第8話 元勇者のおっさんは大金を払って奴隷を購入するそうです

 そこは入り口に繋がる唯一の一本道を除いて鉄柵と鉄条網に囲まれている。

 建物自体はただの商店。しかしそこから漂う獣の臭いとまるで捕らえた獲物を逃がさぬ為のその装いがそこが普通の場所ではない事を示している。

 にも関わらず、その周囲には当たり前の様に人が往来している。買い物袋を携えた主婦。人目も憚らず愛を証明し合うカップル。誰もその建物には目もくれていない。

 とある街の一角に異様な姿で街に馴染み立つ不気味な商店。こここそが奴隷シェアの八割を占める超大型奴隷商店ライオネットアイ商会。その本部だ。

 一本道を抜け、こじんまりとした扉の前に立つとエルノは扉に付けられた呼び鈴を鳴らす。

 ゴクリと誰かの喉が鳴る。

 物々しい雰囲気とは裏腹に扉が開かれると、そこからいかにもな成金主義の貴金属類のアクセサリーを上から下まで身に纏った柄の悪い男が姿を現した。


「いらっしゃ……」


 出て来た店主の男は言葉を詰まらせた。

 その目が商売人から自身のテリトリーに無断で侵入してきた外敵を見る目に変わる。

 しかしそれでも繕った態度は変えず。


「どういったご用件でしょうか」

「王立研究所のエルノ・ハーネットと申します。昨日、そちらの輸送車が魔獣に襲撃された件について報告に参りました」

「あぁ、どうりで奴隷達の消息が分からなくなったんですか」


 男は淡々と返した。

 そこには事務的な返事以外はない。死んでいった商人や護衛人、商品への弔いも悲しみも一切が存在していない。


「残念ですね」


 感じ取れるのは商品を失った事による組織の損失だけだ。

 しかし男は知っている。全てを失った訳ではない事を。

 男の視線がノルバの奥に移る。

 視線の先にはノルバのズボンを掴む獣人の少女。

 フューは見られている事に気付くと体を強ばらせてノルバの後ろに更に隠れる。

 掴む手が震えてノルバにも伝わる。それは怯えによるもの。フューにとっては目の前の男が害である事の証明だ。


「それで、生き残りを届けに来て下さったのですか?」


 エルノが答えようとするがそれより速くノルバが答える。


「違う。買い取りに来た」


 それは低く、冷たく、そして怒りが混じった声だった。

 そんな予想だにしない返事に男は大きく目を開く。


「いやいや、何を言ってるんですか? それはもう購入者が決まっています。横入りは申し訳ありませんがお断りしております」


 案の定断られる。客から信頼を失う可能性がある今、残った奴隷だけでも届けたいに決まっている。しかしこの状況は想定内だ。


「これはキマイラに他の奴隷が殺されている所を見ている。それはまぁ昨日は大変だったぜ? 別にこのまま売りたきゃ好きにすりゃあいいが、今は大人しくても突然どうなるやら。そうなると店に傷が付いちまうよな。そこでだ。オレがこの不良品を買ってやる。そっちは店の看板を傷付けずに済むし、こっちは欲しいものが手に入る。得しかねぇだろ?」


 怒りを隠しノルバは語った。変に悟られればフューを手放さないかもしれない。故にノルバは自分を殺してただの購入者を装った。

 そんなノルバの演技が功を奏したのか男は暫し考えた後、しかし言い淀んで長い沈黙の末に口を開く。


「いいでしょう。私に吹っ掛けてくる方など今まで一人たりともいませんでした。気に入りましたよ。500万でどうでしょう」


 ニヤリと笑う男の態度にノルバはチラリと隣に立つシャナに視線を送る。

 眉をひそめている。

 ノルバは奴隷の相場を知らないがシャナの反応を見るに相当吹っ掛けて来ていると考えられる。

 転んでもただでは起き上がらない。商魂逞しいのか強欲なだけか。どちらにせよその才があったからこそ、今の地位を築くに至ったのだろう。

 これが商売の世界での戦い。

 ノルバは憎む相手にも関わらずその姿勢には感服した。

 そして決定打と思われた男の攻撃に対し、ノルバはその場の全員の脳が揺れる程の一撃を放つ。


「1000万だ。オレはコイツに1000万コイン出す」

「ほ、本気ですか……?」

「本気だ」


「ハハハ……」と驚きとも呆れとも捉えられる乾いた笑いが男の腹の底から吐き出される。

 子供の奴隷は安い。それは使い道が限られるからだ。要領も悪く、体力もない。使い物になる頃には死んでいる。そんな価値の低い子供の奴隷に1000万コインなど余程の物好きであっても出しはしない。例えどんな用途があったとしても。

 イカれている。男はノルバの揺るぎのない瞳に執念の炎を見た。


「分かりました。それではアナタ様にこれはお譲り致しましょう。えーっと、そういえばお名前を聞いていませんでした。私はここライオネットアイ商会会長シー・ライオネットアイ。お客様のお名前は?」

「ノルバ。ノルバ・スタークスだ」

「おぉ! その名はまさかアナタが勇者ノルバで?」

「違う。名が同じなだけだ」

「そうですか。それは失礼」


 シュンとしたシーだったがすぐに商人の顔に戻る。


「それでは1000万コイン頂きましょうか」

「あ……」


 ノルバが固まる。

 勢いに任せてここまで来て啖呵も切ったが、今のノルバは1コインたりもと持ってはいない。

 登録料も宿代も賄ってもらっていた事をすっかり忘れていた。


「まさか、持ち合わせがないにも関わらずあの様な事を?」

「いやー……ははは」


 ヤバいヤバいヤバい。

 血の気が引いた様に顔が真っ青になっていく。

 担保となる物もない。ここまで来てフューを救えませんでしたなんてあっていい筈がない。

 自分の凡ミスにノルバは頭が真っ白になる。

 絶体絶命。あと一歩が足りない中、一人の人物が立ち上がる。


「これを担保に一日待ってほしい」

「シャナ何を!」


 シャナは自身のネームプレートを外して差し出した。

 驚愕するエルノを尻目にエルノは続ける。


「プラチナで出来ている。足しにもならないだろうがプラチナランク冒険者のネームプレートというだけでその価値はただのプラチナに勝る」

「存じていますよ。しかしそれだけでは」


 フューは渡せない。

 それはシャナも分かっている。だから最後の一押しを加える。


「払えなければアナタの奴隷にでも何にでもなってやろう。ネームプレートは冒険者の魂。それを渡しているんだ。この体どうしようとそちらの勝手だ」

「ブラボー! ブラボーですよ!」


 シーは声高に手を叩いた。

 そしてシャナの手をとり、高揚した様にブンブンとその手を揺らす。


「いいでしょう。その気概に免じて一日だけ待ちましょう」


 シャナのネームプレートを受け取ったシーは「しかし」と続ける。


「それは置いていってもらいますよ」


 自分に指が向いたフューはノルバを掴む手を更に強める。

 しかしノルバはその手を掴む事しか出来ない。

 自分の不甲斐なさに奥歯を噛み締める他ない中、シャナが二人の前に立つ。


「安心しろ。私も残る。手は出させないさ」

「お前……何でそこまで」


 シャナはフッと笑う。


「人助けに理由が必要か?」

「……助かる」


 ノルバはしゃがみ込むとフューの頭に手をやる。


「少しだけあの人と一緒にここで待っててくれるか? 怖いかもしれないがあの人が守ってくれる。大丈夫だ。あの人はとっても強いんだ」


 その言葉にフューは一瞬だけ逡巡したが聞き分け良く手を放した。


「いい子だ」


 フューの頭を撫でるとノルバは優しい笑顔をフッと消して立ち上がる。

 そして冷たい目がシーに向く。


「二人に手を出すなよ」

「分かっております」


 ノルバは踵を返しその場を後にしようする。するとエルノが不安げな顔で駆け寄ってくる。


「必ず戻って来てくださいね。そうでないと私、アナタをどうするか分かりません」

「すぐ戻る。約束する」


 静かな返事にエルノはそれでも不安を隠しきれない。しかしそれ以上の言葉はなく、ノルバは屋根伝いにその場を後にした。

 そんな姿にエルノは「速い……」と言葉を漏らすのだった。

 街を出るとノルバは速度を上げた。風をも置き去りにする速度を維持しつつ大地を駆けていく。

 それは当に人類の域を越えている。しかしノルバは後悔していた。


「ちゃんと鍛えときゃよかったな」


 全盛期とは程遠い。ノルバが目的地に着いた時には既に二時間が過ぎていた。

 勇者ノルバであったならば三十分で着いたと嘆きつつ、そんな時間はないとノルバはそこへ足を踏み入れる。


「入るぜ」


 門番に一声かけて入った場所。それはノルバ自身が閉じ込められていた監獄。長い時を共にした自身の家だった。

 最後にひとっ走りして屋敷に入るとその音を聞いてメイドが飛び出てくる。


「誰ですか!」


 若いメイドだ。確か一番新人だった。そんな記憶しかない。


「オレだ。オレ。ノルバだ」

「な、なーんだ。ノルバ様でしたか~。良かった~」


 メイドは安堵の表情を見せるとその場にへたり込む。

 無理もない。と言えばそうだろう。

 16年間、正面玄関から勝手に入って来る者など誰もいなかった。強盗だとでも思ったのだろう。

 その証拠にメイドの手にはナイフが握られている。

 およそメイドらしくない態度のそのメイドは軽く服を払い立ち上がるとナイフをしまい明るい笑顔を見せる。

 それは真夏に咲くひまわりの様な笑顔でとても眩しかった。

 これまでだってその笑顔は向けられていた筈なのに知らなかった。どれ程興味がなかったのだろうか。

 と、そこまで考えてノルバは頭を振る。


「至急1000万コイン欲しい。どこに金はしまってある?」

「こ、こちらです」


 あまりにも突然の要求にメイドは困惑しつつも案内をする。

 その道中、ノルバの身を案じてか投げ掛けてくる。


「あの……そんな大金何に使うんですか?」

「人助け……だな」


 パアッとメイドの表情が明るくなる。


「急ぎましょう! 助けを待っている人は放ってはおけません!」


 走るメイドについていきノルバは宝物庫に着くと金貨を大量に袋に詰め込む。


「助かった。じゃあ行ってくる」

「はい! 頑張って下さい!」


 そうして宝物庫を去ろうとするノルバだったが何故か立ち止まり踵を返した。

 クエスチョンマークを浮かべるメイドにノルバは聞く。


「名前を聞いてもいいか?」

「レイです!」

「そうか。レイ、また来るから屋敷の事は頼んだぞ」

「はい!」


 走り去っていく後ろ姿にそれまでの明るい笑顔ではなく、優しい笑みを向けていた。

 変わった。初めて見た勇者の姿は希望もなく全てを諦めた暗いどん底に落ちた表情をしていた。

 しかし、たった数日。その間にこれまで一度だって見た事のない生き生きとした表情を見せるに至った。

 何があったかレイには分かる筈もない。しかしそれが明るい道筋である事だけは分かった。


「良かったですね」


 既に遥か遠くを行くノルバに、レイは小さく心の底からの気持ちを伝えるのだった。

 走るノルバ。猶予は捨てる程に余っている。しかしそれは足を止める理由にはならない。

 走って走って走り続け、ノルバは突如足を止める。


「何だテメェら」


 後少しで辿り着くというのに。ノルバは剣を抜く。


「痛い目にあいたくなきゃ、その金置いていってもらおうか」


 待ち伏せていた様に現れた十人の盗賊はナイフを構え、ノルバを囲む様に動く。

 あまりにもタイミングが良すぎる。身なりが良いとも思えないノルバをわざわざ三人がかりで、それも待ち伏せて襲撃。加えて、雑に詰め込んだだけで何が入っているか分からない袋に金が入っていると理解している。

 それだけではない。超スピードのノルバに怯えるでも避けるでもなく立ち塞がる。リスク度外視のその度胸。

 それが意味する所は。


「そこまでしてシャナが欲しいか」

「かかれぇ! 野郎ども!」


 一斉に襲い掛かる盗賊。しかし相手を甘く見すぎだった。目の前にいるのは元勇者。盗賊ごときが相手になる筈もなく。

 何が起きたか分からないまま盗賊達は地に倒れる。そして一生何が起きたか知る事はない。

 ノルバがライオネットアイ商会に戻るとそこにフュー達はいなかった。

 中にいるのだろうと呼び鈴を鳴らすとシーが出てくる。


「お早い到着で」

「お陰様でな」


 しらを切るシーにノルバは金の入った袋を突きつける。


「確認しろ。足りてる筈だ」

「分かりました。確認して来ますので中でお待ちください。御友人がお待ちです」


 促され中に入るときつい獣臭が鼻を刺す。思わず顔が歪めるが、それは臭いだけが原因ではなかった。

 立つ事すら出来ぬ檻の中に閉じ込められた奴隷達が値札と共に飾られている。

 人も異種族も変わりはない。なのに家畜―――それ以下の扱いだ。

 助けてやりたい。ノルバならそれが出来る。

 だがノルバは敢えて奴隷達を見ずに進む。

 ここで奴隷達を買い占めれば次の奴隷が生まれる。

 そしてそれはフューを買う事でも同じで。


「良い子にしてたか?」


 シャナの隣の椅子に座るフューは無表情でコクりと頷く。

 偽善でも救うと決めた。二度とこの子に辛い思いはさせたくない。

 奥歯を噛み締めつつもノルバは笑顔を見せてフューの頭を撫でると抱き抱えた。


「嫌な場所から早く出ような」


 連れ出るノルバの背中にシャナは後につきながら呟く。


「アナタは本当に何者なんだ」


 それは問いであったがノルバには聞こえない。

 シャナも直接聞く事はなく、店を出るのだった。

 それからほどなくしてシーが代金の確認を終えて外に出てくる。


「確かに1000万コイン頂きました。それでは最後に契約書の方を」

「契約書?」


 渡された用紙を確認するとそこには、譲渡における所有者の変更についての文言が記載されていた。

 どんな理由であれ奴隷を購入すれば所有権を譲渡する形になる。ここにおける所有権とは奴隷及び奴隷の首輪についてだ。

 これにより所有者は奴隷をいかおうにも扱えるようになり、首輪を通じて位置を把握したり好きに呪いを発動させる事が出来るようになる。

 必要な手続きである以上、ノルバも素直に従った。


「ありがとうございます。これにてその奴隷はアナタ様の物となりました」


 用紙を受け取ったシーは営業スマイルを見せるが、対照的にノルバは鋭い目をシーに向ける。


「金輪際フューには関わるな」

「勿論でございます。後の事はお任せください。またのご利用お待ちしております」

「もう来ねぇよ」


 吐き捨てる様に言いノルバは鉄柵の向こうへと歩いて行った。

 そんな態度にシーは軽く頭を下げて店内へと戻って行くのだった。

 敷地の外へ出るとノルバはシャナに向く。


「そういやお前の連れはどうした」

「エルノなら調べものがあると街に出ていった」


 と、噂をすればなんとやら。ちょうどエルノが姿を現す。


「あらノルバさん、もう帰って来てたのですね」

「あぁ、待たせたな。そっちの用は終わったのか?」

「はい。少し調べものをしていました。他に御用があるのでしたらお付き合いしますよ?」

「ないな。それよりも早く街から出たい。フューにとってここはいい思い出はないだろう」


 フューはノルバにしがみついて顔を埋めている。

 こんな所からは一刻も早く出てあげなければならない。


「ではキャビンに向かいましょう。お送りする場所はノルバさんの御自宅でよろしいですか?」

「そうだな。頼めるか」

「勿論です」


 エルノは快く承諾した。

 ノルバの屋敷はエルバニア王国の外の僻地にある。故に異種族を招き入れようと何ら問題はない。

 まさかこんな形であの監獄が役に立つとも思わなかった。陥れる為の場所が誰かの居場所になる。

 考えもしなかった事態に、それでも今だけはフューを救えた事を含め喜んでおこうとノルバは思うのだった。


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