第9話 元勇者のおっさんに家族が増えたそうです

 そこに着いたのは日も完全に沈んだ頃だった。


「これはすごいな……」


 キャビンを降りたシャナは辺りを見渡し、驚愕する。

 それに続く様にエルノも驚きの声を漏らす。


「ここら一帯が所有地なのですか……?」


 エルノ達がいるのはノルバの土地に入る為の門の前だ。

 ポツポツと門に取り付けられている灯りはどこまでも続いており果てが見えない。

 門番とやり取りをしていたノルバは、エルノの独り言なのか質問なのか分からない呟きが聞こえたのか顔を少し振り向かせて答える。


「そうだ。ここからまだ少し行かないといけなくてな。頼めるか?」

「は、はい。勿論です」


 一行は門を越え、敷地内に足を踏み入れる。

 目の前に広がるのは闇一色。家なんて見当たらない。果てしない広さにエルノとシャナが言葉を失う他ない一方で、フューだけはその光景に目を奪われていた。


「凄いだろ」


 とは言ったものの何も見えやしない。しかし獣人は狩りに生きる種族。

 当然夜目も利く為、月明かりだけでも広大な敷地がハッキリと見えているのだろう。


「ここなら怖いのは何もいない。自由に遊べるんだ」

「じゆう?」

「そうだ。やりたい事を好きなだけ出来るんだ」


 フューにとっては理解が難しいのか。それとも景色に夢中なのか返事はない。

 小さな窓から見える果てのない景色は、かつて自分の心を蝕み続けていた。

 しかしこれからは違う。

 ここはもう監獄ではない。自由を得る為の楽園となる。そうさせる。

 そんな誰も知らない男の想いを乗せてキャビンは進んでいく。

 そして一行がノルバ宅に到着して降りると、またもやエルノとシャナは言葉を失う。

 それだけでなくシャナに至ってはまるで怯えているのかの様にエルノの後ろに隠れてしまっている始末だ。


「助かった。ここまで送ってくれた事に礼を言う」


 ノルバは手を差し出す。


「いえ。当たり前の事をしたまでですので」


 握手を交わしたエルノは「それよりも……」と困惑した様子で探り探りに言葉を出す。


「ここはノルバさんの御自宅……なのですよね……? 立派な場所……ですね。支払った額といい……どういった御経歴……なのでしょうか」

「別に変な事もしてねぇよ。ただ昔魔王軍と戦って武勲を立てただけだ。そんなやつは知らねぇだけでゴロゴロいるさ」

「そうですか」


 納得したのかしてないのか微妙な様子だが、ノルバの調子から話す気もないと判断したのかエルノは潔く退いていく。

 すると今度はエルノの後ろに引っ付いていたシャナが隠れるのを止めて思い出した様に口を開く。


「そういえばクエスト報酬を取りに行かないといけないぞ。キマイラも倒したんだ。特別報酬も出るだろう。ここを見る限り必要はなさそうだが皆がアナタを待っているだろうからまた顔を見せに来てやってくれ」

「あぁ、分かった」


 返事をするとノルバは再度エルノを見やる。

 その意図を汲んだエルノはノルバが言葉を発するよりも先に返事をする。


「後日伺いに来ますので、それまでは御自由にお過ごし下さい」

「頼んだぞ」

「はい。それじゃあシャナ、行きましょうか」

「ノルバ・スタークス。今度は共にクエストに行こう」

「考えとくぜ」


 エルノとシャナはフューにも挨拶を済ますと去っていった。

 遠くに消えていく姿を見送ると、ノルバは自身の服を掴むフューの手をとった。


「今日からここがフューの家だ。色んな人がいるから今から皆にフューの紹介をするぞ」

「うん」


 視線は既に目の前に広がる敷地にある。

 早く遊ばせてやりたいが夜も遅いし、物事には順序というものがある。


「今日は遅いから遊ぶのは明日からだな」


 ノルバはフューの手を引くと素直についてくる。

 そして帰宅すると―――


「お帰りなさいませノルバ様!」


 元気有り余るレイの声が耳に響く。

 しかしそんな元気な声もすぐに疑問を抱いた落ち着いた声に変わる。


「あの……その子は……?」


 視線はノルバの隣に立つ、フードを被り素性の分からない幼な子に移る。


「今から説明をしたい。屋敷にいる人達全員を集めてくれないか?」

「は、はい!」


 駆けていくレイの後ろ姿を見たままフューはノルバの手を軽く引っ張る。


「ここがのるばのおうち?」

「そうだ。オレだけじゃない。フューも今日からここに住むんだ」

「ずっと?」


 一瞬言葉に詰まる。

 その一言にどれ程の意味が込められているのかノルバには分からなかったから。

 言葉を間違えれば、きっとフューの心は固い檻に閉じ込められてしまう。かつての自分のように。

 気にも止められない瞬時の思考の末、ノルバは言の葉を紡ぐ。


「いたいだけ……かな?」


 その言の葉に顔が綻んだ気がした。

 見間違えかもしれない。錯覚かもしれない。

 はたまた願望を現実と捉えただけかもしれない。


「へへ」


 しかし無邪気に見上げられたその笑顔にノルバの迷いは吹き飛ばされた。

 何があってもフューだけは。

 その笑顔がノルバの決意を更に強固にするのだった。

 それから少し経ち、レイの呼び掛けでノルバ達は応接間に移動していた。

 そこに並ぶのはノルバに仕える使用人達。

 何も事情を知らぬ彼らは何事かと各々困惑した様子を見せて孤立した位置にいるノルバ、そしてその隣に立つ幼な子を見やっていた。

 しかしノルバが話を始めると全員が静かに姿勢を正してその話に耳を傾ける。


「皆、忙しい中、集まってもらってすまない。まず最初に、知っているか分からないがオレは王より自由に過ごす権利をもらった。つまりもうここに縛られる必要はないという事だ」


 動じる者は誰もいない。

 ノルバはそのまま話を続ける。


「長い時間世話になった。こんなオレを世話してくれた事には感謝してもしきれない」


 ノルバが頭を下げると「私達を救ってくださったではありませんか」「当たり前の事をしたまでです」「ノルバ様が頭を下げる事ではありません」など使用人から口々に想いが発せられる。

 善い人達だ。これまでは関わろうともしなかった。知ろうともしなかった。そんな相手にも優しい言葉を投げ掛けてくれる人達。

 それならばきっと受け入れてくれる。

 ノルバは穏やかな心持ちのまま言葉を発していく。


「ありがとう。それで、ここからが本題だ。皆がずっと気になっているであろうこの子供だが……」


 しかしそれは幻想だった。

 ノルバがフューのフードを取ると一変。それまでの温かな空気は凍りつく。


「この子の名前はフュー。先日魔獣に教われている所を助けて、訳あってここで暮らす事となった」


 沈黙。ノルバの言葉に反応する者は誰もいない。

 ただ一人を除いて。


「キャー! 可愛い!」


 黄色い歓声を上げたのはレイだった。

 口に手を当て、目がハートになる勢いで嬉しそうな表情を見せている。

 しかしそんな態度は世界中で見ても少数派。それ以外の使用人は先程と同じく静かにフューを見ている。しかしその意味は先程の沈黙とはまるで違う。

 この沈黙が意味する所は即ち拒絶。

 もう誰もノルバと目を合わそうとはしない。

 怒りはない。呆れもない。分かっていた事だ。

 人間以外の種族は全て魔王に支配され、人類と敵対していた。被害にあった者だっているだろう。

 異種族は、亜人は邪悪。

 その価値観は魔王が消えようと簡単に消える事はない。

 だからこそノルバは選ばなければならない。

 どちらをとるか。そしてそれは手を差し伸べたあの時から決まっている。


「皆の言いたい事は分かっているつもりだ。だから選んでほしい。ここに残るか、残らないかを」


 それまで静かだった使用人達がざわめき始める。

 当たり前だ。突然のクビ通告をされたも同然なのだから。

 しかしノルバは出ていく者を咎めるつもりは毛頭ない。


「これまで世話になったんだ。手切れ金も言い値で払う。残らないからといって不利益を被る事も絶対にないと約束する。必要なら次の仕事を探す手伝いもする」


 当然の事だ。ただでさえ恩を仇で返す様な行為なのだから、やってしかるべき行動だ。

 ノルバの発言に三度みたび沈黙が訪れる。

 忠義か嫌悪か。皆が葛藤に苦しむ中、一人の老いた男の使用人が挙手し、全員の視線が男に向く。


「私はノルバ様の元を離れさせていただきます」

「そうか」

「英雄のお側にいられた事、生涯忘れる事はないでしょう。これまでありがとうございました」


 男は堂々たる態度で深々とお辞儀をすると踵を返す。

 するとそれを合図とするかの様に他の使用人も去る決意を次々に伝え始める。

 仕方のない事だ。

 ノルバは全員の言葉を受け入れ、去り行く背中を見つめる。

 しかし最初の使用人が扉に手を掛けようとしたその時、その場に留まっていた一人の使用人が去り行く人達に向けて声をあげる。


「皆さん待ってください!」


 そう声を張り上げたのはレイだった。


「私は北方の小さな村出身で魔王軍による被害はほぼなく暮らしていました。戦争も物心つく頃には終結していました。だから皆さんが受けた異種族からの被害については知識でしか知りません。その辛さはきっと私なんかでは分かりようもない事でしょう。ですが! どうかその足を止めて下さらないでしょうか!」


 拳を強く握り締めた訴え。

 しかし扉を開く手は動き始める。

 足りないのだ。歩みを止める為には上っ面の感情論だけでは。

 レイの表情が歪む。悔しさと悲しさと不甲斐なさの混ざった感情が滲み出してくる。

 だがリンはそんな感情をぐっと堪えて再び声を振り絞る。


「フューちゃんが一体何をしたと言うのでしょうか! 戦争も知らない小さな子供です! 種族は同じでも、この子は皆さんを傷付けた者とは違います! 今ここで拒絶すればそれはこの子は人間を信じられなくなるかもしれない! それでは皆さんは皆さんを傷付けた者と同じになるのではないでしょうか!? お願いです! 何も知らない子供に悲しみを連鎖させないで下さい! 次の世代が手を取り合える世の中を造ってあげて下さい!」


 息も絶え絶え。そんな言葉に扉を開く年老いた男の手が止まる。

 そしてゆっくりと振り返るとどこか悲しげな目をして口を開く。


「レイさん、アナタの言葉は正しい。しかし時に人は正論を突き付けられようと変えられない事もあるのです。私の負った傷はあまりにも深すぎた。もうこの溝は治らないのです」

「そんな……」


 これが戦争の代償。平和なんて仮初め。この世界にはまだまだ癒える事のない傷で溢れている。

 仕方がないのだ。引き止めた所で何も変わる事はない。

 そうノルバは思っていた。だがしかしレイは諦めなかった。


「お願いします! 少しだけでも……ほんの少しでも寄り添ってあげて下さい!」


 呼び止め、訴え続けるレイ。

 しかし、去り行く歩みは絶えず扉は開いていく。

 もういい。やめてくれ。

 そんな言葉がノルバの喉まで競り上がってくる。


「私は諦めません! これが真の平和への歩みとなると信じているから!」


 だがしかし、レイの強い想いがそれを押し返した。

 混じり気のない純粋純白な本音。

 その本音がノルバの胸に深く突き刺さったのだ。

 何故忘れていたのか。長い時間の中で抱いていた理想までも書き変わってしまっていたのか。


『オレは人も異種族も皆が平和に暮らせる世の中を創りたかったんだ』


 深い暗闇から引っ張り出された気がした。かつて見ていた光の元に戻った気がした。

 やるべき事は初めから諦めるのではなく、受け入れてもらおうと努力する事だった。

 誰かを切り捨てる世の中は平和とは呼べない。

 たとえ無理であったとしても最初から諦めるなんて言語道断だった筈だ。


「ありがとう。お陰で目が覚めた」


 通り際にレイに感謝を伝えると、ノルバは去り行こうとする使用人達の前に立った。

 フューの為を思うなら、平和を望むら初めからこうするべきだった。

 ノルバはその場に両膝をつき額を床につける。


「申し訳なかった。オレは分かり合えないと初めから諦めていた。だけどそうじゃなかった。頼む。獣人としてではなくフュー個人を見てやってほしい。負の連鎖を断ち切る為に協力してくれ!」


 誰が予想出来たか。

 恥も外聞もない勇者とは思えぬ行動に使用人達は狼狽える事すら忘れて言葉を失う。

 ただただ静寂の時が過ぎていく。

 それでもノルバは頭を上げない。


「頼む!」


 ただひたすらに訴えを続けていく。

 ある者が見れば、引き際を知らず醜く汚らわしく意地汚いと罵られる行為。

 しかし、千切れそうな、千切れた糸を掴んで結ぶ。それが勇者ノルバの有り方だ。

 ずっとそのやり方で人々を助けてきた。

 忘れていた根幹を今度は見失わない。


「お願いだ!」


 そしてその想いは人を動かしていく。


「ノルバ様。顔をお上げ下さい。ノルバ様にはその様なお姿は相応しくありません」


 近くにいた使用人の女が歩み寄る。


「私は間違っていたのかもしれません。起きた事は消えません。しかしそれを理由に今を生きる子供を差別していい理由にはならない。ありがとうございます。お陰で私は自信の過ちに気付く事が出来ました」


 そしてその言葉に続き、それまで去ろうとしていた人々が踵を返し始める。

 諦めなければ変えられる。

 そんな希望が光る中、しかし最初の使用人含めた数人はその場から動こうとはしなかった。


「私には出来ません」


 扉の前に立つ使用人の言葉にノルバは「そうか」と悲しげな声を返す。

 強制は出来ない。

 ノルバはその男の前まで行くと握手を求め手を差し出す。


「無理を言ってすまなかったな。これまでの事感謝する。だが気が変わればいつでも言ってくれ。いつまでもオレは歓迎する」

「ありがとうございます」


 男はノルバの手を両手でぎゅっと握ると震える声を発しながら深く頭を下げた。

 その決意は並々ならぬものだったのだろう。

 ノルバもそれは理解している。

 異種族による被害はあまりにも甚大。被害者からすればノルバの行動は軽蔑されてしかるべきものだ。

 なのに男は感情を抑えて理性を持って対応をしてくれた。

 そんな人を誰が責めるというのだろうか。


「元気でな」

「ノルバ様もお元気で」


 去り行く背中は儚げで、ノルバは自分の無力さに胸が痛む。

 それでもノルバは前を向いた。

 去っていく者達一人一人に感謝を伝え、その背中を最後まで見送り続けるのだった。



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