第6話 朱莉⑥

涙の零れる目を、テーブルのティッシュで俯いたままこすらずに拭う。目を腫らさずに泣くコツだ。


コンコンと事務所のドアがノックされた。


「朱莉ちゃん、入っていい?」


神木さんが声をかける。


「ダメです。着替えてるので」


たぶん、声で泣いていたのはばれているだろう。


「蒼ちゃん、とりあえず帰ったから。ごめんね、僕がつまらないこと言ったせいで」


「神木さんの所為せいじゃないです」


ため息を一つついて、扉を開けた。そこには心配そうな神木さんの顔があった。


「今日‥‥バイト無理そうなら、帰ってもいいよ? もちろん、バイト代3時間分くらいはつけるからさ。お詫びに」


「大丈夫です。それにまだしばらくお客さん来ないでしょう? 仕込みしますね」


その後は、ただ黙々と仕事に励んだ。何か言いたそうな神木さんにこれ以上慰められたくなくて、いつも以上に仕事をした。お客さんには、3割増しで笑顔を振りまいた。そうしているうちに気持ちはマシになっていった。


失恋くらい誰でもするさ。


その日、蒼也は客として来なかった。あのまま帰ったのか......


もし、これで蒼也が店に顔を出しづらくなったら、あまりに申し訳なさすぎる。


そう思ったら失恋云々よりもそっちが気になった。


家に帰ると、弟の聖がソファで眠っていた。


配信動画をテレビで見ながら寝落ちしたようだ。テレビの中で聖の好きそうな俳優が、半分壊れた中世ヨーロッパのよろいまとった状態でムキムキの体をさらしていた。


「ひーちゃん。風邪ひくよ。部屋で寝なさい」


そう声をかけても、うぅん、と唸ったきり起きる気配はない。仕方ないので、部屋から毛布を持って来てかけた。


ミルクティー色のふわふわとした髪がまだ幼い顔つきをより子どもっぽく見せる。その寝顔が、失恋でささくれた心をほんの少し癒してくれた。

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