらずツンケンした態度だが、その言葉に棘は感じられない。

 なにはともあれ一件落着。


「帰るか」


 ノルバは剣を鞘に納めた。その時だった―――

 悪寒が体を駆け巡った。鳥肌が全身に立つ。

 それは本能から発せられる危険信号。

 その場から逃げろと細胞の一つ一つが叫ぶ。


「あ……あぁ……。何で……」


 エルノはその目に涙を浮かべ、腰を抜かす。


「嘘だろ……。終わったんじゃねぇのかよ」


 振り向けば真実が映る。だがノルバの体はそれを拒否する。

 見なければそれは真実にはなり得ない。そんな妄言もよぎった。

 だがそれは逃げだ。そんな事は許されない。本能を遮り、振り向くと、そこには―――崩壊した体が結合していく魔王の姿があった。


「ふざけんじゃねぇ」


 握り締める手から血が滴り落ちる。


「まダ……負ケてナイ」

「バケモンが……」


 ノルバは三人の前に立ち、剣を抜く。


「エルノ! リッカを回復しろ! オレには付与魔法エンチャントだ!」


 しかしエルノは怯えて動けない。

 すぐに動かないエルノに対してノルバは声を荒げる。


「殺してぇのか! さっさとしろ!」

「はいっ!」


 ビクついたエルノは鞭打たれ、涙目のまま付与魔法を使う。


「一人でもやってやる」

「ノルバ、待ちなさい!」


 アーリシアの制止はする。だがノルバは聞く耳を持たない。

 アーリシアは魔力切れ、リッカも戦線復帰したとしても残りの魔力は多くないだろう。

 故に一人でやるしかない。

 ノルバは跳躍し、全力で雷撃を浴びせる。


『回復しきる前に沈める!』


 致命傷からの再生中故に動けないのか。反撃はない。

 立ち尽くすその体にノルバは斬撃を叩き込む。

 間髪入れず、何度も何度も何度も。その姿はまさに疾風迅雷。

 だがシャプールは怯まない。それどころかどんどんと回復していく。


『クソが……ッ』


 しかしノルバは諦めない。

 一度距離を取ると目を閉じる。深呼吸し力を溜める。

 空間さえも焼き切る雷刃の一突き。

 雷轟と共に放たれ一撃は視界を白く染め上げる。


「ハァ……ハァ……」


 視界が色を取り戻す。

 土煙の中で残った電撃が鳴いている。


「クソが……」


 映る人影は巨大で、それが未だ健在である事を証明している。

 人影が揺らぐ。土煙を縦に裂けた。

 気付くと斬撃波が眼前にあった。


「グッ……」


 何とか剣で受けるノルバ。だがその足は徐々に押されていく。

 このままでは押し負ける。

 ノルバは砕ける程に歯を食いしばり、全力の力を剣に込める。


「……ッうるぁ!」


 弾き飛ばされた斬撃波は天井を抜けて空へと消える。

 ただの斬撃波だ。闇すら纏っていない。なこに手が痺れる。


「何で力が上がってんだ」


 ノルバは頬の汗を拭い、シャプールを睨む。

 力が上がった原因は分かる。

 シャプールは追い詰められた事で眠っていた魔王の力を引き出したのだ。

 その証拠にその目は正気を失っている。虚ろになり、意思がない。

 もうそこにいるのは魔王でもシャプールでもない。いるのは理性を失った怪物だけだ。

 そしてその怪物は再度斬撃波を放つ。

 当たれば致命傷。

 だがノルバは突っ込んだ。

 剣の腹で斬撃波を受ける。それはまるで羽毛が触れるが如く。

 そして波に乗せる様に受け流した。

 まさに神業。

 そのままノルバは懐に入り、雷刃を叩き込む。

 しかし効かず。距離を取る。

 底無しの再生力と尽きる事のない魔力。

 それに対してこちらはどちらも有限。

 ポーションで傷は治せても魔力は回復しない。魔力の回復にはエルノが必要だが、付与魔法も兼ねている。無駄に頼る事は出来ない。


「マジでふざけんなよ」


 絶体絶命の大ピンチに思わず乾いた笑いが出た。


「オ前、モうオシマい」

「かもな」


 完全復活した怪物はノルバを指差し嘲笑う。

 勝ち目がないから諦めろと言いたげだ。実際その通りではある。

 だがノルバの目はまだ死んではいない。


「最後まで足掻いてやるよ!」


 斬り込みに走るノルバに怪物は剣を振るう。

 頭上に降ってくる大剣。ノルバは直前で横に飛び躱す。しかし大剣は地面に触れる前に無理やり軌道を変える。

 空中では避けられない。ノルバは剣で受け止めると刃を滑らせ衝撃を流す。

 そして勢いを利用して跳ねると顔面に剣を叩き込む。

 倒れない。

 虚ろな目が睨むと、剣を持たない左手がノルバを掴みに掛かる。

 咄嗟に顔を蹴り避けるとノルバは着地する。


「逃サなイ」


 だがそこに掘り下ろされる闇を纏った大剣。

 避けれない事はない。

 ノルバは足を動かすが―――


「なっ……」


 突如足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。


『限界!? こんな時に……!?』


 十六年のブランクはノルバの想像以上に肉体を衰えさせていた。

 度重なる肉体の酷使に、魔力で補えない程の疲労が蓄積。最悪にもこのタイミングで決壊した。

 立たねばと膝を殴るが動かない。

 迫る大剣。こんな状態では受け止める事も出来ない。


「ふざけんなよ……」


 風を斬る音が悲痛な嘆きを掻き消す。

 為す術もなくノルバは剣の下敷きとなった。筈だった。


「……」


 何が起きたのか。一瞬、ノルバの脳が真っ白になる。

 だがそれは数秒。体に流れ落ちてくる液体の暖かさで、記憶が呼び起こされる。

 それと同時、彼は上に被さる人物を抱えて体を起こした。


「リッカ! おい! しっかりしろ!」


 あの時、無慈悲にも振り下ろされた大剣はノルバを殺す筈だった。

 だがそれを飛び込んで来たリッカが防いだ。

 金の盾が剣を受け止め、そのまま弾き飛ばされたのだ。


「無事……だったか」

「あぁ、オレは平気だ」


 ノルバの体に大量の血が伝ってくる。

 リッカの腹部は大きく抉れていた。そこにあるべきものは無くなり、かろうじて残ったのは骨だけ。

 盾では防ぎきれなかったのだ。

 だがそれでも身をていしてノルバだけは守った。守り抜いた。


「エルノ! ハイポーションだ! ハイポーションを持って来い!」


 ノルバは喉が裂ける勢いで叫んだ。

 体に限界が来た今、彼にはリッカを運ぶ事は出来ない。

 頼る事しか出来ない不甲斐なさでノルバは気が狂いそうだった。

 状況を察してエルノは向かおうとする。

 だがそんな事を怪物が許す筈もなく。

 剣を地面に突き刺すと闇の炎が燃え盛り、ノルバ達とエルノを隔てる壁となる。


「はハハはハ。行かセなイ。何モ、させナイ」


 理性は失った筈なのに。

 嫌がらせとしか思えない行動に怒りで体が震える。それと同時に襲い来る無力感。

 ノルバの心はどうしようもなく削られていく。

 そんな中、突如としてリッカの体が光り出す。


「何だ!?」


 突然の事態に困惑するノルバだが止める手段もない。

 何が起きたのか分からないままリッカの姿が消える。

 そして入れ替わる様に膝の上に小瓶が現れた。


「これは……」


 その小瓶をノルバは知っていた。

 それはダンジョンで見つけた宝。アーリシアが持って行った筈の謎の液体だった。

 迷う理由はないかった。

 ノルバは蓋を開け、液体を飲み干す。

 小瓶がどうやってここに来たのか謎でも、手元にやって来たという事は飲めという事なのだから。


「何ヲシた。余計ナこトするナ」


 そんな様子を見ていた怪物は剣をノルバに向ける。

 剣先に現れる闇の業火。荒々しさを増していくと巨大な火球となる。

 そして放たれた業火球はノルバに逃げる暇も与えず飲み込んだ。


「ハはハ。残念ダっタな」


 業火球は炎の壁を含め、一帯を消し飛ばした。

 壁が消え、エルノの視界に広がったのは業火の燃える大地だけ。

 猛々しく火柱を上げる炎の中ではノルバがどうなったのかは分からない。

 思わず手で口を押さえるエルノだが、付与魔法が切れていない事に気付く。

 それが意味する所は生存。

 エルノの想いに応えるかの様に火柱が割れる。

 大地を大量の稲妻が走ると、一帯の炎は消え去る。


「まだ終わってねぇよ。今度はこっちの番だ」


 雄々しく勇ましい声が広がる。

 その声は自信に満ちた若者のもの。

 だが同時に聞き覚えのある声だ。


「ケリをつけてやる」


 怪物を見据え剣を向けるのは、十六年前、魔王を倒した勇者ノルバだった。

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