第4話 妖魔トライブの出る街

 それはごく普通の若い男に見えた。優しげな微笑みさえ浮かべながら、男はアイスクリーム屋のキッチン馬車に近づいて行った。

「いらっしゃいませ。何にしますか?」

 店主の若い女性が笑顔で迎えた。

「そうだなあ……、やっぱりお前をいただこうかなあ」

 男はそう言いながら店主に腕を伸ばした。すると男の衣服が粉々に引きちぎれて中から黒い鱗の腕が現れた。

 伸びた腕の先には鉤爪の付いた手があり、鋭い爪が女の衣服を上手に引き裂いた。女の肌が露出する。そして女が叫び声を上げる前に女の首は切り落とされていた。

 優男の身体が大きく膨張した。鱗に覆われた身体と足が現れた。3メートルに届きそうな身体を軽快に動かしながら男は妖魔トライブに変身する。いや、正体を現したのだ。優男は妖体人間だった。

 その妖魔トライブはアイスクリームキッチン馬車の客を3人爪にかけた。ひとりの女子学生は胴体を真っ二つにされていた。小学生くらいのふたりは頭を足で踏み潰された。殺戮である。

 ヴァルベルに言われて逃げようとするがミライの足は全然動かなかった。

「ミライ、早く逃げて!」

 ヴァルベルの叫び声がまた聞こえた。妖魔トライブは再び通報者の男児を跳び上がりながら足で捕らえた。鳥のような足爪で男児の頭を掴んだ妖魔トライブは翼を広げる。

 この妖魔トライブには翼があるのだ。その翼に向けてヴァルベルが何かを投げつけた。ひとつ、ふたつ、みっつ、放たれた円盤状の物体は妖魔の翼を襲った。

「行け!オーバル!」

 だが妖魔トライブは更に高く飛翔してこれを避けると、足にかけた男児を放り投げた。ヴァルベルがそれを追いかけたが、間に合いはしない。男児はコンクリートの道路に落ちて潰れた。

 それどころか今度は狙いをヴァルベルに定めたようだ。

 オーン!

 耳障りな音波を発してヴァルベルに向けて舞い降りてくる。

「いかん! いかん! いかん!」

 ミライは何か使える物はないかと、自分で自分の身体をあちこち触ってみる。

(武器なんてあるわけないか)

 でも両方のポケットに何かがあった。それはICボイスレコーダー。これはビジネス用だ。大事な話は録音しておく。もちろん商談相手の承諾を得て。それがマナーである。が、化け物相手に役に立たない。

(ちきしょう!)

 ミライはもう一方のポケットを探った。レーザーポインターがあった。今日のコンプライアンス研修で、もちろん元の世界でのことだが、未來たちの班の発表がある。そこで貼り出した資料を指し示すのに、家から持って来たのだ。大学時代の物である。

(服が違うのに何であるんだ?)

「今はいいか。それより使えるか?」

 やってみるしかない。ミライはレーザーポインターのスイッチを入れると、妖魔トライブの目を狙った。

 赤いレーザー光が妖魔の顔に当たる。だが、目には当たっていない。ミライは震える手で狙いを定めた。ヴァルベルが危ない。

 レーザー光が妖魔トライブの目に入った。ガラス体の眼球にレーザー光が突き刺さる。

 オーン!

 妖魔トライブは一声叫ぶとヴァルベルから離れて飛び上がる。少なくとも片目が見えなくなっているはずだ。ミライはヴァルベルに駆け寄ると腕を取って引っ張った。

「こっちだ!」

 ミライはヴァルベルを連れて公園のベンチの後ろ、西洋トネリコの大木の下に入り込んだ。ここだと妖魔トライブは大き過ぎて入り込めないかも知れない。

 バサバサと翼を羽ばたかせてヤツが降りてきた。初めて正面から顔を見たミライは凍り付いてしまった。

 恐ろしかった。この顔と姿は理屈ではない根源的な恐怖を想起させる。

(悪魔みたいだ……)

 ミライは思った。こんなのに魅入られたら何もかも放棄してしまいそうだ。例えそれが自分の命であっても。

「ヴァルベル、もっと奥へ」

 だがヴァルベルの命となれば別だった。ミライはヴァルベルを木の根元へ押し込んだ。

 確かに生い茂る枝葉にそのままの体勢では、妖魔トライブはここには来れないだろう。

 だが妖魔トライブは鉤爪の付いた両手を地面に、獣のような体勢になって近づいて来たのだ。

 するとミライの後ろにいたヴァルベルが前に出てきた。

「ヴァルベル……」

「わたしに任せて」

 ヴァルベルは大きく片腕を上げると掌を広げた。もう片方の手を胸の前におき、何かの呪文らしき言葉を唱えだした。

 妖魔トライブは這うように木に近づいてくる。枝葉の下に入って来るのはもはや時間の問題だろう。ミライは為す術もなく立ち尽くしていた。

 這い寄ってくる妖魔トライブだったが、それでもミライたちと同じくらいの背の高さがある。

 ヴァルベルは依然として何かを唱え続けていた。妖魔トライブはそんなヴァルベルとミライに更に近づく。いよいよ恐ろしい顔が木の下に入り込もうとしていた。

 ところが、頭を木の下に入れようとした妖魔トライブの動きが止まった。怖い顔ではあったが困惑の表情を浮かべたようにも見えた。

 妖魔トライブは片方の腕を上げてヴァルベルに伸ばそうとする。鉤爪がギラリと光ったようにミライには見えた。

 だけど、その悪魔の手を西洋トネリコの木の下へ入れることはできなかった。

 ちょうど木の下の空間に見えない蓋をしたような感じだ。

「これは、どういうことだ? ヤツはこの中に入ってこられない?」

 ミライが呟くようにヴァルベルに尋ねた。

「さっきの光線、使えないの?」

ヴァルベルが言った。そうだ、ヤツの目はすぐそこにある。あそこに命中させたら……。

 ミライは慌ててポケットからレーザーポインターを取り出した。ポインターのレーザー光を妖魔トライブの目に向ける。

 レーザーポインターの赤い光線は熱いわけではない。何かを焼き切ったりするようなものでもない。

 だけどその使用説明書にもあるように、人の目に入ると網膜が傷つき失明する場合もあると言う。近距離からなら尚のこと危険な光なのだ。

 赤い光が妖魔トライブの目を捉える。レーザーの強い光に目が見えなくなったのだろう。

 妖魔トライブが顔を手で覆う前に、ミライはもう片方の目にも光を当てた。

 オーン!

鋭い声を発して妖魔トライブが後退った。そして立ち上がる。

「攻撃!」

 誰かが命じると妖魔の頭に数発の弾丸が命中した。警備隊が到着したのだ。

 こうしてミライたちを襲った妖魔トライブは処分された。しかしこの悪魔のせいで子供を含む5人の命が失われた。

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