第7話 元勇者のおっさんは奴隷を買う為の交渉に向かうそうです

 大きく息を吸い、静かに吐く。

 精神を落ち着かせ、神経を研ぎ澄ませると本来いない筈の敵が見えてくる。

 細身の体躯に自身と同じ両刃の剣。実力は未知数。

 しかし相当の猛者なのだろう。打ち込もうにも隙がない。ジリジリとノルバは弧を描きつつ距離を詰めていく。

 微かな風の動きを、呼吸を、視線の動きを感じとりながら敵の出方を伺う。

 そして緊張が走る中、ノルバは目をカッと開くと地面を蹴り懐に潜り込む。

 敵はノルバの動きに反応して剣を振り下ろすが、それよりも速く動くノルバは剣を振り上げて腕を斬り落とすと頭の上で剣を持ち直して目の前の敵の体を斬り下ろした。

「ふぅ」と額の汗を服で拭い、ノルバは剣を鞘にしまった。

 朝練を終えたノルバが宿に戻るとロビーにシャナと見知らぬ女が笑いを含みながら会話をしていた。

 僧侶が使用する白い杖を携えた若い女性は、後ろ姿しか見えないが佇まいからは高貴さが滲み出ている。


「あら。おはようございます」


 ノルバに気が付いた女は聞き心地の良い声で振り向く。すると新雪を集めて紡がれた様に白いボブがフワッと揺れる。


「シャナから話は聞かせていただきました。ノルバ・スタークスさんですね? わたくし、エルノ・ハーネットと申します」


 ニコリと微笑み差し出された手はか細く容易く折れてしまいそうだ。

 しかしこの世界において線の細さなど強さの証明にはならない。特に魔力に完全依存する魔法使いや僧侶ともなれば尚の事だ。


「あぁそうだ。アンタがシャナの言ってた王立研究所とやらの職員か?」

「えぇ、そうです」


 握手を交わしたエルノは再度ニコリと微笑む。

 そんな微笑みがノルバはとても気持ち悪かった。隙間から覗く琥珀色の目は笑っていないから。

 品定めするかの様に見られているのだ。嫌悪感を抱かない方がおかしいというものだ。

 しかし敢えてノルバは黙って品定めが終わるのを待った。

 奴隷の獣人を解放するにはエルノの力が必要だ。

 ものの一瞬。しかしノルバにとっては長く不快な時間が終わると二人は手を放す。


「流石……としか言い様がありませんね。これならばキマイラを倒すのも納得です」

「そうかよ」


 いわゆる達人と呼ばれる様なレベルになると相手と握手を交わすだけでその人の力量が分かるのだという。つまりエルノはその域に達した者という訳だ。そしてそれはノルバも同じだ。


「ところで二人は知り合いか?」


 シャナとエルノが互いに見合う。

 そしてエルノは「えぇ」と返事をした。


「幼馴染みなんです。私達。てっきり聞いていたとばかり思っていたんですけどぉ……」


 低くなっていく声に矛先が自分に向いていると分かったのシャナは気まずそうに目を逸らす。


「シャナ? さっき言ってあるって言ってたわよね?」

「ち、違っ……。誰が来るかは教えてなくて」


 ジリジリと歩み寄るエルノにシャナは顔をひきつらせて後退りをするが捕まってしまう。

 そして―――


「やめっ! アハハ! エルノやめて! アハハハハ!」


 猛烈なくすぐり攻撃がシャナを襲った。

 抵抗を許さず脇腹をコショコショと触り続ける指にシャナの声は笑い声から次第に過呼吸へと変わっていく。


「もう……許して……」


 数分に続くくすぐり攻撃の末、エルノは満足げな表情をして手を止める。

 横で力尽きているシャナからすれば死神の笑顔だろう。

 そんな戯れに興味などなかったノルバは、終わるまでの間に奴隷の少女が寝かされているソファーで隣に座りただただ静観していた。


「終わったか?」

「えぇ」


 エルノは満面の笑みで答えた。


「随分と仲がいいんだな」

「それはもう。だってずっと一緒に育ってきましたから」


 そう言うとエルノは急にしおらしくなりながら頭に着けているカチューシャを思い出に浸る様に触る。


「このカチューシャは私が王立研究所に所属が決定した際にシャナがプレゼントしてくれたものなんです」


 漆黒のカチューシャは白い髪と相まって遠目からでも大きく目立つ。

 一番目を引く要素なだけに人によっては着けるのさえ嫌がるだろう。しかしエルノは対照的にうっとりとした様子でカチューシャを撫でている。


「行く先は違えど互いを思いやり、こうしてまた道が交わる。私達はずっと一緒なのです」


 何やら重い感情がありそうな雰囲気にノルバはこれ以上話が広がらないように「よかったな」とだけ伝える。

 きっとここで話を広げれば永遠に語ってきそうだとノルバの勘が鼓膜が破れる程の警告音を出したのだ。

 そんな惚気話にも似た語りを聞かされている間にシャナは意識を取り戻したのかげっそりとした顔で起き上がる。


「エルノ。そんな話をしに来たんじゃないでしょ」

「あらそうだったわね」


 エルノはパンッと胸の前で手を叩く。


「シャナが何か失礼な事しませんでしたか? この子、昔から人見知りで私以外とは付き合いが上手くなくて……」

「エルノ!」


 そういう事言わなくていいと言わんばかりの真っ赤な顔でシャナは口を挟んだ。

 そんなやり取りにノルバは呆れた様に息を吐く。


「もういいか? さっさと本題いこうぜ」

「す、すみません。つい……」


 ノルバのいい加減鬱陶しいんだがという声のトーンにシャナは口を紡ぎ、エルノは漸く冷静になったのか本題に移る。


「ここでお話すると迷惑になりますので外でお話致しましょう」


 ノルバは眠る奴隷の少女を抱き抱え、外に停まっているポッチの引くキャビンに乗り込む。

 大した内装がある訳ではないが流石は国の品だ。高級防具にも使われる耐久性に優れた素材が惜しげもなく使われている。

 並の獣なら傷一つつけるどころが自傷ダメージを負ってしまうだろう。


「まず、キマイラに襲われた一団ですが、あれはライオネットアイ商会の輸送車で間違いはありませんでした」


 席につくとエルノはすぐさま本題を話し始める。そこには先程までのシャナの幼馴染みはおらず、王立研究所の職員がいるだけだった。

 そしてシャナもノルバもそれまでの緩い空気などなかったかの様に話を聞く。


「輸送車の行き先はプライマット公爵邸。あそこにいた奴隷は全てプライマット公爵が買い取ったものだそうです」


 となるとプライマットやらを説得してこの奴隷の少女を買い取らないといけない訳だがノルバに懸念が過る。

 あそこにいた奴隷は全員が年端もいかない少女ばかりだった。今、ノルバの隣で寝ている少女に教えられていた仕事を見るにそういう用途として購入したのだろう。

 目利きをして選んでいたのであれば例え一人でも譲らないかもしれない。無理に押し通す手もあるが……。ノルバは策を考え込む。

 そんなノルバにエルノから声がかけられる。


「ノルバさん。その子を引き取るおつもりなのですよね。あの御方の私もあった事がありますが、少々変わった御方で」


 エルノは当時を思い出して少し眉をひそめる。


「奴隷愛好家……ではあるので奴隷を無下に扱う事はないという点では他よりは優れた御方なのですが、嗜好が特殊で自身で選び抜いた奴隷を従えているらしく、おそらくはその奴隷も手放そうとはしないかと……」


 つまりは遠巻きに諦めろとエルノは言っている。

 正直エルノの発言は正しい。奴隷一人解放したところで何の解決にもならない。ノルバの行為はただの偽善。いや、偽善ですらない見方によっては悪かもしれない。

 だが関係ない。助けると決めたのだ。その意志が、行為が何であろうと、それがノルバ・スタークスという男の生き方なのだ。

 しかし解決策が見つからなければその生き様も意味をなさない。

 不意にエルノの隣に座るシャナが思いついた様に提案する。


「だったら奴隷商から直接買い取ればいいんじゃないか?」

「買い手は決まってんだぞ」

「そうよ。今更無理よ」


 続く二人の否定。しかしシャナはそのまま続ける。


「だってプライマット公は奴隷がどうなっているか知らないだろ? 今、奴隷の位置を把握しているのはライオネットアイ商会だからそっちを納得させられれば上手い事言いくるめてくれるんじゃないか?」


 二人の目から鱗が落ちた。

 差し込んだ希望に「そうか!」とノルバは立ち上がる。

 奴隷はキマイラに襲われ全滅という設定にしてもらえば獣人の少女を買い取る事が出来るかもしれないという訳だ。


「そうと決まれば、そのライオネットアイ商会に行くしかないな」

「ではこのまま向かいましょう。今回の被害について私からも商会に報告しないといけませんから」


 エルノが御者に指示を出すとキャビンは進み始める。

 そしてキャビンに揺られ暫くの時が過ぎた。

 心安らぐ日の光に温められ、奴隷の少女はしばしばと目を開ける。


「起きたか?」


 ノルバの声に少女はぴょこんと耳を立てたのかフードが盛り上がる。

 ゆっくりと辺りを見回してキョトンとした様子で首を傾げる少女。見た限りでは落ち着いている。しかしいつ昨日の様にフラッシュバックするかは分からない。

 警戒されない様にノルバは優しい声で聞く。


「オレはノルバ。キミの名前は?」

「フュー!」

「そうかフューか。いい名前だ」

「のるば! のるば!」

「そうだ、オレはノルバだ。よろしくな」


 天真爛漫な笑顔からは昨日の出来事を、そして少女が奴隷である事を感じさせない。

 だがこれが本来の姿なのか、奴隷として生きる中で備わった身を守る盾なのか。それとも耐えきれない現実から逃れる為なのか。

 ノルバは少女の頭を撫でつつ歯を噛んだ。

 ふと少女の視線がノルバのポケットに向く。


「おねえちゃん!」


 少女はノルバのポケットに手を突っ込み、首輪を取り出す。

 慌てて取り返そうとするノルバだったが、少女が大切そうに首輪を抱く姿を見てその手を引っ込める。

 首輪に頬擦りをする少女の姿は安らぎに満ちている。姉の形見を傍にする事で悲しみを受け入れているのだろう。

 ライオネットアイ商会に着くまで続いたその行為を三人は静かに見守るのだった。


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